音楽人

民族楽器の収集、演奏を趣味に生きているおやじのはなし

グローバル化

2019-01-22 09:59:25 | 民族楽器
最近、長唄の曲を琵琶で弾くように編曲しようとしていましたが、賑やかな曲が余りに辛気臭い曲になりそうなので諦めました。また、来年度の邦楽の合奏曲の五線譜があるのですが、パート譜がないので、三味線のパートを三味線譜に直すように頼まれています。私自身は邦楽器も基本的には五線譜の曲は五線譜で弾いているので、そうして欲しいところですが、一般的には筝は筝の譜、尺八は尺八の譜で演奏しています。というより、流派によってそれぞれ違っています。尺八でも都山流と琴古流ではかなり違います。その他の尺八の流派もそれぞれの譜を持っています。古典曲は確かに、その譜の方が演奏しやすい面もあるのですが、新しい曲で五線譜で書かれているものは、五線譜でする方がよいと思っています。今、五線譜は西洋音楽では万能のもののように思われがちですが、それですべての音楽を表すのは無理があるようです。あくまで、西洋音楽を演奏するのに便利なものにしか過ぎません。邦楽では元々譜面はそれ程重視されていませんでした。単なる覚書程度のものでした。譜面では伝えられないものが重視されていました。口伝とか雰囲気のようなものが代々伝えられてきました。でも、それはある程度能力のある人でしか無理だと思います。まだ、今でも昔ながらの修行した人が僅かに残っているように思いますが、もうなくなってしまうでしょう。譜面や音源、さらには映像で受け継がれるようになるでしょう。でも、それでは伝わらないものがあるようです。でも、それはなくならざるを得ないのでしょう。それは伝統と言われるもので、今あらゆる分野で失われてきているように思います。機械化、マニュアル化によって似て非なるものが作られているように思います。でも、その違いが分かる人もいなくなってきているので別にそれで構わないのでしょう。百均のような安価な物ができて、色々な文化も失われてしまいます。今時、竹籠を編んだりする人はいません。安い服が出てきたら、伝統の織物その他がなくなってしまいます。今はグローバル化によって先進国だけではなく、それらが開発途上国にも持ち込まれ、各地の文化が衰退していっています。先日、トマトのことを書いた本を読みましたが、中国産の安いトマトがペーストなどの形で世界中に輸出され、欧米やアフリカの産地やメーカーが淘汰され、大資本が世界を支配しているとのことでした。その中でめちゃくちゃなことがなされているようです。お金の力というのはとても大きなもので、それがグローバル化の名の元に世界を支配してゆくようです。人が人らしく生きるというのも大変なことのように思います。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 琵琶曲 | トップ | ものを見る目 »

コメントを投稿

民族楽器」カテゴリの最新記事