音楽人

民族楽器の収集、演奏を趣味に生きているおやじのはなし

カヌーン

2021-06-29 15:35:45 | 民族楽器
先週は、職場の健診で久しぶりに大阪に出ましたが、今のところコロナ感染の兆候はありません。外食も久しぶりにしました。コックさんはマスクをしていませんでした。作った後で咳き込んでいました。まあ、余り気にしても仕方ないのでしょう。この前の日曜日は一日webで講演会を視聴していました。zoomでの参加でしたが、まだうまく使えません。家のソファーでふんぞり返っているところを見られていたのかも知れません。最近聴いたYouTubeで、トルコのカヌーンの音が筝にとても似ていて、素敵だったので、久しぶりにカヌーンを持ち出して弾いています。この楽器は弦の数が百本くらいあるので、まずは調弦が大変です。一度合わせても、安定するまで数日かかるので、毎日調弦をしています。この楽器は、三十年くらい前にトルコに行った時に買ってきた楽器の一つです。結構大きいので持って帰るのが大変でした。とても綺麗な楽器で、音も魅力的なものです。弾くのはそこそこ難しいですが、自分で弾きやすいように曲を作って弾いています。ところで、最近は琵琶の演奏会も開かれるようになってきました。もっとも無観客でやったりしています。また、今年は琵琶のコンクールも開かれるようで、できれば参加しようと思っています。こんな年になってコンクールというのも何ですが、練習のモチベーションにはなっています。また、聴衆を意識して練習するということはとても大事なことのように思います。でも、元々の薩摩琵琶は聴衆に聴かせることはしていなかったそうです。仲間内でのみ行い、精神修養の一環だったそうです。明治になり、東京に出てから演奏会が開かれるようになりましたが、昔かたぎの人は当時演奏会には出なかったようです。今も一部の派ではそんな風潮が残っています。また、精神修養の音楽なので飲食の場では弾かないという人もいます。私はそこまで、精神主義者ではないので、宴会で演奏するのは好きですが。
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オリンピックへゴーサイン?

2021-06-22 13:34:58 | 民族楽器
緊急事態宣言がようやく開けました。が、あけましておめでとうございますという訳にはゆきません。公共施設がようやく再開するのが助かりますが、感染はどうなるのでしょうか。そんな中オリンピックを無理やり観客を入れて開催するつもりのようです。これからどうなるかは神のみぞ知るということなのでしょう。このコロナ禍のために色々と不便な思いをしていますが、歌も色々と作りました。歌を作る上ではしんどい状況の方が作りやすいように思います。それから家に居ることが増えたので、YouTubeを見ることも多く、色々な音楽を聴くことができました。また、自分でも演奏をアップするようになりました。でも、早く普通の生活に戻りたいものです。ワクチン接種により、どの程度以前の生活が戻ってくるのでしょうか。話は変わりますが、最近読んだ本に、グローバル化というのは欧米の基準を世界中に広げるという意味でしかなく、世界各地にあった文化が失われてゆくことであると書かれていましたが、確かに今の状況を見るとその通りだと思います。多様性が失われて単一化していっているように思います。音楽の世界で言えば、電気楽器が広まっています。ギターやシンセサイザーなどがそうでしょう。打楽器の代わりにシンセサイザーのような楽器が使われています。また、ベースギターなどのギター類が色々な場で使われています。それらを使って民族色を出しているところもありますが、多様な楽器が失われていっています。オリンピックにしても同様な価値観を持ったもののような気がします。すべてのスポーツがオリンピックを目指すようにな感じになってきています。近代オリンピックは西洋の貴族社会の価値観で発展してきたという話も聞きますが、現在の五輪貴族はまさにその象徴なのでしょうか。商業主義と結びつき巨大化してきたように思います。今の社会はあらゆるところで商業主義が幅を利かせています。まだ現在はそれらから取り残された過去の遺産のような文化も各地に残っていると思います。そのようなものを知ることができればと思っています。
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宮沢賢治の音楽

