今日から循環器病センターに2度目の入院をして、前回は右の頚部(首の血管)に溜まったプラーグ(堆積物)を手術により取り除いたのですが今回の入院は左の頚部を同じように手術を受けるためです。少しは要領が分ったとはいえやはり、心配には変りはありません。
それで、入院中に読む本を書棚から選び出したのは2冊が仏教の本、あと1冊は精神論の本です。人間ピンチには何かに縋りたくなります、日頃はあまり宗教心のないツモ爺でも何か心の支えになるものが欲しくなりこのような本を病院へ持っていく気になりました。
私が幼い頃、周囲にいた年寄は何か言うと「なむあみだぶつ」を繰り返していました。一体なぜだろう?という疑問を持っていました、今自分がその年頃となりようやくその心境がボツボツ解りかけてきました。一つは「あの世」に行くことが近くなってきたことです。
もう一つは、身体が老化により自由が利かなくなり不自由さを強いられ、生きていくことがつらくなり、これらの苦痛から早く逃れて「あの世」に行きたい願望を持つ、この2つの理由から「なむあみだぶつ」を唱えていたのだろう、と推察できるようになったのです。
なにはともあれ、この世のこともあの世のことも、すべて自然にお任せしてその中で生きていきたいと思っています。
それで、入院中に読む本を書棚から選び出したのは2冊が仏教の本、あと1冊は精神論の本です。人間ピンチには何かに縋りたくなります、日頃はあまり宗教心のないツモ爺でも何か心の支えになるものが欲しくなりこのような本を病院へ持っていく気になりました。
私が幼い頃、周囲にいた年寄は何か言うと「なむあみだぶつ」を繰り返していました。一体なぜだろう?という疑問を持っていました、今自分がその年頃となりようやくその心境がボツボツ解りかけてきました。一つは「あの世」に行くことが近くなってきたことです。
もう一つは、身体が老化により自由が利かなくなり不自由さを強いられ、生きていくことがつらくなり、これらの苦痛から早く逃れて「あの世」に行きたい願望を持つ、この2つの理由から「なむあみだぶつ」を唱えていたのだろう、と推察できるようになったのです。
なにはともあれ、この世のこともあの世のことも、すべて自然にお任せしてその中で生きていきたいと思っています。