トシコロのありのままの暮らし


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童話と動物擬人化

2017-01-09 13:31:07 | 日記
  昨日(8日)、インスピレーションが閃き、童話を突然書き始めている。誰でも閃きがある事は滅多にないので、それに従った方が良いだろう。


  その諸々の童話から、動物擬人化のことも思った。昔から童話では動物が擬人化されているが、それを読む子供たちも理解できている。相当小さい子供でも。それはすごいことだと思った。人間の頭脳はかなり小さい時から発達しているわけですね。

  僕も学齢前から擬人化されたものを理解していました。当時(1960年ごろ)、テレビで、アメリカの漫画の「フィリップ猫」が放送されていましたが、それも理解していました。

 童話は書けたら、関わり合っている児童NPOに送るわけですが。詳しい事はまだ書かない事にします。

東条は何者だったのか?

2017-01-07 11:28:41 | 日記
  12月、NHKテレビで「極東裁判」のドラマが放送されていた。その裁判で東条が自分の戦争責任は棚上げして、昭和天皇に戦争責任を押し付けるような発言があり、僕は意外に思った。そのような事は社会科の教科書には載っておらず、僕は初めて知ったわけだ。また、両親や先生から「右翼と軍部が結びつき、戦争の道を日本は歩んだ。東条は右翼だった」と教えられたが、天皇に戦争責任を転化させるとは、果たして東条は右翼だったのか?と疑問にも思った。本当に右翼思想を持っていれば、そのような発言はしないわけだから。ずるい政治家の中には、本音を言わない例もあるが、東条も極東裁判まで本音は言わなかったのではないか。すでに故人だし、東条の持っていた思想は本当は誰にも判りにくいものだったかもしれない。東条は右翼という今までの僕の見方はそのドラマで崩れつつあるが、では、何者だったのか。判らない以上は僕もこれ以上は述べられないわけである。


  何も東条に限らず、例えば、満州移民を計画・推進した人たちの思想も右翼だと決めつける事は難しいのかもしれない。かと言って、どのような思想でそのようにしたのか、も極めて難しい話である。ヒットラーの作ったナチス思想でドイツの戦争問題はかなり理解できるかもしれないが、日本の場合は思想背景を探ること自体も難しいから。しかも、戦争経験世代は減り、更に判りにくくなっているのが現状である。

  もう一つ。右翼とは何かと考えていくと、右翼が伸びている今のフランスやオーストリアの政治・社会の事が理解しやすくなるかもしれない。ただし、ナチスの時の右翼とも違っているはずである。その時間的な違いも見る必要があるだろう。

伊藤まつさんの絵から想ったこと

2017-01-06 11:23:20 | 日記
  伊藤まつさんの絵は自己流だが、山水画のようにあっさりとしている。そこが僕の気に入った所だったようだ。


  絵を見る事が嫌いな人はいないだろうが、僕が絵を見る為に伊藤まつさんの所に行き続け、今はそれを公開もしている。あるいは、僕もそのような絵を描きたい気持ちも元々あったかもしれない。そのような気持ちがなければ、以上の事は説明できなくなる。でも、学校時代は絵の時間が嫌いだった。これもおかしかったので、振り返り、考えてみた。成程と思う理由が一つあった。小学から高等部まで、美術の時間では、鑑賞も、描き方も西洋画ばかりだったのだ。日本画や浮世絵は少しあったが、非常に少なかった。又、朝鮮や中国画は教えられなかった。それでも、中国画はテレビなどで時々放送されるが、独特の味わいのあるはずの朝鮮画は知らないで育った。西洋画も確かに素晴らしいが、日本人が追及しても限界があるのではないか。他に、日本画とか、東アジア人として、朝鮮画や中国画、ベトナム画を学校で教えるべきだと。


