にゃんこな日々

ネコ風ライフをつらつらと・・・

さゆり

2006年01月16日 | BOOK
年末から読み始めて、とうとう今までかかってしまった。
その理由は、映画を先に観ているから。
この本を貸してくれた人が、この本を先に読んでから映画を観たということで「原作の方がいいよ。」とおっしゃっていたので、かなりな期待度を持って読み始めたところ、思わぬ肩透かし・・・(^^;)。
改めて映画『SAYURI』の完成度の高さを思い知らされた結果となりました。だって、ストーリー展開は見事に原作そのままなんですから。余計な脚色は全くなしの正攻法。場面や設定の変更は勿論ありますが、物語の流れは全くそのまんま原作通り。だから読んでても面白くないんですよ。映像になったときの芸者としての姿形、基本であるはずの着物の着こなしのだらしなさ。舞のヘンテコさ。日本人として日本を描いているものとして観るために起こるための違和感に囚われたせいで、映画の評価が私の中では低いものとなってしまったんですが、これアメリカ人が原作読んであの映画を観たならば、よくぞここまでしっかりと映画化したものだ。ってことになるでしょうね。あ・・・初桃の敗北は原作の方が濃厚で、より哀れを誘いますが、映像化するにはあの方がわかりやすいでしょうね。
でもね。私が映画を観てひっかかった点が原作でもやはりそのまんまひっかかっちゃったんですよ。これはやはりこの物語がどれだけ綿密に調べ上げられて、丁寧に芸者の世界を描いていても、さゆりを生み出しているのがアメリカ人である。ってことなんでしょうね。
いくら会長さんへの思いが強くて、延さんのものになってしまうと会長さんとの縁が切れてしまうと言う思いに囚われたとしても、日本人の女は他の男に抱かれている場面をその男に見せれば・・・という発想はしないように思うんですよね。というか日本の作家ならばそういう描き方はしないように思う。
とにかく映画でもこの原作でもこの部分が妙にひっかかってしまったんですよね。原作では映画でラストになったあとの話もあるのですが、そのあとの話しの方がすごくよかった。
ま、ひっかかった分は私の懐の狭さ故だとして、トータル的にみればすばらしい作品だと思いますよ。よくもまあここまで詳細に日本を描いたなぁ~と。そしてここでもひとつ素晴らしいのは訳者ですね。英語ではさすがに京言葉は書かれてないでしょう(笑)。それをしっかり京言葉にしてまるで日本人の作家の作品のように訳されているんですから見事ですよ。
あ、そうそう最後にもうひとつ。映画では別に何とも思わなかった・・・というより描きこみの少なかった延さんですが、原作では会長よりも登場シーンが多くて、読んでてふとレッド・バトラーとだぶってしまった。(^^;)
ということで、片手であろうと、顔にやけどの跡があろうと私は会長さんより延さんの方が好みです(笑)。