ツモ爺のひとり言~アートフラワー~

人生を少し長く生きた一人としての”私のひとり言”を聞いてください。

ツモ爺はB型です

2009年10月31日 19時56分14秒 | ツモ爺のひとり言
 つも爺の血液型はB型で感情の起伏が激しい方です、それでも若い時から較べれば、かなり穏やかになりました、調子の良い時は「やる気満々」ですが調子が悪くなると少し落ち込んでしまいます。でも最近は「落ち込み度」は以前より軽くなり「待てば海路の日和あり」とか「待つことも仕事のうち」と考えるようになりました。

 落ち込んだときに考えることは「自分の長所を思い出すことです」そうすれば曲がりなりにも健康だ、とかアートフラワーのアレンジに関しては人に負けない、その他色々なことを思いだし元気が出希望がわいてきます。やる気はドーパミンホルモンが出て元気がでます。

 そうしますと生命エネルギーも燃えて、健康にも良いはずです、情熱も出てきて仕事や対人関係にも好結果が得られて良い事ずくめになります、つまりイキイキ生きることができるのではないでしょうか。B型は感情の起伏が激しいと言われますが感情を常にハイ(高く)持って、落ち込みを軽くすれば良い血液型になります。

79歳は死にごろ?

2009年10月30日 19時29分27秒 | ツモ爺のひとり言
 三遊亭円楽さんの訃報のニュースが伝わってきました、享年76歳これまでも腎不全、脳梗塞、胃がんと闘い最後は肺がんで亡くなった、よくぞこれだけの病気と闘い生きてこられたものと賛辞をおくりたい。この他にも新聞の訃報の記事によれば75~76歳で亡くなる方が多いように思います。

 ツモ爺も79歳ちょうど死にごろの年齢で何時死が訪れても不思議の無い年齢です、しかし生きてる限りは一生懸命アートフラワーの製作と日々の生活には努力しますが、いつかは訪れる死に対してあまり恐怖心はありません。この歳まで生きられたのですから思い残すこともありません。

生死のことは自分の予想を超えた問題で言うなれば神仏にお任せするより仕方の無い事項です、円楽師匠はテレビの笑点の司会を長らくつとめられツモ爺の脳裏に焼きついています、生者必滅は世の習いとは言え、いささか寂しく明日はわが身と思ったのです。

目からウロコがとれました

2009年10月29日 18時09分07秒 | アートフラワー
 素晴らしい本に出会いました『一回きりのお客様を100回客に育てなさい』高田靖久著、同文館出版の本です。要約しますとまずサンキューメール「お買い上げ頂いたお客様に3日以内に感謝の手紙を書くということ、あたり前のことですが今まで全然出来ていません、それでアナログ的ですが改めて感謝の言葉とともにツモ爺の店のうんちくと熱い思いをつ綴った手紙に最新作のアートフラワーの写真2葉を同封して出しました。

 そうするとどうでしょう、手紙を出したのが25日それから今日4日目にさっそくお得意様からの注文が入りました、もちろんその手紙をご覧になってのことです、さっそく効果が現れたのにツモ爺はビックリ、これからまだ出せてない先にお手紙を書いて出そうと思っています。

 この本の急所は「お客は忘れている」それを思い出してもらうための作業なのです。続いて二の矢、三の矢が用意されています、3日以内のサンキューメールは出せませんが過去に買っていただいた顧客名簿は残してありますので、その1軒1軒に出すつもりです、本当に自分が根本から間違っていたことに気づき、まさに目からウロコがとれました。

小さいものから大きいものまで

2009年10月28日 18時48分54秒 | アートフラワー製作日記
 写真のアートフラワーを作り上げました高さ:1.2メートルの大ものです、先日写真でご覧頂いたブリザーブドフラワーのアレンジは高さが15センチで小さなものから今日のアレンジのように大きいものに取り掛かるときは少しばかり勘が狂いそうです、でも製作に入りだすとそれなりに手が動いてくれます。

