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高島平子供会誕生

2018-04-10 13:48:56 | 日記
   1970年代後半に僕が所属していた東京VYSという福祉団体が高島平団地のホールを借りて、土曜日に子供会をしていた関係で、僕も1977年クリスマス会からそこを1年余り訪れるようになったわけである。


  そのVYSという団体は元々は児童福祉推進目的の会。1953年に愛媛県で作られ、各県に広がり、東京では1968年に作られた。そして、1972年、愛媛県出身の学生ボランティアのA氏高島平団地に目を付けて、そこで「高島平子供会」を作ったと聞いている。高島平団地は日本各地の人達が寄り集まって住んでいる所なので、住民は昔からの知り合いではなく、従って、住民同士も気心が知れないわけである。そのような人たちが子供を産み、親になっても、親同士は余り付き合わないから、子供同士も遊んで付き合う事を余りしない。幼稚園や学校でもそうである。しかも、父母が共働きする例が多いから、学校から帰って、友人とも遊べず、ただテレビを見て過ごす例ばかりで、社会性も育たない例が非常に多く、特にその団地では問題化していた。それにA氏は問題意識を持ち、子供会を作ったわけである。

  今日の話はここまでであるが、1970年代の日本の首都圏では以上の問題が普遍的にあったが、団地の規模が日本としては極めて大きかったため、高島平団地では特に顕著だったわけである。それは今日の中国、ベトナム、インド、インドネシアなどの国々にも見られる現象だろう。高島平団地の問題は国際的な問題を多分に含むわけである。また、今の日本の首都圏も以上の延長で来ているには違いないから、今の時点でその見聞を述べていくのもムダではないと自分では思っているわけである。

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