トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

文化人の反対とは

2017-02-18 17:32:15 | 日記
 野蛮人だね。だから、文化破壊の進んだかつてのドイツでナチスが出たり、今の日本でアダルトが陰で流行っていると。ナチスやアダルトを非難しても、取り締まっても始まらない。もっと悪いのが出てくるよ。
 今気が付いた事だと。文化破壊は恐いし、気が付かない事はもっと怖い。

世界平和と文化の追記・マルクスは

2017-02-18 13:48:57 | 日記
  マルクスは社会の事を「上部構造と下部構造」に分けたが、簡単に言えば、上部構造は精神的なもの全般、下部構造は経済全般である。そして、両者は「互に影響し合いながら、発展・進歩する」と述べたわけだ。どちらが優位とも述べていない。


  ところが、後継者たちが勝手に下部構造優位だと解釈し、信じ込んじゃったのだね。それゆえ、かなりの後継者は文化を軽視するようにもなり、特に各国の地方文化を破壊していった。共産圏では地方文化破壊が激しかった。スターリンの行なった事はその典型である。

  また、それがゆえに、後継者の中からも「労働が人を結ぶ」とか「お金が人を結ぶ」という考え方も出て、マルクス主義者ではない人たちにまで影響を与え、社会を混乱させた。今思うと、19世紀以降の資本主義と大して変わらない発想である。反資本主義・反お金主義の人たちの受け皿になっていたのかは非常に疑問である。私見を述べると、大して変わらない気もするが。

  文化の面でもマルクス主義はあいまいな面を多く持っていたわけである。本当の労働行為も文化を背景にしないと出てこないし、その文化は本当は極めて大きなものである。時代ゆえに仕方なかったとは言え、マルクスは文化を過小評価していた面は否定できない。

世界平和と文化

2017-02-18 11:00:06 | 日記
  ラジオで非常に貴重な話を聞きました。NHK第二放送で毎週木曜日、午後8時30分・再放送は翌週木曜日午前10時から「科学と人間」という番組を放送し、今は生物学者の中村桂子さんが「まどみちおの詩で、生命誌をよむ」いう講義をしていますが、その放送とテキストの中に以下の言葉があったので、ご紹介します。テキストで言えば、69ページです。お持ちの方はお読み下さい。


  「ひとはなぜ戦争するのか(アインシュタイン、フロイト共著・講談社学術文庫)」からの引用です。そのフロイトの言葉。

  「戦争への拒絶は『体と心の奥底からわき上がってくる』ようになる事が大事で、それを生み出すものは文化、平たく言えば、みんなのつながり」

   確かに、第一次大戦後のドイツは人々のつながりが非常に欠落したため、好戦的な思想を持つナチスを登場させました。その例だけで説明は十分でしょう。そして、第二次世界大戦後の日本の関東地方も、かつてのドイツみたいに文化基盤が崩れていました。僕がかつて直面した状況は実際は非常に深刻で、かつ、世界平和にも通じる大きな問題だった事もよく判ります。

   ところで、日本に限らず、国旗・国歌は文化と言えるのか。関係はありますね。その国の文化を取り入れているから。でも、文化自体とは言えず、従って、それらを通して人々がつながる事はあり得ないと僕は見ています。何故なら、どの国の国旗・国歌も国の中央役人が定めて、国民に提示して、議会で承認されたものばかりですから。本当の文化は民衆の間から、又は、個人レベルで作り出されるものだからです。性格が違うと。それゆえ、どのような国でも、国旗・国歌の下、人々をつなごうとするとムリが生じたり、地方文化を破壊させる事にもなる。民衆文化とか。その結果、国家組織に忠誠を尽くす人が多く出て、次第に排他的な国にもなり、そこに軍部がわがままを出せば、軍国主義にもなっていくものです。現に、フランス革命後のフランスでは、ナポレオンが登場し、国旗と国歌を掲げて、その理念を広めるため、あのような大きな戦争を起こしました。日本でも明治以降は国旗・国歌で国をまとめようとして、地方文化や琉球、アイヌ文化を破壊もして、昭和になり、軍部のわがままも絡み、軍国主義になりました。国旗・国歌はその国の象徴と考えるべきでしょう。文化とは区別する必要があります。世界国家ができていない今はそれらのものも世界の制度としては存在するのかもしれませんが、そのようなものに過度の期待を抱く事は過去の歴史から否定もされているわけですね。

  とにかく、日本も文化で自然に人と人が結ばれるようになる事を願うわけです。

  



 

