人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

シャンタル・アケルマン監督「オルメイヤーの阿房宮」を観る ~ ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲とモーツアルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が流れる

2022年12月11日 07時02分14秒 | 日記

11日(日)。昨日はマンションの管理組合の理事会が開かれたので理事長として出席しました 何と管理会社の担当者が新型コロナ感染で欠席となり、代わりの社員が出席して大規模修繕に関わる説明をしました 理事会(9人)の出席者で開催時間までに来たのは私を含めてたったの3人、その後遅刻者が2人来て合計5人です いつもこんな感じですが、こんなことで数千万円の大金が動く大規模修繕の審議をしていいのか、と疑問に思ってしまいます 結局、今回は説明に対する質疑応答にとどめ、次回理事会で継続審議することにしましたが、他人事のように考えず、義務として出席して真面目に取り組んでほしいと思います

ということで、わが家に来てから今日で2890日目を迎え、参院の石井準一議院運営委員長は10日の議連委理事会で、7月の参院選で当選後 アラブ首長国連邦などに滞在しているNHK党のガーシー氏に、国会欠席の理由を説明するよう求める文書をN党の浜田聡政調会長に渡した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     こんないい加減な奴に 国民の税金を歳費として使う必要はない! 即刻辞めさせろ!

 

         

 

早稲田松竹でベルギー出身のシャンタル・アケルマン監督による2011年製作ベルギー・フランス合作映画「オルメイヤーの阿房宮」(カラー:127分)を観ました

白人の男・オルメイヤー(スタ二スラフ・メラール)は東南アジア奥地の河畔にある小屋で暮らしている 彼は現地の女性との間に生まれた娘ニーナ(オーロラ・マリオン)を溺愛しヨーロッパの学校に留学させるが、混血の娘は学校で差別を受け心に傷を負って帰ってくる 人に対する愛情を失った彼女はことごとく父親に反発し、ついに地元の青年と共にオルメイヤーの元を去っていく

 

     

 

この映画は、「地獄の黙示録」(1979年)の基になった「闇の奥」で知られるイギリスの作家ジョゼフ・コンラッドの処女小説を脚色したものです

映画の冒頭、暗い海を背景にワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲が流れます ここでアケルマン監督がこの音楽を使ったのは、毒薬の代わりに媚薬を飲んだばかりに禁断の恋が発展するという「トリスタンとイゾルデ」のストーリーではなく、無限旋律とトリスタン・ハーモニーによる「何が起こるか分からない不安定な状況」を暗示したかったからではないか、と思います

また、そのすぐ後のシーンで、ニーナがアカペラでモーツアルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618」を歌います この曲はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756ー1791)が最晩年の1791年に作曲したモテット(聖体 讃美歌)で、合唱、弦楽合奏、オルガンによって演奏されます   演奏時間は約3分という短い曲ですが名曲です    テキストは次の通りです

    めでたし、乙女マリアより生まれ給えし まことのお体よ

 人々のため犠牲となりて 十字架上で まことの苦しみを受け

 貫かれたその脇腹から 血と水を流し給いし方よ

 我らの臨終の試練を あらかじめ知らせ給え

 優しきイエスよ

 慈悲深きイエスよ

 マリアの子イエスよ アーメン

アケルマン監督はなぜこの曲を使ったのか? このテキストからかろうじて読み取れるのは、「十字架上で まことの苦しみを受け 貫かれたその脇腹から 血と水を流し給いし」という言葉が、混血児として生まれたことから人種差別を受け、強権的な父親の支配欲に晒され、思うように生きていけないニーナの心に響き、心の平安を求めて彼女の口から「祈りの歌」として出たのではないか、ということです しかし、本当のところはアケルマン監督にしか分かりません

コメント
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