日課のブログ巡りの最中に、第一報を知りました。大変驚いています。

↑今年7月31日、試合前のグラウンドにて。(帯広の森野球場)
■ イチロー育てた 仰木彬氏が死去(スポニチ)
■ 前オリックス監督の仰木彬さん死去(日刊スポ)
■ 仰木彬氏が死去-野茂、イチローを育成(サンスポ)
今年7月31日、帯広で行われたオリックス戦を観戦しました。(参照リンク⇒1 2)
試合前のグランドに立ち、選手たちの練習の様子を見つめる仰木さんの姿がありました。
何の気なくデジカメで撮影していたその写真を、よもやこんな形で使うことになろうとは。
現役時代からずっとパ・リーグ一筋でこられた方。
監督になってからも1988年のあの"10・19"とか、印象深い場面が数多くあった。
まだファイターズを応援し始める前は、純粋にスワローズファンだったので、
まだイチローも在籍していた仰木オリックスとの日本シリーズ(1995年)も印象深いです。
小林とオマリーの対決があったあの年です。
そして、2005年。
大阪近鉄とオリックスの合併により誕生したオリックスバファローズの監督に就任。
この危機的状況で監督を託せるのは両チームで監督経験のある仰木さんしかない!
…ってことで、70歳の高齢ながら監督を引き受けられたのでした。
今季、ファイターズとしてはバファローズ戦は13勝7敗と勝ち越しましたが、
私の見に行った帯広ではあと一歩届かずの敗戦だったこともあり、やたらと
小刻みな仰木さんの継投(⇒いわゆる仰木マジック)とともに苦戦の記憶が残る。
体調不良のため、監督を退任されたあとは入退院を繰り返していたそうで、
まさに人生の最後の最後まで、プロ野球のために尽力された方でした。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
ファイターズ公式HPにヒルマン監督のコメントが掲載されました。
突然のご訃報に接し 今は驚きと深い悲しみでいっぱいです。
球場でお会いする度に 優しいお言葉をかけていただき はつらつと指揮を執られた尊敬すべき監督でした。私事ではありますが私の母が死去したときも 御心遣いをいただいた事をありがたく思っております。
あまりにも突然なことなので 今はひたすらご冥福をお祈りさせていただくばかりです。
そういえば、私が観戦した道東の試合は、ヒルマン監督がお母様の死去に伴う休養から
復帰した最初のカードでしたね。こういうところにも、仰木さんの人柄が偲ばれます。

↑今年7月31日、試合前のグラウンドにて。(帯広の森野球場)
■ イチロー育てた 仰木彬氏が死去(スポニチ)
■ 前オリックス監督の仰木彬さん死去(日刊スポ)
■ 仰木彬氏が死去-野茂、イチローを育成(サンスポ)
今年7月31日、帯広で行われたオリックス戦を観戦しました。(参照リンク⇒1 2)
試合前のグランドに立ち、選手たちの練習の様子を見つめる仰木さんの姿がありました。
何の気なくデジカメで撮影していたその写真を、よもやこんな形で使うことになろうとは。
現役時代からずっとパ・リーグ一筋でこられた方。
監督になってからも1988年のあの"10・19"とか、印象深い場面が数多くあった。
まだファイターズを応援し始める前は、純粋にスワローズファンだったので、
まだイチローも在籍していた仰木オリックスとの日本シリーズ(1995年)も印象深いです。
小林とオマリーの対決があったあの年です。
そして、2005年。
大阪近鉄とオリックスの合併により誕生したオリックスバファローズの監督に就任。
この危機的状況で監督を託せるのは両チームで監督経験のある仰木さんしかない!
…ってことで、70歳の高齢ながら監督を引き受けられたのでした。
今季、ファイターズとしてはバファローズ戦は13勝7敗と勝ち越しましたが、
私の見に行った帯広ではあと一歩届かずの敗戦だったこともあり、やたらと
小刻みな仰木さんの継投(⇒いわゆる仰木マジック)とともに苦戦の記憶が残る。
体調不良のため、監督を退任されたあとは入退院を繰り返していたそうで、
まさに人生の最後の最後まで、プロ野球のために尽力された方でした。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
ファイターズ公式HPにヒルマン監督のコメントが掲載されました。
突然のご訃報に接し 今は驚きと深い悲しみでいっぱいです。
球場でお会いする度に 優しいお言葉をかけていただき はつらつと指揮を執られた尊敬すべき監督でした。私事ではありますが私の母が死去したときも 御心遣いをいただいた事をありがたく思っております。
あまりにも突然なことなので 今はひたすらご冥福をお祈りさせていただくばかりです。
そういえば、私が観戦した道東の試合は、ヒルマン監督がお母様の死去に伴う休養から
復帰した最初のカードでしたね。こういうところにも、仰木さんの人柄が偲ばれます。
すごく突然でショッキングなニュースでしたね。
限界を超えて今年の監督をやっていたんでしょう。
新生オリックスを作り上げるという最後の仕事をやり遂げて死ぬ。
すっごくかっこいい人生だと思います。
そういえば、今年はオリックス戦を見に行ったなぁ…と思って、パソ内のファイルをあさっていたら、記事中に紹介した監督の後姿の写真がありました。
真夏(7月末)なのに、長袖姿。その当時はさほど気にかけていなかったのですが、サンスポの記事を読み、抗がん剤の副作用の跡がある肌を露出しないためだったと知りました。北海道なので、それほど暑く感じなかったというのもあるんでしょうけど…。
最後の最後まで野球に命をかけた生き様だったんですよね。