70年代後半の世田谷福祉関係と東京VYSのひとたちが求めた福祉のカギの答え

2017-02-17 11:49:56 | 日記
  僕もそれらの一員だったが、その答えも「文化基盤によるつながり」だったね。当時の東京は福祉の事が世間に知られ始めた時期で、ボランティアを志す人や、身障者運動を始めたり、町に積極的に出ようとする身障者が増えていった。施設にいる身障者も友人を作ろうと、文通友人を求めたり。でも、それらの付き合いは障碍の有無に関係なく、ぎこちなく、厚い壁を感じていった。また、福祉関係ではない人たちも、大学や職場で友人や恋人を作れなかったり。当時の若者向けの雑誌にもそのような問題が取り上げられていた。小中学時代の同級生たちとも付き合いが卒業後は切れていく例が当たり前みたいにもなっていた。多少の違いはあったが、恐らくは東京の当時の若者のほとんどは人間関係のおかしさを感じていたらしい。


   それゆえ、僕の入っていた世田谷の身障会や、東京VYSでも「どうしたら、多くの人がつながれるのか。又、バラバラになっている理由は何か」を真剣に話し合ったものだ。「原因は差別ではないか」とか「学校だろう」とか。答えは出ないまま、仲間間の付き合いもうまくいかず、ケンカになったり、理屈をこねるようになり、両方共、早くに潰れてしまった。元構成員たちは答えを求める事をあきらめた人、追い求めたひとなど、個人個人違った。釈然としないものを持ち続けた点は共通しているが。僕はその後も求め続け、詳しくは語れないが、キリスト教関係に行ったり、放送大学で学んだりした。皮肉な事に、そのキリスト教関係の人たちも同じだった。つまり、「人と人をつなぐものは何だろう」と言い合っていたわけである。神などはつなぎになっていなかったようだ。そこもケンカが多く、落ち着かない所だったので、僕も早く去った。

  以上の答えは「文化基盤」だった。確かに、国内グローバル化と、第二次世界大戦中の激しい爆撃で、関東地方も先祖代々受け継がれてきた文化基盤は崩れて、地域の人たちのつながりも非常に薄く、子供たちはいきなり学校に行く状態。子供同士もまともに付き合えず、付き合いの訓練も足りない。それで大人になり、ボランティア活動や身障運動してもうまくやれるわけもない。又、学校も地域文化の延長ではないから、親のエゴも絡み、受験目的の機関にしかならない。文化基盤が地域になければ、学校も歪んで来る。当然である。又、僕の行った教会も本国の文化習慣をそのまま当てはめたものに過ぎない。日本の文化と折衷させる発想はない。それなら、文化基盤のないものになり、信仰も成立しなくなる。付き合いも難しく、ケンカにもなるわけだ。

  文化基盤は大切である。今の僕が思っているよりももっと大きな問題かもしれない。証拠がある。次のブログで御紹介したい。

  とにかく、昔の難問の答えを見つけられて、良かったと思う。

文化が再生した日本社会の介護・年金・農業の姿と、現実

2017-02-16 14:01:04 | 日記
   読者の皆様は変に思われるかも知れないが、その具体的な姿はまだ僕の脳裏には見えて来ない。でも、見えないなりにも、今とは大きく違う事は判る。介護職や農業も高度な文化的仕事とされて、世間に認められ、尊敬も集める事は今の僕にも判るが。


  現実を見てみよう。介護もすでに職種として認められてきた。それは良くなった点である。でも、介護会社は資本金の多い所ほど、有利に働き、多くある中小の介護会社はよく潰れている。そこに勤めているヘルパーさんたちは潰れると別の会社に行くか、転職や退職を余儀なくされるのが現実である。これなら、落ち着かない。介護にも打ち込めないわけである。

  以上の問題について何年も考え続けているが、お金の他、今の社会システムや文化基盤にも問題がありそうである。文化を通しての人々の絆が薄れている状況では、人を相手にする介護職も難しいのかも知れない。社会にもっと簡単に人々が関わり合える状態が介護関係にも必要である。

  また国民年金も。今の日本の中央に集中しているシステムはいかがなものかと。身動きもできなくなっている事は高校生でも判ると思う。例えば、1929年のような大不況が来たら、そのシステムはいっぺんで崩れ、本当に恐ろしい事になろう。日本国は分割できなくても、例えば、関東ブロックとか、関西ブロックというように、分割も必要かもしれない。それから、文化が再生した社会では物価も安定して、今ほどはお金を頼りにしない社会にもなるのではないか。

   農業。従来の農業にしろ、農業工場にしろ、文化を尊ぶ社会では、創造の横綱として、農業が非常に尊重されるようになるはずだ。それだけは僕にもよく判る。僕は農業の事はよく知らないが、フェイスブックに農業に強い関心を持つ人がいて、付き合っているので、その事も述べたわけである。確かに、毎日毎日、農業製品を誰もが食べているから、無関心ではいられないわけだ。