音楽人

民族楽器の収集、演奏を趣味に生きているおやじのはなし

生活の張り

2023-10-30 09:06:09 | 民族楽器
今とても難しい尺八と三味線の二重奏曲を練習しています。来年の合奏団の演奏会を目指しています。とても難しいので準備に1年はかかるのではないかと思っています。というか、ちゃんと弾けるかどうかも分かりませんが、とりあえずチャレンジしてみようと思っています。目標ができると生活に張りができて楽しいものです。特に努力を重ねないといけないものではそうだと思います。試験などとは違うので、それ程プレッシャーにはなっていません。できなければ諦めれば良いと思っています。やればやっただけのことはあるのではないかと思っています。ただ、やることが見つかると余り悩まなくなりますが、それが良いかどうかは分かりません。でも、少しずつできるようになってゆくことを自覚できるのは楽しいものです。ところで、昨日は図書館で開かれていた富士正晴の文学の講演を聴きに行ってきました。余り文学には興味がないのですが、文学作品を音楽にして歌うということなので見に行きました。基本的には私がやっていることとそれ程変わりはありませんでしたが、メロディーがしっかりしているのとギターの腕がうまいのが違いました。中々良かったですが、聴衆が少なくて気の毒でした。
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童謡や唱歌

2023-10-23 09:14:02 | 民族楽器
自作のマイ楽器で唱歌や童謡を演奏しようということでその手の本を借りてきました。曲を見ているととても懐かしく時間が過ぎるのを忘れてしまいます。昔話などはほとんど歌があるのではないでしょうか。金太郎、浦島太郎、桃太郎、一寸法師など、昔の子供の歌というのはとても分かりやすいと思います。そしてものすごい数の曲を覚えていることにびっくりしました。そして、それらの曲は当時大人も歌うことができました。今は子供がどんな歌を歌っているのかよく分かりません。また、見ても知らない曲が多いように思います。これは童謡・唱歌だけではなく、流行歌においても言えることだと思います。昔は流行り出すと、テレビやラジオで至る所から流れてきたので、皆が覚えてしまったように思います。テレビでも歌謡番組が人気でした。今はものすごい数の曲が作られ、忘れ去られてゆきます。そして町中で聴くこともほとんどありません。皆がイヤホンをして聞いています。また、音楽においては世代間の断絶が大きくなりました。今までは人が集まれば同じ歌を歌うことができましたが、これからは難しくなるでしょう。若者の歌は早口でリズムも複雑なものになっていて、年寄にはついてゆけません。まあ、今の若者が高齢者になった時には歌えるのかも知れませんが。今時、童謡や唱歌を歌って喜ぶのは年寄だけで、子供は知らないものが多いのかもしれません。滅びはしないかも知れませんが、廃れてゆくのではないかと思っています。
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マイ楽器療法

2023-10-16 09:36:08 | 民族楽器
この週末は楽器作りに勤しんでいました。以前上京した折に購入してきた輸入雑貨に手を加えて楽器に改造していました。一から作るのは私の腕では難しいです。ただし出来上がったものは本物の楽器に比べると大したものではありません。大したものを作るようなら私は楽器職人になっていたでしょう。アイデア勝負という感じのものです。個性的なものを目指して作ります。見た目で引き付けるようなものでないと音では勝負しにくいです。既存の曲を演奏するなら既存の楽器に負けてしまいますので、新しい音楽も作らなくてはなりません。今回は、何を演奏するか悩みました。そんな良い曲ができるわけでもなく、またテクニック的にも大したことはできません。そこで思いついたのが、童謡や唱歌の弾き語りです。これならそれ程テクニックがなくてもできるでしょう。また、聞く人にもなじみがあるでしょう。プラスアルファがないと中々聞いてもらえませんが、それは手作り楽器の個性で勝負というところです。ということで、楽器が一応完成したので、ソフト作りに励んでいます。私のやっている音楽療法にマイ楽器療法というのがあるのですが、正にマイ楽器を作りそれで自らを音楽で癒すのです。練習していても楽しいものです。精神療法に回想療法というのがありますが、童謡や唱歌を歌うのはまさに回想療法になります。ということで、自分に癒しをしながら楽しんでいます。
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楽器作り

