トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

花田春兆大先輩、逝く

2017-05-17 09:36:02 | 日記
  今朝の新聞に載っていました。享年94歳。


  本名は、花田政国。脳性まひを持つ身として生まれ、一生歩行不可能。享年から計算すると、生まれ年は1923年だったようですが、学齢になっても就学猶予され、泣いたそうです。その少し後に作られた東京の光明養護学校に入学。勉強を深くしました。卒業後も光明の研究科にしばらくいて、文学を特に学ばれた。


  第二次世界大戦後は得意の俳句と随筆文を書き、府文学が得意な身障者たちを集めて、「しののめ」という身障文芸誌を創刊し、戦後の障碍者運動の草分け的な存在にもなりました。その他にも多くの俳句誌に投稿されて、俳句会で知り合った健康な女性と40歳ごろに結婚され、子供にも恵まれました。時々句集や脳性まひに関する本も出版されていた。晩年もインターネットを使った社会活動をされていたようです。

  花田氏は日本で時々起きる障碍児が親によって殺される事件に特に問題意識を持ち、「命を一番の価値に据える社会に変えなければならない」と世間に訴え続けていました。

  謹んで、ご冥福をお祈りする次第です。

小中学生のみなさんへ・2017年春

2017-05-15 14:56:52 | 日記
 小中学生のみなさんへ.2017年春


 東京では桜も終わり、新緑のきせつです。吹く風も気持ちがいいですね。
 
ぼくは小中学の時は、光明(こうめい)ようご学校にいましたが、5月は遠足もしました。バスに乗って、どこかに行ったわけです。小学2年の時は埼玉県の所沢市にあった「ユネスコ村」というところに行きました。そこには世界中の家のもけいがあり、オランダの風車やアフリカのワラで作られた家を見て、小学生だったぼくも外国に想いをはせたものです。ちなみに、ユネスコ村はすでにありません。野球の西武球場になったみたいです。また、その時はそこから近い小河内(おごうち)ダムも見ました。今でこそ、中国の三峡ダムなど、大きいダムをぼくもたくさん知っていますが、当時は初めてダムを見たので、大変大きく感じ、感心もしました。
 
中学1年の5月には、神奈川県の三浦半島に行き、海と新緑を見ました。5月の海は明るく、新緑も光っていて、そのようすは今も目に浮かびます。ぼくは理科が好きだったので、新緑から酸素(さんそ)がたくさん出て、人間などの動物に役に立っていることも思ったわけです。
 
ふだんはむずかしいことを教えている先生たちも遠足の時は楽しそうで、バスの中では歌をうたうなど、生徒たちといっしょに楽しんでいました。
 
みなさんも遠足は楽しみでしょう。良い思い出を作って下さい。


佐久のみなさんへ・復活第一号

2017-05-13 11:04:52 | 日記

佐久のみなさんへ.2017年春

 その手紙が着くのは5月ですね。新緑(しんりょく)がきれいな時です。信州の山々も若い緑につつまれるわけですね。
 ぼくの母は長野市で生まれたわけだし、長野に旅行(りょこう)を夏や秋には何回もしました。5月は長野に行ったことはありませんが、テレビでその新緑の風景を毎年見ています。いいものですね。夏も近くなるため、山も昼間は明るく見えますね。
 長野県はリンゴの産地ですが、白いリンゴの花もテレビで毎年見ます。地味で、清らかな感じもして、ぼくも好きです。秋にはリンゴの実がなるわけですね。
 そう言えば、ぼくは会津や岩手の子供たちにも文を書いては送っていますが、東北地方もリンゴの産地です。リンゴの実はかたく、そのまま食べると歯にわるいかもしれませんが、食べにくい人は薄切りにすれば良いわけだし、えいようもあるから、大いに食べましょうね。ぼくは毎日薄く切ったのを食べています。
 以前はH先生を通して、小学生たちに「佐久のみなさんへ」という作文を毎月送っていました。これからは毎月ではありませんが、また時々書いては送るわけです。そのファイル文は、会津や岩手の子供たちに送ったり、ブログやフェイスブックで流すわけです。よろしくおねがいしますね。
 今回はこの辺で。元気にしていて下さいね。

 

佐久のみなさんへ・復活第一号

2017-05-13 11:04:52 | 日記

佐久のみなさんへ.2017年春

 その手紙が着くのは5月ですね。新緑(しんりょく)がきれいな時です。信州の山々も若い緑につつまれるわけですね。
 ぼくの母は長野市で生まれたわけだし、長野に旅行(りょこう)を夏や秋には何回もしました。5月は長野に行ったことはありませんが、テレビでその新緑の風景を毎年見ています。いいものですね。夏も近くなるため、山も昼間は明るく見えますね。
 長野県はリンゴの産地ですが、白いリンゴの花もテレビで毎年見ます。地味で、清らかな感じもして、ぼくも好きです。秋にはリンゴの実がなるわけですね。
 そう言えば、ぼくは会津や岩手の子供たちにも文を書いては送っていますが、東北地方もリンゴの産地です。リンゴの実はかたく、そのまま食べると歯にわるいかもしれませんが、食べにくい人は薄切りにすれば良いわけだし、えいようもあるから、大いに食べましょうね。ぼくは毎日薄く切ったのを食べています。
 以前はH先生を通して、小学生たちに「佐久のみなさんへ」という作文を毎月送っていました。これからは毎月ではありませんが、また時々書いては送るわけです。そのファイル文は、会津や岩手の子供たちに送ったり、ブログやフェイスブックで流すわけです。よろしくおねがいしますね。
 今回はこの辺で。元気にしていて下さいね。

 

佐久のみなさんへ・復活第一号

2017-05-13 11:04:52 | 日記

佐久のみなさんへ.2017年春

 その手紙が着くのは5月ですね。新緑(しんりょく)がきれいな時です。信州の山々も若い緑につつまれるわけですね。
 ぼくの母は長野市で生まれたわけだし、長野に旅行(りょこう)を夏や秋には何回もしました。5月は長野に行ったことはありませんが、テレビでその新緑の風景を毎年見ています。いいものですね。夏も近くなるため、山も昼間は明るく見えますね。
 長野県はリンゴの産地ですが、白いリンゴの花もテレビで毎年見ます。地味で、清らかな感じもして、ぼくも好きです。秋にはリンゴの実がなるわけですね。
 そう言えば、ぼくは会津や岩手の子供たちにも文を書いては送っていますが、東北地方もリンゴの産地です。リンゴの実はかたく、そのまま食べると歯にわるいかもしれませんが、食べにくい人は薄切りにすれば良いわけだし、えいようもあるから、大いに食べましょうね。ぼくは毎日薄く切ったのを食べています。
 以前はH先生を通して、小学生たちに「佐久のみなさんへ」という作文を毎月送っていました。これからは毎月ではありませんが、また時々書いては送るわけです。そのファイル文は、会津や岩手の子供たちに送ったり、ブログやフェイスブックで流すわけです。よろしくおねがいしますね。
 今回はこの辺で。元気にしていて下さいね。