シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

森厳寺

2009-05-05 | せたがや百景

P3220032 以前桜の紹介をした時うっかり”北澤神社の”と紹介してしまった樹。実はこちら森厳寺付設の幼稚園前にあります。あ、そうそう、茶沢通り沿い、ピュアロードの入口の桜、として紹介した樹はビル工事のためか開花直前に撤去されてしまいました。あの写真が最後の花、となりますメ

どんな樹だったか気になる方は以下のURLで:

http://blog.goo.ne.jp/tokyoboy00/d/20090307

シモキタはこの不況下、何故か新ビル着工がそこかしこに見られます。

さて、話題を森厳寺に戻しましょう。

あるHPには”江戸の初期の建立。境内には樹齢400年を越える一対の銀杏、お灸と針供養で知られる淡島神社がある。”と紹介されています。また、「富士塚」という築山もあるとか。

ご覧のように、寺の門札には”粟嶋の灸”という記述があります。これと”淡島”の関係は今後の調査事項ですね。

P4050008 かなり前の本ブログで森厳寺の墓地が全面改装、というか改葬されて開創400年奉修記念の建物が建てられ式典をやっていた、と報告しました。なるほど、あれからもう1年なんですね。その時オープンしたのは開山道(葬祭場)だそうです。左が最初の下書き後、桜の時期に撮ったその建物の写真です。

名刹であることは分かっていましたが、調べると”寺紋は三つ葉葵で、徳川家康の次男秀康の位牌所”だそうです。秀康さんはご存じ秀吉の養子になった方。その後秀頼さんが生まれたので徳川家、というか結城家に入り、なんだかんだあって福井松平家の祖になっている人です。

P4050010 けれど400年記念といいながら、上述の「富士塚」は削り去られました。工事の様子は覚えていますが、森厳寺入口から池ノ上方向に上がる坂から茶沢通り方面を見ると、最後まで築山が壊されずに残っていましたが、ある日削られました。

これも写真が出来たので、説明すると真ん中辺りに改葬された墓地が見えます。その後ろが茶沢通り沿いのマンションなんですが、「富士塚」はこの新しい墓地の辺りに在って、その時はマンションが完全に隠れるほど高い築山だったんです。

時代の流れ、といえば陳腐な言い方になりますが、折角の場所を、とtokyoboyには残念に思えてなりません。

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