2023-10-10 09:42:56 | 民族楽器
休日は、楽器の練習は原則しないことにしているので、休みの日にはその日何をするか考えなくてはなりません。面倒ではありますが、流されて時間を使わなくなったのは良いことなのではないかと思っています。今までは、うまくなることを求めて練習をしてきましたが、残された時間を考えると楽しむこと、何か有意義なことをしたいと考えるようになりました。この連休も何をしようかと思って、本を読んだりしているうちに時間が過ぎていってしまいました。そういう意味では、何も考えずに練習している方が楽ではあります。最終日になり、こんなことをしていてはいけないと思い、重い腰を上げて、以前から作りかけの楽器作りを再開しました。それができると、先日東京で買ってきた輸入民芸品を使って新しい楽器を作る意欲が湧いてきました。楽器の表板としてアクリル板が使いたかったので、リサイクルショップに探しに行きました。一軒目は置いておらず、ネットで検索して初めての店に行ってみました。そこには置いてあったのですが、結構値段が高かったので諦めて、コーナンに行きました。こちらには色々なサイズのアクリル板が置いてありましたが、思っていたよりも値段が高かったので諦めました。結局ベニヤ板を買って帰りました。電動糸鋸で切って、表板を作って貼り付けました。昨日はそこまでしたところで時間切れになりました。続きは今週末になりました。それでも、次の工程をどうするかなど考えていると楽しいものです。ただ、折角新しい楽器を作っても演奏できなければ意味がありません。演奏するとどうしても既成の楽器の方が性能も良いので、見劣りするのですが、目を引くところが売りで、それを生かすための曲を考えなくてはなりません。まあ、それも楽しいものです。何か作るというのは元気になります。
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成功者

2023-10-02 09:30:22 | 民族楽器
先週末は近所で開かれていた無料コンサートに行ってきました。クラシック音楽でプロの人たちがボランティアでやっているようです。聴衆は私と同年代の人が多かったです。最近はお金を払って聴きに行くことが余りありませんが、どこも聴衆は私と同年代かそれより上の世代が多いです。時間があり、金がなく、行動範囲が狭いというのが共通点でしょうか。クラシック音楽のコンサートでは出演者の経歴が書かれていますが、ものすごく立派な感じの経歴に今の状態が釣り合っていないように思われるのがほとんどです。今をときめいてるいるような人は無料のコンサートには出演してくれないのでしょう。子供の頃から一生懸命にやってきて、今も研鑽を続けているのに、それに釣り合った状態になれないのは、大学のポスドクの問題にも似ているように感じます。スポーツなどにしてもそうですが、トップに立ったり、有名になるのはほんの一部の人にしか過ぎません。子供の時は神童と言われていても、ほとんどの人は夢がかないません。だから賢い(?)親は、そんな危険な道に進ませず、進学校に入れて安全な道を選ぶのでしょう。音楽などでも、高校生くらいになって、才能的にプロになるのは難しいと言われてももう遅いようです。それまで一般の勉強をせずに音楽に打ち込んできたので、今更進路変更はできないようです。将棋などでは、年齢制限を設けて、傷が浅くなるようにしているようです。なまじ才能があるから、道を誤った形になってしまうようにも思います。それ程の才能ではなく、趣味で楽しんでいたら、良い趣味を持ったと満足できるのでしょうが。でも、一生懸命努力して目標が達成できなかったからと言って、それで人生が終わる訳ではないでしょう。一生懸命にやったことはその過程に意味があると大学時代の教授が言っていました。それを生かして第二の人生を歩むことができれば良いのでしょう。
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