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今日の筆洗

2019年11月18日 | Weblog

放蕩(ほうとう)の末、親に勘当された若旦那が慣れないカボチャ売りの身となる。落語の「唐茄子(とうなす)屋政談」。力仕事など無縁だった若旦那は荷の重さに負け、往来で転んでしまう▼親切な人がいるもので通りがかった男が事情を聴いて若旦那に代わり、カボチャを売ってくれる。残ったカボチャを売り歩く若旦那は途中で貧しい母子と出会う。子どもは何日も食事をしていないという。若旦那は自分の弁当を差し出す▼弁当をあげる若旦那の心が分かる。困っていた自分を助けてくれた人がいる。その親切のありがたさ。今度は自分も。親切や優しさとは言葉は悪いのだが、伝染していくものかもしれない。人は優しさによって優しくなれる▼「人からこんなに優しくしてもらったことはなかった」。自分への治療に携わった病院関係者にそう語ったと一部の報道にあった。「京都アニメーション」が放火され三十六人が亡くなった事件で逮捕状が出ている青葉真司容疑者である▼本心かどうかは分からない。亡くなった人や家族を思えば同情もためらうが、優しさや親切に恵まれなかった日々の中で荒(すさ)み、人の痛みさえ感じられなくなった小さな心を想像してしまう▼病院で優しさを受け取ったのなら、今度は優しさを返す番である。今できる優しさといえば、何があったかを正直に語り、失われた命に心からわびることである。それしかない。

古今亭志ん生(五代目) 唐茄子屋政談(上・下)*