トシコロのありのままの暮らし


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僕と文化との関わり

2017-02-14 16:33:56 | 日記
  まず、文化とは何だろう。カルチャーの語源は耕す。つまり、心と社会を耕す事ではないだろうか。書く前に検索してみたが、納得した言葉はなかった。「民族的、部族的な習慣」では抽象的で、判りにくいし。強いて言えば、鉄道敷設は文明に当たるが、日本の習慣である正月の門松は文化である。又、昔は地域ごとに特有の文化が色濃かったし、ピカソの書いた絵など、個人的な文化創造もある。


  僕も中学までは文化に関心はなかった。その言葉は知っていたが、考えた事はなかったわけだ。

  1971年。高校1年の時、中国古典詩(日本では、漢詩と呼ばれている)の教え方のうまい先生に出会い、李白や杜甫などの古典詩の面白さに魅かれてから文化に強い関心を持つようになった。文学に留まらず、絵画や彫刻、書道などにも関心を持つようになった。これが文化との出会いだったようだ。


  その数年後、東村山市にある多磨全生園に行き、見事な絵などを絵描いているハンセン氏病元患者の伊藤まつさんに出会い、引き寄せられるようにそこにたびたび訪問した。又、同じ年、障碍者施設の寝たきりの詩人である野口栄一氏にも会った。その後、氏は群馬県に移住したが、やはり、その詩に魅せられて、引き寄せられるように手紙を書き続けた。二人は今は天国にいるが、死ぬまで付き合っていた。慰問感覚でもないし、他の友人とも違う感じで、付き合った。何故、付き合っているのか、二人が地上にいた時は判らなかったが、今は判る。二人共、文化創造者で、その作り出す文化から人柄も、心も伝わり、二人が本当に大好きになり、天国に行くまで付き合い続けたと。文化は人を結ぶと言うしかない。

  又、以上の二人の生き方が大好きである事は、僕自身も何か文化創造がしたい気持ちが心の奥にあったと思う。でも、何ができるか、具体的にどんなものを作りたいか、自分でも判らなかった。ごく最近になり、多くのキャンプ経験などを生かした童話ではないかと気が付きつつある。良かったと。

  先に書いた国内グローバル化の他、関東・東京地方は第二次世界大戦中の爆撃の影響も重なり、早くから地域社会・地域文化が廃れたようである。本来ならば地域社会・文化の一部として学校があり、ボランティア活動や障碍者運動もあると思われるが、僕の住んでいる東京では、いきなり教育問題を考えたり、ボランティア活動や障碍者運動をする例が多い。又、いきなり友人になろうとか。僕の入った福祉・教育・親睦・身障運動の会は全て早くに行き詰まり、潰れている。ある会は内部で大ゲンカになり、別の会は訳の判らない理屈ばかり言うようになって。友人になろうとしても、話がすれ違ったり、ケンカになったり。その理由について今までの僕も判らなかったが、最近になり、文化によるつなぎがない為だと判りつつある。それがなければ、いきなり教育を論じようが、ボランティアや障碍者運動をしようが、ダメなのだ。又、仮に結婚しても離婚にもなるし。神様を信じようとしても、自分だけ神に祈る形になり、大切な神によるつなぎもない。神仏も文化基盤の上に成り立つものかもしれない。因みに、マルクスは経済分析は見事だが、文化面の考察が欠けている。19世紀半ばはまだ文化についての哲学的な考察が行なわれなかった時期であり、時代的な限界だったと思う。

  これからは僕も文化創造者でありたいものである。文化は人間の特徴でもあるし。
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