ツモ爺のひとり言~アートフラワー~

人生を少し長く生きた一人としての”私のひとり言”を聞いてください。

後期高齢者医療保険について

2008年10月31日 17時48分55秒 | ツモ爺のひとり言
 かかりつけのの眼科医院へ行って気づいたのですが、患者の8割は私を含めて高齢者です、また、かかりつけの内科医院も高齢者の割合は似たようなものです。つくづく高齢者は病気に罹りやすいと改めて感じます。

 ツモ爺も今年は白内障の手術から始まり頚動脈の手術を2回行いあと腰部(脊椎管狭窄症)の手術をこれから行います。自分の痛さもさることながら、もし保健が無かったら、人生は早くに終わっているような気がします。それだけにこの保健の制度には感謝しています。

 つい先だっても後期高齢者の保険料を年金から天引きするようになり随分世論はもめていました、これは息子か娘の家族の一員にしてもらうと保険料を払わなくて済んだのですが、これを年金から保険料を天引きするという制度となり不満が噴出したのです。

 ツモ爺などは最初から別所帯になっていましたから保険料は払っていました、今まで払わなくて済んだ人は儲かったので、これからは皆同じということになります。いずれにしても高齢者は現実に医療や保健のお世話にどうしても多くなり勝ちです、気持ちとしては有り難うございますで良いのではないでしょうか

歩く姿は人生を物語る

2008年10月30日 17時02分24秒 | ツモ爺のひとり言
 車で大阪へ出ました、駐車場が満杯でしばらく待つうちに、道行く人の姿が目に入ってきます、高齢の方は何となく所在なさそうに歩いています、さしあたり何という用事もない、ただぶらぶら歩いているという姿です。ビジネスマンは目的に向かってさっさっと歩いていきます。

 恋人同士でしょうか話をしながら歩く姿は何となく楽しさがこちらに伝わってきます。買い物帰りの女性はさて、今夜の料理はと言わんばかりに大きい荷物を抱えています。それぞれ目的があると足の運びも違うように見えてきます。

 若い女性の2人ずれはブーツが光っていました、今年の新しいブーツをはいておしゃれを満喫して歩く姿はほほえましいものです。ツモ爺は腰痛から歩けませんから人の歩く姿はとても羨ましいのです。人々が歩く姿はその人の人生を物語っているように見えました。

カラオケはフアッションを盛り上げます

2008年10月29日 16時57分11秒 | ツモ爺のひとり言
 来年の2月に妻のカラオケの発表会があります、既にその時に着る衣装は部屋の人体にかかっています。2月の会はかなり気のはる発表会らしく草々に衣装を決めているようです。こうしてみるとカラオケは婦人服の購買に一役買っています。普通に考えれば妻の年代はもうそんなに衣装は要りません。カラオケのあるお陰で次々と衣装が必要となります。

 もちろんそんなに高価なものは買えませんが次々とある発表会は同じ衣装でというわけいかず、いつも頭を痛めています。組合わせを変えたりして工夫をしています。2月の前に地域のクリスマス会のカラオケがあり、これも今工夫を凝らしているようです。

カラオケのおかげで婦人服やさんもうるおい、当人も頭の活性化につながり、やはり”モノゴト”があるので社会も活性化しますね。

車のキィー

2008年10月28日 16時53分15秒 | ツモ爺のひとり言
 先日雨の降る夜のことです、所要があり車で出かけようとしたところ、ポケットを探るとキィーが見当たりません、とって返すのも面倒でスペヤーキィーを使って車を走らせました。帰宅してやはりキィーのことが気がかりであちらこちら探すのですが見当たりません。

 側でツモ爺の姿を見ていた妻も一緒になって探してくれたのですが、いっこう見つかりません、半分あきらめかけたところ妻は懐中電灯をもって雨の降る庭に出て遂にキィーを見つけ出しました。結局ポケットに入れたキィーが不充分で落ちたのでしょう。

 ほんとにその時は助かりました、と同時にカミサンの存在と行為に深く感謝せざるを得ません、もし、独り身だったら人の好意に縋ることもできず、人生の寂寞さを強く感じるでしょう、今独身を謳歌する向きも増えていますが、人生は何時も調子が良いとはかぎりません、不調の時こそ伴侶の存在を強く感じるのではないでしょうか。

 伴侶を亡くされた方には申し訳ありません。

ひき逃げか?

2008年10月27日 17時12分43秒 | ツモ爺のひとり言
 今日車で、とある交差点に差し掛かったところ警察の事故処理の車が2台止まって何かモノモノしい様子、交差点の真ん中では4~5人の警察官がルーペ(虫眼鏡)を手にして微細なもを探している状況から判断すると、車の塗料の破片を見つけるための作業のように判断しました。

 最近ひき逃げ事件が多くなり、この現場も多分それではないかと思います。先日の新聞では現場の塗料の破片から車の車種を割り出して犯人を検挙する例は98パーセント、ひき逃げは殆ど逃さない、検挙率の高い犯罪のように書いていました。

 と言うことは、事故を起こしたら被害者の救助と119番に通報して被害者を助けるようにしなければならないということになります。それが分っていてひき逃げをするということは頭かくして尻隠さずになり割の合わない犯罪となりますね。