 今ツモ爺の一番の財産はアートフラワーを作り上げる技術です、この仕事を始めた時は専門家を雇いながら、それでも自分の思いどうりに仕上がらず、いつもイライラするばかりでした、あれから約10年自分でアレンジを始めて随分授業料を払いながらやってきました。ツモ爺の持論で10年続ければプロになれる、これを自分自身で経験しました。

 今この技術はお金では換算できませんが身についたものですから人に取られる心配はありません、これからも研鑽を続けて生ある限り頑張りたいと思っています。

13万円の電気自動車

2009年10月27日 18時11分45秒 | ツモ爺のひとり言
 先日、25日(日)にNHKスペシャル”自動車革命②”ご覧になった方も多いと思います、中国で13万円の電気自動車が販売されているショッキングな話題でした。この車は日本から見ればチャッチイものです、しかし、これからの時代は電気自動車が主流になる予感がします。

 電気自動車の部品は現在のガソリン車の3分の1になります、ということは、現在の自動車メーカーでなくてもアウトサイダー的会社で完成自動車が生産出来る可能性が強いのです。ツモ爺が何時も愛読している長谷川慶太郎氏の本によれば3年後には100万円で電気自動車が販売されるという見通しです。現在は相当高値ですが。

 またハイブリッドもそれまでのつなぎで電気自動車が100万円で売られるようになるとこれも難しいということになります、車社会はここ⒉~3年が過度期で3年後ぐらいからは電気自動車が主流となりそうです。もっかツモ爺は古い車に乗っていますが、3年は現在の車を乗り続けようと思います。

 もう一つ、こういう情勢になると、現在のトヨタ、その他のメーカーも安泰ではなくなるということです。

デパートの人員整理が始まりました

2009年10月26日 14時44分15秒 | ツモ爺のひとり言
 昨日「デパートの難しさがよくわかります」というテーマーで書きましたが今日のニュースでは三越が希望退職を募集、年齢幅も35歳ぐらいまで下げて募集しています。デパート業は無くなりはしないでしょう、しかし、現状では多すぎることも事実です、いかに都市部に大きな消費者層があるとしても多すぎて、現在の百貨店全部が生き残ることは難しいでしょう。

 昨日ユニクロのことを書きましたが、客層が若い層から高齢者にまで広がっていて百貨店の客層まで食われているように思います、5~6年前のユニクロではツモ爺のような高齢者は店頭で見かけませんでしたが、昨今では中年、高齢層まで広がり、一旦味をしめると、もうデパートへはユニクロに無いものとか、いわゆるデパ地下の食料品またはスイーツにしか興味がおこらないでしょう。

 いま大阪の梅田は三越伊勢丹連合の新しい店を建設する予定です、現在の阪急、阪神、大丸の各百貨店の中へ割り込んでくれば如何に梅田といえども各社が十分な売上げを確保することは難しいのでは、まして現在の不況は尾を引き2~3年では回復が望めないでしょう、いずれ淘汰が始まるのではないでしょうか?

デパートの難しさがよくわかります

2009年10月25日 17時55分47秒 | ツモ爺のひとり言
 妻に誘われて千里へ出ました(家から車で15分ぐらい)お目当ては土曜日に入るユニクロのチラシに誘われての買い物です、千里のピーコック大丸の5階にユニクロの店舗があり、ご存知のとおり土曜、日曜日は割引セールがあり、多くの客で混雑していました、レジは5台がフル稼働、しかもレジ待ちの客が約30名ほど並んでいます。

 これを見るデパートの人たちの心境はどうでしょうね、きっと腹立たしいか、アキラメのどちらかでしょう、ツモ爺も誘われてジャケットとパンツそれいあわせてシャツとベルトを購入合計11000円ぐらいでした。ユニクロ製品はコーデネートを上手くすれば、お買い得で価格以上の値打ちを発します、日頃アートフラワーの色合わせをしていますから、その点はお手のものでしかも時間も要しません。

