1920年代だろうか、アメリカで禁酒法が施行されると、陰で求める人が多く出て、マフィア(暴力団)が栄えたという皮肉な出来事があった。タブーを作ると、そのようになるのである。
性関係もそのようなもので、昔からその産業は暴力団の資金源になっている。全政党がそれを規制する法律を作り、警察は一生懸命施行するが、それでもそれは後を絶たない。性の穢れ感覚を消さない限り、解決策はないのかもしれない。東南アジアへの少女買春も取り締まる必要があるが、取り締まりだけでも解決できない。性の上に「人権・命・人格尊重」という価値観を置き、子供の人格を最大限尊重する文化を作らない限りは、悲惨な少女買春は根絶できないだろう。レイプも同じである。先日、フェイスブックでレイプ反対のキャンペーンを見かけた。確かに、反対したり、その犯人への罰則を強化するのは良いが、その他にも以上の価値観・文化が必要だと。でも、今の文明の価値観はお金中心。それでは、何も解決できないわけである。
ところで、以上述べた「人権・命・人格尊重」はそのまま福祉関係にも当てはまると。障碍者、高齢者、児童と。つながっているわけである。何もそのような人たちだけでもない。むしろ、五体満足で健康な人たちの方が当てはまると。何故なら、その3つの価値観に基ずく文明を世界に広められたら、徴兵や軍隊はなくなるわけだから。むしろ、五体満足の人たちの方が切実な問題だと思う。今でも徴兵のある国は多いし、また、お金がなくて軍隊に入るような人も世界には多くいるから。
よく思うのだが、児童福祉を考えていくと障碍者や高齢者問題につながり、又、障碍者問題を考えていくと健康な人たちの問題にもつながる。切り離して述べる事は一切できないわけである。何事も切り離して考えると、狭くなり、何もできなくなるわけである。物事はつながっているという見方で見ないと、特にこれからはいけない気がするが...。
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