日曜の夜は篤姫

2008年10月26日 19時17分42秒 | ツモ爺のひとり言
 今日の『篤姫』はご覧の通り篤姫と和宮との間の葛藤から番組の終わりには和解するところで終わりました、篤姫は薩摩藩、和宮は皇室それぞれ出身は違えども、夫亡きあと息子亡き後、ともに徳川の人間として立っていく覚悟を定めたのです。

 この慣習は日本人の持つ特に女性の覚悟、嫁してはその家の人になりきる美風ではないでしょうか?外国の女性のあり方はどうなのでしょう。

 篤姫も和宮も結婚はしたのですが残念ながら子供をもうけることが出来なかった事情がありますが、普通であれば子供がありその子供の成長を見守るために婚家に残るのが普通で実家へ返るのはむしろ特殊なケースだったろうと思います。

 ともあれ、来週から幕末の幕は切って落とされ大波乱が始まるような予感がします。歴史に翻弄される篤姫、和宮の態度が期待されます。

流行る店の流儀

2008年10月25日 18時10分15秒 | ツモ爺のひとり言
 息子と孫にイタリアンの生バスタを夫婦で食べに連れていってもらいました。満員で待つ人が多く私たちは4番目の入店待ちです。小さなお店で約8テーブル(4人がけ)ぐらいで、すぐ一杯になってしまいます。店の外で待つことしばし、待っている人たちに紙コップ3分の一ぐらいのウーロン茶がサービスに出されました。また暫らくするとこの店自慢のバケット(パンで中が柔らかく外がカリッとしたもの)が出てくるのです。

 待っている客にこんなサービスをする店は少ないように思います、やっと順番がきて入店して美味しい生バスタを注文して、4人がそれぞれ違った料理を注文して、4通りの味を味わってみました。夫々に特徴があり次はこれを注文しようと言いながら食べたのです。

 帰りにふと見るとこんなメッセージが目に付きました「午後1時から6時の間に1時間だけお休みさせてください」ということは、ひっきりなしの来客に休む時間もなくお店の人は働きずめで、ついにこんなメッセージを出さざるを得なくなるほど流行っているということですね。

 外へ出たら未だ2組のお客が待っていました。この店のように世間は不景気とは言いながら休む時間もないほど流行る店もあるということです。

夢の持ちすぎ

2008年10月24日 17時02分45秒 | ツモ爺のひとり言
 ツモ爺はこの歳になっても夢が有りすぎて体がついていけない、非常にジレンマを感じています。いずれの夢も実現可能に見えてくるのだから始末が悪いのです。いわば自分の能力も考えずに猪突猛進していく現状です。体の調子を日々考えながら「出来るだろうか、無理だろうな」と自問自答しています。

 夢の中心はアートフラワーの仕事です、大好きで自分の口から言うのもおかしいのですが今が一番油が乗っているように思えるのです。世間では画家、工芸家、作家と歳が加わっても円熟していく人が多いように見えます。

 歳と相談していい加減にあきらめたら一番無事平穏なのかも知れませんが、どうも自分の中にいる虫がうごめくのです。だからままよ!!無借金であればもし万が一自分が突然倒れても残った物を処分するだけにして置けばよい、と今は途中の野垂れ死にも覚悟して日々を過ごしています。

体重の増減いずれも難しい

2008年10月23日 16時43分12秒 | ツモ爺のひとり言
 ツモ爺は7~8月にかけて大きい手術を2回連続して受けて体重が58キロから50キロ約8キロも減少してしまい、医者からも「体力をつけてください、糖尿の方は薬で加減しますから」といわれそれ以来積極的に何でも食べて体重を増やすことに努力しています。

 ところが現在やっと50.⒏キロ退院後2ヶ月を経過しますがいっこうに体重は増えないのです、世間では体重を減らすことに多くの方々が涙ぐましい努力をしておられるエピソードをよく聞きます。減らすこともままならぬのですが増やす方もそう簡単にいかぬことが良く分りました。

 糖尿の加減で甘いものを口にせず、脂っこい食事も避けてきたのですが医者の解禁宣言で気を良くして好きなものを口にしていますが、ままなりません。体重を減らすのも増やすのも、思うように行かぬことに気づかされました。

親子の葛藤(かっとう)

2008年10月22日 19時20分23秒 | ツモ爺のひとり言
 ツモ爺は長男で今は亡き父と長い間仕事を共にしてきました。その間、父に対して随分と言いたいことを言い父の感情を損ねるようなこともしばしばありました。今から思うとツモ爺が幼稚で人の心を理解することに疎く、思えば申し訳ないことをしたなと後悔しています。

 現在、娘に仕事を手伝ってもらっています、時おりツモ爺の言葉足らずや、またミスから娘を怒らせてしまい手厳しい注意を受ける時があります。娘ですから普段は優しいのですが、時には「しまった!!」と思っても遅い時があります。

 ツモ爺が亡き父に対しては男ですからもっとひどいことを言ったような記憶があります。それに較べれば娘の言葉はかなり柔らかいのですが、やはり仕事を続けていくうえで親子の葛藤は免れません。

 今、改めて自分の過去の言動を反省しています。