トシコロのありのままの暮らし


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細菌とウィルスへの人々の想いと、僕の経験

2020-03-05 13:18:47 | 日記
古来より、人間は「未知」を恐れる。雷のメカニズムがまだ判らなかった頃、ほとんどの人が雷を恐れた事は有名である。


   今、コロナ・ウィルスを世界中の人々が恐れている原因も、ウィルスには未知の面が今も多く、対応策も確立されていない事に尽きると思う。病原ウィルス全部がそうなのだが、特に今年になり、急に現れたこのウィルスは未知の極だし、肺炎には誰もかかりたくない事もあり、恐れられているわけである。


   第二次世界大戦前は病原細菌に対してが同様だった。未知の面も多く、人々は恐れた。それに、例えば、経済性や「病気がうつり、醜い姿になりたくない」という気持ちも絡み、各国でハンセン氏病患者は強制隔離に至ったわけである。第二次世界大戦前に生まれ育った世代は細菌関係の科学を知らない人たちも多かった。

  第二次世界大戦後は細菌関係の科学が急速に発達し、メカニズムも小学1、2年から学校で教えられたし、また、それに加えて、僕は小学時代からその事を独学もしていた。例えば、パスツールや野口英世の伝記とか。「アルコールは細菌を殺す」などの消毒法も。それ故に、細菌は恐ろしくないと思った。青年期にハンセン氏病関係の多摩全生園に行った時も、ライ菌などは全然恐ろしくなかった。それゆえ、気が合う伊藤まつさんという元患者には、最初から親友感覚で付き合ったものだ。その代り、僕は得体が知れないウィルスを恐れた。伊藤まつさんに会う予定をしても、僕が軽い風邪の時でも行かなかった。風邪のウィルスをうつしては大変だと思って。ライ菌やハンセン氏病よりも、単なる風邪の方が恐いと思っていた。

   でも、ライ菌などに対する恐れがない事は、ハンセン氏病への問題意識を深めなかったわけである。問題意識は「顔」に限定され、それは脳性まひ問題にも共通するため、混同さえしたわけである。

   今、コロナ・ウィルスのニュースを聞き、医学面以外にも、その関連の問題意識を広く、深く持っている。かつてのハンセン氏病への問題意識よりも、はるかに広く、深いものを。多くの人達がそうであるようだ。ならば、問題意識の根の一つも、恐怖感かもしれないと思うわけである。無論、恐怖感を伴わない問題意識もあるわけだが。

   ウィルス科学が発達し、人々の恐怖感が取り除かれる日の到来を望む。

今、世界で起きつつある事

2020-03-03 13:28:48 | 日記
もちろん、新型コロナ・ウィルスの世界的流行である。それを巡り、世界の人々は恐れていると伝えられている。医者ではない僕が、医学的な事は書けないが、それでも毎日、様々な視点から見ているわけである。これだけ科学が発達し、このウィルスの遺伝子構造も把握されているから、やがては特効薬もできると思うが、仮にこのウィルスが撲滅されても、世界は2019年以前の状態には戻らないと僕は見ている。何故なら、世界の歴史を見ると、世界的な大事件の後は必ず「歴史の流れ」が変わっているからである。中世末のヨーロッパのペストはそれまでの封建領主や教会絶対体制を揺るがし、ペストが収まった後も中世社会には戻らなかった。18世紀末のフランス革命とその後のナポレオン戦争はヨーロッパ社会を変え、ナポレオン死後もそれ以前の状態には戻らなかった。1929年の金融大恐慌、1985年の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故など、例はいくらでもある。ならば、すでに感染が全世界に広まり、更に広まりつつある今回の件も以上挙げた歴史的な事件と同じか、それ以上に世界を変える様子が強いだろうし、その前の段階として、各国の政治・経済・医療・人心などの矛盾がすでに明らかになっている。特に、貧富の差が激しく、医療体制も整わない国々で感染が拡大したら、どうなるか?という問題は誰でも判る事になった。気が付かされたわけである。そのような国々の貧しい人たちは、今までは単なる風邪でも医者にもかかれず、栄養や暖房状態も悪く、そのまま悲惨な死を遂げていたわけだし。医学以前に、政治経済の問題だったし、日本みたいに医療が行き届いた国々も、そのような国々の問題には無関心過ぎたと思う。それに多くの人たちが目を向ける。改善の一歩はそのような事だから。


  ただし、未来が見える訳でもなく、歴史が変わる事は判っていても、具体的にどのように変わるかは、僕にも判らない。変わるならば、世界中の人たちが「同じ人間」という広い心を持ち、助け合う世界になって欲しいと。貧富の差の原因が経済格差を生む社会構造ならば、その構造も変わってほしいし、変わらなければならないだろう。以上挙げた歴史的な変化の一つに「1929年の大恐慌」があるが、その後、世界は国家エゴ、民族エゴが蔓延し、国別の全体主義も出て、第二次世界大戦になった。その繰り返しだけは、御免である。

  最後に、本当に恐ろしいのは国家・民族エゴや戦争、経済格差であり、「贅沢さえすれば幸せ」という物質的な価値観であり、ウィルス自体ではない事を述べておく。今回のウィルスも、ご馳走を食べつくした人たちがより贅沢な食べ物を求めて、特殊なネズミの肉を求めてのものだったわけだし。そのような生き方は誰とも心つながないから、絶対孤立であり、実際は一番不幸な生き方でもあるわけだが。