人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

トム・ハンクス主演「インフェルノ」を観る/佐藤正午「書くインタビュー①」を読む

2016年12月03日 07時54分14秒 | 日記

3日(土).わが家に来てから今日で795日目を迎え,「カジノ解禁法案」が2日の衆院内閣委員会で自民党,日本維新の会などの賛成多数で可決したというニュースを見て 独り言を語っているモコタロです

 

          

              ご主人は いっさいギャンブルやらないから 関係ないらしい

 

  閑話休題  

 

昨日,シネマサンシャイン池袋でダン・ブラウン原作,ロン・ハワード監督「インフェルノ」を観ました これは現在ロードショー公開中の121分のアメリカ映画です 「ダヴィンチ・コード」「天使と悪魔」に続いてトム・ハンクスがハーバード大学教授で宗教象徴学者のロバート・ラングドンを演じています

ラングドン教授は,直前の記憶を失った状態でフィレンツェの病院で目を覚ます 謎の暗殺者から狙われた彼は,女医シエナ・ブルックス(フェリシティ・ジョーンズ)に助けられ病院を脱出する.彼らは,天才生物学者バートランド・ゾブリストが,人類増加問題の解決策として人類の半分が犠牲となるウィルスによる恐ろしい伝染病を世界に広めようとしていることを知る そして,ゾブリストが詩人ダンテの叙事詩「神曲」の「地獄篇」になぞられて計画を実行していることに気付いて,暗殺者の追求を逃れながらそれを阻止すべく奔走する

 

          

 

「ダヴィンチ・コード」も「天使と悪魔」も原作を読んでから映画を観たのですが,この「インフェルノ」はいきなり映画から観ました この映画は,中盤でのまさかのどんでん返しの驚きとともに,ラングドン教授とシエナがダンテの「神曲」に絡んだ謎を解きながら訪れるフィレンツェ,ベネチア,イスタンブールにあるボッティチェリの「地獄の見取り図」,ヴァザーリの「マルチャーノの戦い」などの絵画や,ダンテが洗礼を受けた「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」,ベネチアの総督が多く埋葬されている「サン・マルコ大聖堂」,イスタンブールの大聖堂「アヤソフィア」などを映像で楽しむことが出来ます

それにしても,トム・ハンクスは先日観た「ハドソン川の奇跡」のパイロット役といい,この「インフェルノ」のラングドン教授役といい,何を演じても様になっています

 

  も一度,閑話休題  

 

佐藤正午「書くインタビュー①」(小学館文庫)を読み終わりました 佐藤正午は1955年長崎県生まれ.長編小説「ジャンプ」が「本の雑誌」2000年度ベスト1「身の上話」が「ダカーポ最高の本!2010」国内ミステリだ1位に選出されました

この本は,長崎県在住の作家・佐藤正午と出版社に雇われたフリーライターとの間で交わされたインタビューの内容を再現したものです それは,面と向かって言葉をやり取りするのでなく,メールによって作家にインタビューする形の”書くインタビュー”です 名作「身の上話」の上梓直前から,「鳩の撃退法」執筆準備に至るまで1年半に及ぶ質疑応答を収録しています

 

          

 

始まりは伊藤ことこ いう女性ライターが「佐藤さん,疲れませんか」という 誰が見ても初めて対する人に向けて発する言葉とは言えない不躾なメールを送ります これに対し正午氏は「それが最初の質問ですか?」と疑問を呈します その後 何通かのやり取りがあり,ついに切れた正午氏が「喧嘩うってるのか」というメールを送ります.伊藤さんから「何もうっていません」と返信が届きますが,その後突然「編集部よりお詫び」が登場し,伊藤さんと連絡が取れなくなたったので担当者を代えることになった旨が書かれます つまり伊藤さんは正午氏とのやり取りが上手くいかず自信喪失に陥り 仕事を放り出してしまったのです 一癖も二癖もある小説家を相手に文書でインタビューするわけですから,よほどの根性がなければ務まりません

その後,東根ユミという女性ライターがインタビューを引き継ぐことになり,メールのやり取りが再開されます この人はなかなかの勉強家で,しかもいい根性の持ち主です 時に正午氏から罵倒されながらも,しつこくインタビューを続けます

小説の書き方として「ですます体」か「た」止めの文体かという問題について,名作「身の上話」を題材に,正午氏は語ります

「物語の内容について小説を書き出すまえに深く考えていけば当然『ですます体』にたどり着いただろう,と推測することはできます でも僕がここで言いたいのは,文体が先か物語が先か,文体がストーリーを決めるのかストーリーが文体を要請するのか,そこのところは経験からいって明確に区別できない むしろ両者の行ったり来たりのすり合わせから小説がかたちになっていくということです

続けて,小説「ダンスホール」を題材に正午氏は語ります

「僕は長年,文章のうまいへたにこだわってきました そしてうまく書くために長年,『た』止めの文末を連発することを避けてきました.若いころ編集者に忠告されたのか,文章読本で戒めてあるのを読んだのか,とにかく文末を『た』で止め続けると文章が単調になる,へたな文章になると考えていました.ただ,ほんとうに『た』止めの連続で書くと単調でへたくそな文章になるのか,自分で書いてみて実験するのもありじゃないか?試しに1回だけ,と思いついたのです で,じっさいにやってみた結果が『ダンスホール』という」小説です

これについて”根性のライター”東根ユミさんは「ダンスホール」の最初から最後まで読み通し,すべての文章の文末が過去形の「た」で終わっていたこと,それが1326もあったことを確認します このやり取りを読んで,こういう文章形態で徹底して小説を書く方も凄いし,それを数えて確かめる方も凄いと思いました

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