トシコロのありのままの暮らし


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第二次世界大戦後に特に人々が死を忘れた理由など

2020-03-20 11:11:48 | 日記
「死の伝染病」であった結核が非常に減った事が一番の理由だろう。日本に限って言っても、戦前の小説などには必ず「結核」が出てくる。子供の時から親戚や友人、知人が結核にかかった話を多く聞かされた。学友や先生が結核で学校を止めていった例も非常に多かった。ならば、どんなに体が丈夫な人でも、子供の時から「死」を意識するわけである。青年期は結核の事を更に知るから、もっと死について想う。それに加えて、徴兵や戦争、インフルエンザとたくさんあった。また、結核絡みの文学も多かった。正岡子規、樋口一葉と。結核から自分の死を強く見つめ、繊細な神経にもなり、不朽の作品を残した。やはり、結核を持っていたショパンも。結核にかからなければ、名曲も、ジョルル・サンドとの恋愛もできていなかったに違いない。


  昔、頭の良い友人が「現代よりも戦前の方が人々は優しくて良かった。江戸時代はもっと良かった」と述べ、僕も変に思った事もある。その人はどうも歴史の上べだけ学び、結核とか、死を見つめる事に気が付かなかったらしい。医学面は知らない人だったから。しかし、今の僕は言おうとしていた事は判ると。

  85年ごろ、教会関係で聞いた話。「信仰・神の力はどこから?」という題の話の時に、一神学生がアメリカのある神学者の説を伝え、「生きようとする個人の強い意志が神の介入を招き、奇跡を起こし、人生成功に導く」と。その人もその考え方に賛成し、さらに「イエスも、モーゼも、シャカも、親鸞も、生きようとする強い意志を持っていた」と述べていたのを思い出させる。当時の僕もかなり賛同した。でも、コロナを下敷きにすると、それはおかしいという見方にもなる。また、イエスや親鸞までにも当てはめたのはもっとおかしい。誤解や曲解にも当たると。むしろ、逆だが。いくら強い意志を持っても、コロナや結核、交通事故などの「死」にはどうする事もできないし、また、強い意志からは人々は結ばれない・他人をいたわれない。自分すらも愛せないが。その説がアメリカから。つまり、日本だけでない事もよく判る。世界的な現象だっただろう。でも、その思想の流れも、今回のコロナで終わりそうである。