トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

近所に散歩に行きました

2016-05-16 16:30:14 | 日記
  今日の東京は気象情報の暑くなる予想が外れて、丁度良い気候。以前から今日は外出を頼んでいたので、ムリしない程度に近所の散歩に行きました。あいにく車いすが故障していましたが、介護会社からヘルパーさんが借りて来てくれた。確かに、今はそのような事も可能な時代ですね。まず、車いすの空気入れが古くなっていたので、自転車屋に行って買いました。後、豪徳寺というお寺に行きました。そこは幕末に活躍した井伊直弼大老のお墓もある所です。新緑が目に鮮やかでした。その後、八幡神社に行き、更にスーパーで明日のお昼のおかずのコロッケなどを買って、帰りました。お陰で心の保養になりました。良かったし、車いすの件ではそのヘルパーさんに感謝です。

近所に散歩に行きました

2016-05-16 16:30:14 | 日記
  今日の東京は気象情報の暑くなる予想が外れて、丁度良い気候。以前から今日は外出を頼んでいたので、ムリしない程度に近所の散歩に行きました。あいにく車いすが故障していましたが、介護会社からヘルパーさんが借りて来てくれた。確かに、今はそのような事も可能な時代ですね。まず、車いすの空気入れが古くなっていたので、自転車屋に行って買いました。後、豪徳寺というお寺に行きました。そこは幕末に活躍した井伊直弼大老のお墓もある所です。新緑が目に鮮やかでした。その後、八幡神社に行き、更にスーパーで明日のお昼のおかずのコロッケなどを買って、帰りました。お陰で心の保養になりました。良かったし、車いすの件ではそのヘルパーさんに感謝です。

「伊藤まつさんと付き合えた理由」の補足と、愛の出来方

2016-05-03 11:34:36 | 日記



  まず、僕が人格的に優れていたから、心の中に愛があったからではありません。伊藤まつさんの話をすると、そのように思われる人がいますが、それは違います。

  では、伊藤まつさんの心の中に愛があったのか。それも違うと。優しい性格ではありましたが、それでも、伊藤まつさんはただの凡人でした。

  「しっかり関わり合ったから。二人の間に愛が生じた」と僕は解釈していますし、それは事実だったと思います。個人と個人でしっかり関わり合うと、その間に愛が自然に生ずる。

  もしも、自分の心の中に愛があったと思うならば、それは傲慢になり、やがては自滅すると思います。相手を見下すような発想にもなる。

  逆に、相手の心の中に愛を見出すのならば、相手を自分以上、人間以上の存在に見てしまう。これも人間は平等の法則に反するし、付き合い方によっては相手に依存や甘えみたいな事になり、両者に良くないです。

  両手を叩く時に出る音みたいなものでしょう。そうすると音が出ますが、それは右手から出るものでも、左手から出るものでもない。その叩きで出るわけです。音を愛に、叩きを関わりに変えれば、判ると思います。

  以上はどんな人間関係にも言えると思います。それが判らないで、自分が一方的に愛を与える気になり、傲慢になったり、逆に相手に愛を期待して、気まずくなる夫婦も多いようですが、その参考にもなります。しっかりした関わり合いが大事ですね。

伊藤まつさんと付き合えた理由と、そこから得たもの

2016-05-02 14:25:35 | 日記



   出会いの時、元患者の伊藤まつさんから「車いすの人(僕)と話がしたい。何かのお役に立てたら」と言われて、付き合いが始まった。交友の種は伊藤まつさんが作ってくれたわけだ。

  ハンセン氏病の因縁を僕も知らないなりにも、時々行き続けた。とは言え、行く時は大体サポーターの一人か二人と。大人数で行く事はなかった。僕は重い言語障碍を持っているが、サポーターの人を介しつつも、伊藤まつさんに僕の事を伝えた。今思うと、一生懸命したと。まつさん側もそうしたし。あるいは、葉書を書いたりして。少人数でいつも行っていたから、僕も一生懸命意思を伝えられたと思う。もし、それが多人数ならば、「自分が話さなくても、誰かが話し掛けるだろう」と思って、怠けてしまい、逆に早く止める結果になったと見ている。相手に迷惑だけ掛けて。実際、それに近い例がある。僕も入っていたある福祉会に耳の聞えない人がいたが、会う時はいつも会合やコンパだった。僕も「自分が話し掛けなくても、誰かが話して、彼の相手をしてくれるだろう」と思いこみ、多くの人がそうしたらしく、相手にされず、その耳の聞えない人は僕含む、ほとんどと友人になれなかったという事もあった。グループの中にいると、どうしてもそうなる。これに対し、個人と個人で心合わせて付き合うと、満足の行く交友ができる。S園の野口栄一氏との交友もそうだった。

  そして、個人と個人の付き合いの果てが恋愛とか、夫婦縁、親友縁だろう。その事を伊藤まつさんや野口栄一氏は教えてくれている気がします。「しっかりと関わり合えるから、愛もできる」わけです。逆に、僕の見た範囲ですが、グループにこだわった身障会や福祉会は関わり方が粗雑で、ケンカも多く、禍根を残して潰れたのもあります。「皆で力を合わせて盛り立てる」はグループ活動の理想ですが、人間は弱いため、理想通りには行かず、怠けや甘えがどうしても入るわけです。怠けや甘えは愛を消す働きがあるらしく、ケンカにもなる。正直言って、僕もグループ付き合いはもうたくさんです。

  連休なので、政治家などに向けた働きかけの文はお休みし、回想的なものを書きました。でも、その中から「愛はしっかりとした関わりから」という事が浮かび上がってきました。怠けはいけない事も。恐ろしいわけでもありますね。