  僕も東洋的、日本的な感覚を非常に強く持っているから、学校で日本画などを教えられたら、絵の面白さを知り、鑑賞だけでなく、描きたい気持ちも出て、本当に絵も描くようになったかもしれないし、実際、日本にはそのような人たちが多くいるはずだ。僕の旧友たちの中にも、日本画などをさせたら伸びたような人たちが思い当たると。非常にもったいない話である。知的障碍者たちが優れた芸術作品を福祉作業所で作っているので、今の日本も文化国家になりつつあるが、学校で明治時代から日本画などを積極的に教えていたら、もっと早くに文化国家になったと思われる。

  日本では1853年にアメリカから黒船艦隊が来て、大騒ぎになったが、それで西洋に劣等感を持ち、自らも西洋人になろうとして、それまであった伝統を切り捨てた面があった。美術教育の件もその一つかも知れない。医療関係でも、効果はあるのに漢方医療を長らく無視しがちになった。確かに、細菌感染症には西洋医学が良いが、体内のバランス崩れの病気や免疫力強化には漢方薬が優れた効果を発揮するわけである。又、イギリスやアメリカと戦争をした第二次世界大戦中でさえ、ドイツに従ったわけである。美術関係にも根が深い問題があるようである。

  とは言え、もし、僕が本当に絵を描いていたら、伊藤まつさんの所に行ったか?、疑問である。恐らくは人生経路も大きく変わり、伊藤まつさんと出会う事もなかっただろう。そして、出会い、その絵の素晴らしさを知り、インターネットで公開もして、皆さまにも御紹介できた。僕は絵を描かなくて丁度良かったのかもしれない。

(伊藤まつ=1908年から1985年。少女の時にハンセン氏病を患い、以降、東村山市の多摩全生園で暮らし、一職員の勧めで、晩年は絵を描いた)





直筆の書を公開して想う

2017-01-04 11:24:47 | 日記
  「謹賀新年」と直筆で書いたものを公開しましたが、お陰様で各サイト共、多くのイイネを頂きました。フェイスブックでは、すでに114個頂き、感謝申し上げますし、僕自身も驚いています。そこから気が付きましたが、僕の直筆の書は芸術的なものがあり、いつも書いている文よりも訴える力がはるかに強力なのではないかと。確かに、文は読み、頭の中で考えて、時間を掛けて消化します。書く内容によっては、読者が消化不良を起こす事も多いわけです。その結果、誤解もされてしまう。


  でも、直筆の書は、視覚に直接訴えるから、そのまま脳に入っていく。写真の次に強烈な印象が出るわけですね。印象が早いし、消化不良もないでしょう。

   訴える力が直筆の書は強烈ならば、年末年始に限らず、時々は不定期的に季節感や自分の気持ちをそのように3字くらいの漢字に書いて、ヘルパーさんに写真に撮ってもらい、時々インターネットで流せば良いと思いました。今月は直筆の書はもう書く予定はありませんが、いつか書く予定です。(旧正月には、また「謹賀新年」の書を流しますが)。

  僕の書く字は独特ですね。元々左利きなので左手で書きますが、親指が全く動かないので、小指と薬指の間にペンを挟んで書きます。説明が難しいですが。別に誰かに教えられたわけでもなく、小さい時から自然と独特のペンの持ち方をしていた。これも不思議です。

  さらに、それが一種の芸術だとは今までは気が付かなかった。多くの皆様のイイネで、気が付きつつあるわけです。確かに、絵だけが芸術でもないですからね。

  数年前に僕はインターネットの限界みたいなものを感じましたが、実際は違った。当時は写真も、直筆の書も公開しておらず、投稿は文だけだったので、誤解されたり、消化不良を読者に与えてもいたわけです。文には限界があるかも知れませんが、X君みたいに写真も、作品も残さなかった人の記録を残すためには文も必要です。そのような事を書くには、集中力を非常に発揮して書かないといけません。因みに、文章愛好家と作家の違いも「集中力」だと思っています。作家たちの集中力は物凄いです。X君を描く時も、作家並みの集中力が要求されるわけですが、今後はそうしていきたいです。蛇足に例の精神障碍を持つ旧友のX君の事も想ってしまいました。

  今年1年の皆様のご幸運をお祈り申し上げます。