トシコロのありのままの暮らし


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  島田身障園生M氏の恋もムダではなかった

2021-08-22 10:52:22 | 日記
  本人は悲しかったと思いますが、それがなければ手記を読んでも僕は心打たれず、この小説も書いていないからです。「人体実験」も大きいですが、それだけならば、今後はそれがない医療を作れば良いとだけ思い、医者たちに報告書を提出するにとどまったと思います。医者ではない僕にM氏は手記を渡さなかったでしょう。

  恋愛は本当は多様であり、結果は結婚だけでもないわけです。この恋は僕を動かし、島田療育園の小説という形で実を結ぶわけです。いわゆる世間で不倫と呼ばれているものを含めて、ムダな恋愛は一つも存在しないのかもしれません。また、同様に若い時に聞いた無教会伝道師さんの「同情や、中途半端な仲間関係で他人関わるのならば、恋愛しなさい」というお説教も懐かしく思いだされます。それもその通りですね。


  M氏の期待に沿えて良かったです

2021-08-21 15:54:12 | 日記
   秦野幸雄のモデルの島田身障園生M氏の事だが、「世間に広めてくれ」と言って、数ページに渡る手記文をくれた。氏は僕をボランティアの一人と見ていた。強い期待を僕にかけた。

  もう昔の事なので紛失はしたが、創立期の愛の様子、マー君という早くに天国行った園児、非恋、職員スト、おむつの屈辱感、人体実験、島田の狂いの嘆きと長文で綴られていた。きれいに印刷もされていたから、心ある職員さんたちがサポートしていたわけですね。

  今まで僕も気が付かなかったが、その手記に沿って書き続けている。順番もその通り。手記を小説化しているようなものですね。それに気が付き、時間はかかったものの、期待と言おうか、求めに応じられて良かったと思う。氏は「仲よくする」事は嫌いらしいが、友人に時間をかけてなれたわけでもある。例えば一緒に酒でも飲んで仲良くしても裏切り合い、ケンカになることが多いがそのような仲よりもはるかに良いと思う。M氏に出会って良かった。

  僕の位置付けだが、かつてはボランティアと呼ばれる事に抵抗があった。身障運動として行ったつもりだったと。でも、今はどうでもよいと思っている。僕が行って、何かを見て、僕なりの仕事が与えられたと。与えたのは神だろう。儒教的に言えば天、マルクス主義的に言えば歴史だが。とにかく、大きな経験でした。

アフガニスタン続き

2021-08-20 16:40:21 | 日記
アフガニスタンの国花は、赤いチューリップ。悲しく感じます。とは言え、本人たちが発想を変えるだけで問題は解決しますが。案外、日本の諸問題や、我々の個人的な事もそうかも知れませんね。僕の問題も。アフガニスタンの事から、日本や自分の事も思ったわけです。

  アフガニスタン共生のカギは日本の歴史にあり!

2021-08-20 10:45:54 | 日記
    結論から書くと、特にアフガニスタンは縄文日本の共生(「日本社会の歴史」網野喜彦著・中公新書。縄文時代の厳しい自然状況下、身障者も共に生きていた事が物証を交えて書かれている)、及び、江戸時代の「物を大切にする」文化に今後の国家再建のカギがあると思われる。


  アフガニスタン周辺は元々水は乏しく、夏冬の気温変化も激しい非常に厳しい所であり、人口も増えそうにもないわけである。その上、751年の唐とサラセン帝国の戦闘以来、今日まで断続的に戦争している。1270年間も。ならば、共生思想もただでは起きないではないか。タリバンに共生という発想が見られないのも、明らかにその歴史のせいであり、コーランのせいではない。女性はもちろん、各種障碍者やその他のマイノリティの事が非常に心配される。

  一方、マルクス主義も、資本主義も経済成長を前提にしたものだが、それらは「人口増加」という大前提がある。しかし、以上の通り、人口は増えそうにもない以上、旧ソ連がマルクス主義を押し付け、アメリカが資本主義を押し付けても、失敗するのも当然ではないか。旧ソ連やアメリカの高官たちは経済とか、マルクス主義、資本主義を判っていたのかとも言いたくなる。甘すぎた。また、もし、農業的な発想が強い中国が関わっても大失敗するのは見えている。かと言って、混乱の末、アフガニスタン人自身が共生思想を見出せば良いと思うが、戦乱感覚の身についた彼らに出るのか、判らない。

   一方、明治以降の日本の軍事や経済成長路線は当てはまらないだろうが、それ以前にあった「足るを知る」や「物を大切に」、人糞を肥料にする「循環社会」は今後のアフガニスタン人の生活の参考に大いになるし、物を大切にしていけば人を大切にする事にもつながり、テロなどの発想は次第に薄れ、優しさも出て、1270年間の戦乱葛藤も次第に消えていくのではないか。アフガニスタンは日本とは戦争した事がない以上、日本の事は受け入れられるはずだし。

  それは今後の日本や世界にも言える。少子高齢化で、資本主義継続も、マルクス主義復活ももう不可能だから。おまけに気候もどうか変わるか、判らない。温暖化で氷が解ければ、海水の塩分が薄くなり、結氷しやすくなり、逆に寒冷化するとも一部の科学者は警告しているし。まだ使えるものを簡単に捨てていれば、ペットもそうして、更には人間も大切にしなくなり、冷たい社会になるわけだし。アフガニスタンを通して、自分が生きている国、更には、自分の生き方も見直したいものである。物は大切にしようではないか。

 (因みに、日本の食料自給率は低い。経済的にも豊かと言えるのだろうか。それなのに、形の悪い野菜は捨てられるなど、アフガニスタンと別の意味で問題がある。昔は本当に野菜を徹底的に使っていたのに。また、江戸時代までは同性愛者をバカにしなかったとよく聞くし、盲人は大切にされた。今の日本人もご先祖さまから学ぶものは多いかもしれない)




 秦野幸雄のモデル人物の手記

2021-08-19 10:52:08 | 日記
  それを僕に下さったのが1977年12月。相当昔だから紛失したが、内容の二本柱だけは覚えている。自身の悲恋と、人体実験。内、まだ半分だが、一つを書き始められて良かった。まだ詳しくは述べらないが、「悲恋」を先に書いた方が書きやすいし、そのような理由もある。後に判る事である。

  モデルの身障園生M氏は世間に拡散して欲しいから僕にくれたわけである。でも、当時はできなかった。僕が入っていた福祉会、身障会とすでにわけのわからない内紛が起きて、島田どころではなかったからだ。その後に行った教会関係はもっと内紛が多発して、何もできない所だったし。時がたち、手記はいつの間にか、紛失したわけである。強いて言えば、77、8年当時は、富士福祉事業団という大きな福祉団体と間接的に縁があったから、そこの会報に報告文として投稿すれば良かったと今は思うが。小さな福祉会や身障会の雰囲気に当時の僕も浸かっていたから、そのような機転は利かなかったわけである。身障運動も、福祉活動もグループでするものではないのかもしれない。「内紛」はどのようなものでも、下らないわけである。

  それでも、65歳の今日まで生きられて、小説という形でM氏の切実な願いに答えられて良かった。