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日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

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72候・蚕起きて桑を食む

2018年05月21日 | 総  七 二 候

蚕 起 食 桑

5/21~5/25  

 

 

 草むらの中からジーッと夏虫も鳴き始め、いつもと違う素晴らしい

鳥のさえずりに気づくとき、とても幸せな気持ちになります。

身も心も軽やかになっていく、夏の始まり初夏です。

 

 


寝静まった夜、蚕が桑をはむ音は荘厳である。家全体に響くように聞こえてきた。
8万~10万頭が1度に飼育され、蚕と一緒に暮らした。
まさに「お蚕様」でした。

 

太陽の光を浴びて、どんどん育っていく桑の葉を、もりもり食べて
お蚕さまが育ってい「
蚕起食桑」の頃。

養蚕業の方々にとって一番忙しい時ではないでしょうか。

 養蚕業の衰退は激しく、現在秩父地方で見かけるのは珍しい。

お蚕さまの繭からとれた絹の糸で、美しい光沢を放つ反物が作られます。

絹の糸で織り上げられた布や帯の美しさは、古来より人々を魅了していました。

 

皇后さまが最後の給桑 (皇室)

 

秩父地方の「お蚕様」

 

 

  参  考 

長い養蚕の歴史を持ち、戦前には絹は主要な輸出品であり、合成繊維が開発
されるまで日本の近代化を支えた。

農家にとって貴重な現金収入源であり、わが秩父地方では、
「おカイコ様」といった半ば神聖視した。

養蚕の神様(お蚕神様)に順調な生育を祈る文化も見られた。
小正月に繭玉の格好を作り行事が各家庭で盛大に行われた。

長野・山梨・埼玉・群馬の山間地は、殊の外養蚕業が盛んでした。

小生もこの繭の現金収入によって育てられたと言っても過言ではない。
唯一の現金収入源でした。蚕の飼育時は、朝早くから夜遅くまで働いた。

 

蚕は、4回眠りに付き、その度に脱皮して繭になります。
繭➡蛹➡羽化➡産卵➡義蚕と繰り返します。

 

 


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11 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-05-21 07:39:00
おはようございます~♪
子どもの頃、養蚕の名残でしょうか?
桑畑だったような畑もあって実を食べた思い出があります。
昔は地方では牛もお蚕様も一緒に生活していましたね~

秩父事件・草の乱・・・
私の近くでは「渋染め一揆」があります(差別)
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ご無沙汰でした (どんこ)
2018-05-21 09:32:23
秩父と同様、九州の片田舎でも蚕を飼育していました。
屋内だけでなくて、庭に雨よけのテントを張り
蚕棚を作っていましたね。

座敷も居間も蚕に占拠されていた思い出があります。
最初は桑の葉っぱだけを摘んで入れる桑テボと言う大きな籠で間に合いましたが
蚕が大きくなるのにつれ桑の木の根っこから枝ごと切って、与えていましたよね。
断片的にしか覚えていませんが懐かしいです。

柴又へ久しぶりに行ってきました。後でボチボチと上京編をアップしていきますね。
返信する
養蚕 ()
2018-05-21 17:33:29
こんにちは。
猿ヶ京でも昔は養蚕が盛んだったようです。
山の家も周りは桑畑がいっぱい残っていました。
今では1軒も無くなりました。

昔養蚕農家の2階に上がって蚕を見せてもらったことが有りました。
帰りに一つ頂きたいと言いましたら断られました。
農家にとっては大事なお蚕様なんですね。
一つでも無駄には出来ないようです。
恥ずかしい思いをした覚えがあります。

どんこさん、久々の登場で良かったですね。
安心しました。
返信する
Unknown さん (縄文人)
2018-05-21 20:13:32


今晩は、Unknown さんと有りました。
姓名判断、
「渋染め一揆」とありましたので、検索、ハイ
岡山と出ました。
とんちゃんさんと、恐らくそうで有ろうかと判断しました。

≫昔は地方では牛もお蚕様も一緒に生活していましたね~

仰る通りです。牛馬が土間に顔を出してカイバを食む、牛馬人間一体の生活でした。

「渋染め一揆」勉強になりました。


返信する
どんこさん (縄文人)
2018-05-21 20:21:11


≫座敷も居間も蚕に占拠されていた思い出があります。
そうですか。ビックリしました。
・・・・と言うのは、桑畑が傾斜地で、どちらかと言えば、農作物の適さない山間地かと思いしや、
荒尾海岸の見えるとこまでも養蚕が。
此れには驚きました。

柴又へ来られましたか!?
病後の心配もなく、すっかり元気に成られ、娘さんを始め、お孫さんも大変に喜んだことでしょう。

返信する
猿ヶ京 (縄文人)
2018-05-21 20:37:39


バスで・・・、しかも始めて通り抜ける国道17号線でした。
湖に映える鯉のぼりに一斉に歓声が上がりました。
今回は、家内も一緒で、次の温泉地、法師温泉に友達の旅館があるものでそちらをキョロキョロ
アッと言う間に新潟へ。
バスはいく行く窓辺の緑、鯉のぼりや窓辺の景色を見ている間に、あっという間に通りすぎました。

そうでしたか、やはり猿ヶ京、法師温泉は山の中、
これと言って特産の農作物は無く、
蚕を飼育して繭を生産し現金収入、どこもかしこの農家は、現ナマには目が眩んだことでしょう。

紅さんの山の家が有ったと言う事で、
大変勉強させてもらいました。
清津狭も、有難うございました。



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いや~ (momomama)
2018-05-21 22:37:47
こんばんは。
虫嫌いなんですよ。 写真はみたくなーい。
でも皇室でも 養蚕 しますよね~ 貴重なんですよね。
熊本県の山鹿市も 養蚕業が盛んだったところで
繭玉を使った手芸品 売ってましたよ。

縄文人さん 次の写真が出るように 早く記事を更新してね~
返信する
モモママさん (縄文人)
2018-05-22 05:32:20


それはそれは失礼しました。
さっそく、シャットダウン ドアーしました。
二輪草です。

小さい頃は、これがお金に成るのだと一生懸命、給桑シタリ管理飼育をしました。
場所が広いところを必要としましたから寝るところまで占領されました。
返信する
ごめんなさい (momomama)
2018-05-22 11:53:21
大変失礼いたしました。
養蚕業の方にも悪かったですね。
大切さもわかってるつもりだったけど
ちょっと言葉が悪かった・・・
お詫びいたします。

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 (自然を尋ねる人)
2018-05-22 12:13:45
私の地方でも明治時代は桑、桃、ハッカに対応した使途は分限者になったようです。
今も桑の木は健在で桑イチゴが色づいてきました。
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