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1980年ごろの日本の精神障碍者の状況と、X君が本来やりたかった事

2016-12-17 13:56:56 | 日記

1980年前後、富士福祉事業団の傘下の会の一つの、K会という福祉親睦会に僕も入っていた。K会は親睦会やハイキングの他、3月と8月に群馬県のある身障施設にワークキャンプに行き、高校生などに福祉教育も行なう会であった。元は別の会にいたが、「情緒障碍を持つX君がK会に入りそうなの。彼はそれまでの全ての会で、女性の体に触ったり、仲間に殴るなどのケンカをしている。彼はK会でも何かをやりそう。心配だわ。また、彼はテンカンも持っており、疲れると倒れるの」という事を78年春に聞いて、僕も気になり、K会に行き、そのまま仲間関係もできて、入会したわけである。

  テンカンに伴う健康面から、78年はX君のキャンプ参加は見送られた。

  79年春にK会の会合でX君に初めて会った。最初から終わりまで、話したい事をポンポン話していた。こんなに話す人は他に見た事がない。印象に非常に残った。

  途中経過は省略するが、K会でX君は会合やハイキングに参加したが、キャンプ参加はならなかった。現地で倒れるリスクや、女性の体をさわる問題などで。後者について、一人の看護学生は当時の言葉で「精薄の人は性欲が強いから、異性は扱えない」と参考意見を述べた。

  X君は学校時代は普通学校の特殊クラス。その先生の一人にお会いした事があるが、非常に優しく、一生懸命育てた。ただし、そのような学級は絵と作業中心の教育。X君はそれらには向かなかった。行動的で、話好きな性格である。

  卒業後は(今の言葉を当てはめれば)知的障碍者の作業所や福祉親睦会を転々。しかし、作業は嫌いだったし、話をしてくれた女性の体にさわる、キスをしようとしたりして、トラブルになり、また、自制心も乏しく、ケンカも起こすなどして、入るコミニティはどこでも追放された。内、作業所関係だが、当時は精神障碍者用の作業所はなく、また、精神障碍者自体も知的障碍者に含まれると見なされていた。以上の看護学生の見解でも判る通り、X君も終始知的障碍者扱い。ひどいものだったと今の僕は思う。

  途中経過は省くが、結局、X君はキャンプには参加できず、K会も仕方なく、追放。当時のK会のメンバーは非常に後ろめたい想いも残した。

  そのX君だが、「僕のやりたい事は恋愛。相手を見つけるためにキャンプに参加する」と言っていたのが印象的だった。そのように思うのは本人の自由だし、いくら精神障碍を持つ人でも他人がそれを否定してはいけない。でも、今思うに、本当に彼の一番やりたかった事は恋愛だっただろうか?と僕は思うのだ。複数の場で多くの若者と交友してきた僕だが、大体、自分のやりたい事が見出せない人たちは大体「恋愛しかやりたい事がない」と言っていたから。文を書く面白さが判らなかった時の僕もそうだった。ならば、X君にも言えるのではないかと。また、彼は思い込みも強い面がある。恐らくは、自分に声を掛ける女性は自分に気があると思いこみ、恋愛誤解もしたのだろう。また、TVのドラマでは、恋人同士が体をさわったり、キスするシーンも多く出てくるから、恋人関係はそのようなものだとX君は誤解して、それで女性の体をさわりまくったと。「性欲が強いから」という見方は今の僕はできない。

  「述べたい事をポンポン言う」から最近の僕が気が付いた事だが、彼の述べたい事をそのまま文にして書いたら、どうなっただろうか。彼は難しい漢字は書けなかったが、極端な話、ひらがなだけでも良いから。きっちりとした文章にしなくても良いから。とにかく、今のツィッターの要領で良いから、書きたい事を書いていったら、どうなったか。書く面白みも発見し、本当にのめり込むように書いていった。中には面白い文や、人の心を打つ文も書けたと。それに没頭したら、恋愛願望も忘れて、結果的に女性の体にさわる事もなくなるのではないか。

  以上のキャンプにも参加できるようになったと。X君には「書く仕事」を与えて。その代り、作業も、食事当番も、僕の介護もさせず。ひたすら書き続けて...。

  今は知的障碍や精神障碍を持つ人たちも詩や随筆を書く人たちもいますね。でも、1980年当時の日本では、知的障碍者と精神障碍者は文は書けないという偏見がありました。文を書く人は健全者、身障者、盲人、聴覚・言語障碍者、ハンセン氏病元患者だけだと。文は知的や精神面が健全な人たちの特権だと。とんでもない誤解と偏見ですね。X君の持っていた文才に周囲の人たちが気が付かなかったのは、そのような偏見もあったと思います。

  今後もX君の事をブログに書くかは判りませんが、きっちりとした記録文を書き、今の僕は縁が切れていますが、可能ならば、その富士福祉事業団の何かの会報みたいなものに投稿できたら、良いと思っていますが。その記録を残したいので。



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