2021-06-14 09:24:06 | 民族楽器
ブログの方から、渾身の記事を書いてブログの紹介に応募しないかというお誘いが載っていました。ブログは他人に読んでもらうことが前提なのでしょうが、私の場合はそれ程他人を意識して書いてはいません。自分の日記的な感じで書いています。だからたくさんの人に見てもらいたいとは思いません。たくさんの人が見ると色々な意見の人もいるでしょうから、攻撃を受けることも出てくるでしょう。嫌なら読まなければ良いだけだと思うのですが、非難しないと気が済まない人がある程度いるようです。今のところ、書きっぱなしで他人からのコメントはあるのかどうかも知りません。好きな音楽を聴きながら、その週にあったことなどを思い返しながら書いています。毎日、写真をアップしながら投稿されているようなブログも見かけますが、私にはとてもできないことです。まあ、人それぞれなのだと思います。YouTubeの動画も同じような感じでやっているので、ほとんど見る人もいないようですが気にはなりません。今は過去にやった音楽で面白かったと思うものを再現して投稿しています。バブルの頃はイベントも多く、色々なことをやったものです。そのころ活躍していた人達は今どうしているのでしょうか。また、聴いてみたいものです。当時はそういう出会いの場が多くありました。今の社会はそういう余裕を失ってしまったように思います。特にコロナ禍の中で逼塞状態になっています。ただ、新たにネットによる配信がなされるようになったのは良いことだと思います。もっとも、私のようなメカトロには中々ハードルが高いのですが、何とかやろうとすることは老化防止にもなるようです。今は宮沢賢治の音楽を民族楽器で演奏し、歌うという企画を進めています。民族楽器の個性的で素朴な音色というのは、宮沢賢治の音楽にぴったりだと思うのですが。もっとも賢治自身はクラシック音楽が好きだったようですが。
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情報

2021-06-07 10:08:44 | 民族楽器
昨日から、民族学博物館の音楽の祭日のネット配信が始まりました。いつもは会場で見ていた人達も登場しているので、見るのが楽しみです。私の動画だけが生活感丸出しで少し恥ずかしいです。仕事の一部がテレワークになって、音楽を聴きながら仕事をすることが増えました。今まで見なかったような動画を見るようになりましたが、面白いものがいくらでもあるので喜んでします。民族楽器を使ってジャズをやっているグループを見つけましたが、これは本当に民族楽器を使いこなしてジャズをしているのですごいです。また、トルコがギリシャの辺のグループで色々な民族楽器を使ったオリジナル曲をやっており、映像が自然や遺跡をドローンで撮影しているようでこれも感激しています。私はそれ程海外に行ってはいませんが、行った中ではトルコが最高でした。古代遺跡がまさにゴロゴロという感じでその中に入り、手で触ることもできます。人も暖かく、食べ物もおいしく、音楽も好きだし、楽器も豊富で最高でした。もう三十年以上前のことで今とは事情が違うでしょうが。このコロナ騒動で世界が遠くなってしまいました。例え動画であっても、音楽を聴きながら景色を眺めたいものです。景色については臨場感には欠けますが、細かいところも見れ、また俯瞰的な視点からも見ることができるのは利点です。今まで、このような資料は個人で所有しなければ見たり、聴いたりすることができませんでしたが、今では動画などで簡単に聴取できます。私自身かなりたくさんの資料を持っていますが、今は持て余しています。中々断捨離できず困っています。今の若い人はそのような所有欲というのが少ないようです。文化が変わったということなのでしょう。私などはまだ情報というものを上手く利用できず、物に頼ってしまっています。少ない情報から自分の好きなものを見つけて貯めてゆくようなことをしてきましたが、今は溢れるような情報から自分に必要なものを選別しなくてはいけない世の中になってしまいました。固定された物では情報も古くなってしまいます。情報は流動的なもので、絶えず更新してゆかないと価値が下がってしまいます。新しいことがすべて正しいという訳ではないでしょうから、自分なりに取捨選択してゆかねばなりません。
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