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疑似親子愛は政治と絡んでも厄介になる

2019-08-01 11:27:08 | 日記
歴史の本を読むまでもなく、判るだろう。1980年以前に生まれた人たちは、フィリピンのマルコス政権や、ルーマニアのチャウシェスク政権を思い出せば、簡単に判るはずだから。二人は自分が国民の父親、国民は子供たちだと思い、ワンマン政治を繰り広げていたわけだから。子供は半人前。国民の意志もかなり無視していた。でも、実際は有権者たちは自我の確立した大人ばかり。どちらも経済がうまくいかなくなった事をきっかけに、国民たちの怒りが噴出し、革命になったわけである。見方も色々あるが、この場合、「経済落ち込み」は物事の引き金であり、革命の根本は国民たちの自我意識だと僕は見ている。


  日本でも戦前は天皇と国民が疑似親子で、実際はまずい関係だった。昭和に入り、美濃部達吉法律博士が「天皇機関説」を提唱するに至ったのは有名な話である。戦後は憲法の下に置かれ、疑似親子は法的には解消したが。更にその昔にさかのぼると、江戸時代は日本は各藩に分かれ、殿様と領民がきっちりした疑似親子。こっちの方が親子意識は強烈だった。独裁政治は当たり前の藩が多かったが、長州藩みたいにかなり民主的な所もあったし、藩体制のない江戸の町ではかなり民が活発に生き、連帯もし、恋愛もかなり自由に行われた。盲人たちと結婚する例もかなりあったようである。明治維新も日本はできたわけだ。江戸時代でも、良かった面は注目したい。


  とにかく、島田療育園が行き詰まり、園児の自我の発達に対応できなくなった理由の一つである疑似親子愛は、長らく政治関係でも見られ、腐敗や独裁の一因にもなっていた。これからも繰り返されるかもしれないから、気を付けたいし、島田療育園の問題の奥底は政治腐敗の問題ともつながっていたようである。非常に難しい所に僕も行ったものだと思う。


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