 帰宅してからそれにネクタイを合わせるとまるで専門店で販売するぐらいの価値が出てきます、若い人たちにそのコーデネートを見せると「ユニクロらしからぬ商品だね」とお褒めとも、くさすのかわからぬ言葉でした。ジャケットの風合いが少々硬めなのを除けばデパートで買う品と殆ど遜色ありません。

大阪船場の続き

2009年10月24日 15時12分22秒 | ツモ爺のひとり言
 昨日大阪の船場地区のあるお店を訪問しました、その帰途周辺を観察しますと昔とは大幅に変化しています、まず繊維関係のお店が昔は100パーセントといってもよいほどの占拠率でしたが、いまや少数派になったように見受けました。昔の大阪船場は繊維に関する商品の集散地でした。

 大阪の船場から地方問屋、地方小売店に繊維製品を卸していました、紡績の多くは関西に立地していた関係上、こと繊維製品に関しては大阪船場の商社や問屋の存在を無視できないほどでした。それがいまや殆ど影をひそめてしまった感がするのです。もちろんツモ爺は門外漢ですから実態はわかりませんが町並みを見ていると繊維関係の店が当時と較べて激減しているような感じを受けます。

 考えてみるとユニクロなどは中国や周辺の国でモノ作りをしていて原料はその国のものを使用しています、日本の繊維はその分減ります、従って大阪船場でも繊維の取り扱いは減少するでしょう、大阪船場は繊維以外の商社、商店、食べ物関係のお店がうんと増えています。往時の船場と現在の船場は大幅に変化したと感じました。

大阪市内の船場へ行きます

2009年10月23日 14時29分12秒 | ツモ爺のひとり言
 船場と言ってもご存知の方は少ないかもしれません、正確にいえば大阪市中央区本町の付近です。繊維の問屋が集中する街で現在でも伊藤忠商事や丸紅といった商社が現存します、昭和27年ごろにその繊維問屋の1軒にツモ爺は就職し、以降24年間勤めました、その間ツモ爺は仕事に恵まれ大ヒットを飛ばし社内でも肩で風を切るような勢いでしたが、その反動を受けて失敗も重ね、喜びと苦い経験が両立する時代でした。

 でも、今では考えられないようなモノ不足から現在の豊熟な時代への移り変わりをつぶさに見てきました、なにかウタカタノ夢を見てきたような気がします。なにしろ79年の人生を重ねてきたのですから、中でも船場時代の思いでは若かりし頃ですから今でも強烈な印象が残っています。その当時社長から教えられた事が現在のツモ爺の基礎となっています。

 その懐かしい船場へ今日は所用があり出かけます、仕入れなどで車で通りすぎることは度々あるのですが、その船場がどのように変化しているだろうか、と好奇心を抱いて見てきます。

仕事はほとんど独りでやる

2009年10月22日 17時49分03秒 | ツモ爺のひとり言
 一部妻と娘に仕事を手伝ってもらっていますがアートフラワーの仕事の殆どはツモ爺ひとりでこなしています。今日も大きな荷物の出荷を2個出しました。伝票、送り状、手紙を書き、パッキングケースを吹田へ往復約1時間20分かけて引き取りにいきます。ラッピング(セロフアンで包装)とアートフラワーが大きいため荷作りの一部を妻に手伝ってもらいました。

 仕事の大半はツモ爺が受け持ちます、つらいと思う時もありますが、これが高齢者にとってとても良いということがわかりました。というのは先日のNHKテレビの放送の『プロフエッショナル』で脳のアンチエイジング、つまり脳を老化させない方法を脳科学者の茂木さんが説明をしていました、ご覧になった方も多いと思います。

 脳を老化させない方法は幾つかありましたがその中の一つに「こまごました仕事を他人任せにず自分でやること」があり秘書などにすべてを任す行為は老化しやすい、とありツモ爺は仕事の大半を自分でやり時にはつらいなあと感じていたのですがこれが脳の老化防ぐと聞き、これからは喜んで仕事をやらねばならぬと思ったのです。