伊予の《かすり織り》
松山城 ⇒ ⇒ 伊予カスリ資料館⇒次の地へ
〔昼食・見学〕
腹が減っては・・・
腹こしらえ、ビールも有るよ!
箸の置き方が悪かった
座繰り 糸仕立て、機織道具など
藍染めの釜
藍かすりの数々
藍かすり工場入り口
工場内では4~5人が機織りしていた
伊予がすりの創案者鍵谷カナの銅像
今出(いまづ)は伊予絣の発祥地。
鍵谷カナは天明2(1782)年に、この地に生まれ、
藁(わら)屋根のふき替えのとき、竹に縄のあとが残っているのをみて
伊予絣の織り方を工夫したという。
かつては家ごとに、たえまない機音が響いていた。
伊予の地はここ
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今日のメモ
藁(わら)屋根のふき替えのとき・・・・、
転んでもタダでは起き上がらなかった人だった・・・かもしれない。
不便をする、物が無いとそれに創意工夫を加えて・・・
そんな所に思わぬ新しい発明があるのかも知れない。
現代は物あまりの社会、鍵谷カナさんに学ぶこと多し。
他山の石としたい。
誕生日の花 花言葉
ダルマギク 打たれ強い
今日の一句
海に出て木枯らしかえるところなし 〔山口聖子(セイシ)〕
【NHKラジオ深夜便から】
発明は発明家だけでなく普通の人が不便や不足から生み出すところに妙味がありますね。
そして絣でも北前船によって大阪文化の伝わった瀬戸内や日本海側の柄は派手なんです。
ちょっと呑み屋で語りたい薀蓄でした
伝統的な伊予カスリの織物の見学、昼食時間に合わせて入館。
まだまだ伝統の織物は残っていた。
山形県の米沢にも米織り会館が有り、そこで見学と昼食。
織物と昼飯は切っても切れない縁・・・・・?。
秩父は伊勢崎と並んで銘仙の産地、縄文人さんの幼いころにはすでに機音は聞こえなかったでしょうね。
ははに聞きましたが昔の娘は屑繭を集めて銘仙を織れるようになったら嫁に行ける資格ができたのだそうです。銘仙も絣も紬も昔は貧乏人のものでしたが今はセレブしか買えないものになってしまいました。
百姓の作った伝統技術「匠の技」ですね。
特に藍染の絣は着古して着古して、藍の味が出てきますね。
伊予がすりの資料館見学、羨ましいです。
春に和三郎さんの所へお邪魔した折
徳島藍住町の藍染を見学してきました。
絣ではありませんが、型染の藍の反物買ってきました。
↑のコメントにもあるように、昔は農家の作業着だった絣、いまや高級で手が出ませんね。
私は骨董屋を廻り、大正から昭和初期の頃の
絣の着物やもんぺなどを買い集め、
着物は解いて炬燵掛けにしたり座布団作ったり
もんぺや上っぱりはそのまま着て
田舎では絣の生活を楽しんでいます。
何かを作る。。。
機織の音が聞こえそう。。
お茶のお稽古に使っていた 出し袱紗(だしぶくさ)の
模様が箱書きに 伊予すだれ と書いてあります。
縞模様です。
織物が盛んなんですね。
藍染めの絣いいですね。
今じゃ おしゃれ着です。。。
実感が伝わります。
料理の写真を撮って、後で箸の置き方や並べ方が気になることはしょちゅうです(笑)。
おつにすましたものより、生活感があっていいと自分に言い聞かせています。
ドンマイ、ドンマイ縄文人さん。
観光客が立ち寄ってくれない。
このような《藍染の工場》に昼食、それに駐車場。
これらの条件が整って、お客の呼び込みも出来るという事でしょう。
旅行会社もやはり諸条件のものをリストアップ、
・・・・・なるほどと・・・思いをめぐらした。
お~ちゃん
化学繊維【ナイロン、ビニロン、ベンベルグ・・・・】が出来てから急に織物が衰退したようです。
カスリはなかなかアジアイのある織物です。
和三郎さん
なかなかお詳しいようで・・・・。
北前舟は、物資だけでなく沢山の文化を積んで日本海を航行したんですね~。
とくさん
最初の冒頭にも書きましたが、
やはり単なるお食事ところだけでは観光客を寄せるには難しいようです。
ヒキノさん
懐かしい言葉が、ヒキノさんのコメントの中に一杯詰まっていました。
1つ1つ解き明かしましょう。
秩父は織物の産地、機やが軒を連ねていた。
☆秩父町出はづれ来れば機をりの
うたごゑつゞく古りし家竝に 【若山牧水】
2、クズ繭
クズ繭で糸をつむぎ、機を織り、着物に仕立てた。
縄文人も、母が織った反物で半纏や着物を作ってもらい育った。・・・・ウウウン、涙が出るよ・・・ヒキノさん
貧農の次男坊、苦労をしました。
伊予の織物、じっくりと母の顔と重ね合わせながら見学しました。
繭の
いい物は、出荷して現金収入 明治繭暴落⇒秩父事件
3、うどんを打つ
秩父は山国、水田が少ない。小麦・そばが大半。
嫁に出すには、うどんが一人前に打てなければ出す事ができない。
・・・そう言われた。
男は働く場所がないから流れ流れて・・・・
紅さん
紅さんは沢山の骨董や、反物を収集しているようですが、藍染は、深みのある染め方でいつまでたってもアキのこない色のようです。
そうですか《もんぺ》懐かしい言葉です。
田舎に行くと母が織物をしましたから、織機やこれに関連する道具が物置の奥深くホコリだらけになってあることでしょう。
藍染めの座布団・・・最高級です。
観光地では、高い値段がついていました。
momomamaさん
やはり全てが手づくり
今はほとんどが機械仕上げ・・・。
だから貴重であり、高いのでしょう。
お陰様でいろいろと追体験させていただいてます。
和紙の生産や機織は岩手でも盛んな地域があったようです。
カナさんの発明は素晴らしいものになりましたが
「物が無いと創意工夫」は台所でも実感しております。