オリンピックのおかげで4連休になってしまいました。来年のオリンピックに向けてカウントダウンが始まったと以前報道されていましたが、ほとんど無視されたのではないでしょうか。まあ、こんなリスクまでは想定されていなかったでしょう。でも、本当はそこまで想定して誘致しなくてはいけなかったのかも知れません。政治は結果を問われるのですから。今の政府は国民の顔色を伺いながらやっている感じです。首相が一月も会見していないと報道されると慌てて、顔を出しました。内容はなくて、またいつもの煽るような話をするので、これなら見ない方が良かったなとも思います。今は、マスコミでなくても、SNSによってあっという間に世論のようなものができてしまいます。それを利用しようとしている者も多くいるようで、油断のならない世の中になってきているように思います。ところでゴートゥートラベルキャンペーンが出されて、予想通り全国にウイルスがばら撒かれています。景気対策ならもっと違うやり方があるように思うのですが。これも国民の顔色を伺っているような政策だと思います。食べ物と娯楽を与えておけば、国民はそれ程不平を言わないだろうと思っているのでしょう。ローマ時代と変わりがありません。医療は疲弊状態になってきているのに余り手が打たれていないようです。ボーナスが出ないところもあるようですが、多忙で命懸けで働いているのに減給になったら誰もやる気がしないでしょう。青いライトをつけて感謝の気持ちを表しても、お腹は膨れません。ところで、私の属している琵琶の流派は今年の演奏会は全部中止することになりました。琵琶は年寄りが多いので、仕方ないのでしょう。いつまでそのような状態が続くか、見通しが立たないのがつらいです。今はウイルス感染が広がってゆくのを指をくわえて(そんなことをすると感染リスクになりますが)見ているしかないのでしょう。せいぜい、自分がかからないように自衛しながら。
相変わらず職場と図書館と近所の買い物くらいの生活が続いています。そうしていれば感染は収束の方向に向かってくれるかと期待していたのですが、感染は拡大するばかりです。私は持病を持った高齢者ということで、注意していないといけないようです。今まで感染がひどくならなかったのは、皆の驚異的な自粛力によるものだったようです。国が自粛要請を解除したらどんどんと増えてきてしまいました。これからは政府の指導力が問われることになるのでしょうが、思い付き発言が目立つばかりで、国の舵取りはどうなるか不安です。東京に住む母親に会いに行きたいのですが、まだしばらくは難しいようです。家での生活はコロナ騒動が始まった時に一度見直したのですが、今は第二波が来ているようなので、二度目の見直しでもしようかと思っています。外に余り出ず、家でじっと考えるのも悪いことばかりではないと思います。前回は今あるものを見直すことができました。今回は何をテーマにしてゆこうかと考えています。また、コロナ騒動が収束しても今までと同じような生活に戻るの難しいのかなと思うし、また、折角コロナを体験したのだから元に戻っては勿体無いような気もしています。もっとインターネットが使えるようにならないと大変だなという気はしています。一方でそんな方向に世の中が進んでゆくことに疑問も感じます。音楽に関しては生が一番よいとは思うのですが、インターネット配信というのも同時になされてもよいのかも知れません。多人数が集まるのは難しいし、遠くの人でも聞けるし、多くの人に聞いてもらえる可能性も出てきます。まあ、ボチボチやってゆきます。
相変わらず職場と図書館と近所の買い物くらいしか外出していません。大阪では黄信号が点灯してしまいました。東京はすでに赤信号だと思っています。感染者が増えても、検査数が増えたからで問題ないと強弁しています。過去と比べれば、検査数が増えたからのことで心配はいらないと言いたいのでしょうが、過去のことではなく、今これだけの患者数になっていることが問題だと思います。第二波が来ているようですが、経済活動を増やしていきたから否定しているように思います。感染は広がってきているが、経済活動のためには仕方ないと言えばよいのだと思います。そうするのが良いか悪いかは判断が分かれるでしょうが、今やっていることをはっきりさせず、責任を負わないで済むようにごまかそうとしているように思います。やるからにはしっかりやって責任も取って欲しいと思います。それが政治家の使命だと思います。非常時には強いリーダーシップを持ったリーダーが求められますが、トランプや習近平のようなリーダーでは怖い気がします。アメリカは滅茶苦茶なことをしても4年たてば選挙で回復することができますが、中国では無理が通れば道理が引っ込むことになってしまいます。ロシアも同様です。日本も中国やロシア程ではないにしても政治的には問題が多いと思います。長い物には巻かれろで、喉元過ぎれば熱さを忘れる国民性もあります。まず、自分がしっかりとやってゆくしかないのでしょう。ところで十月に予定されていた高校の同窓会が中止になりました。先が読めない状態になってしまっているので仕方ないのでしょう。今後同窓会などは廃れてゆくのでしょうか。楽しみではあっても必要不可欠なものでもなく、多人数が集まるし高齢者が多いし、リモートでやるほどのものでもないし。コロナ後は色々な見直しが行われざるを得ないようです。
相変わらず、週末は家に籠って自粛しておりました。まだ、どこかに行こうという気にはなりません。まあ、図書館と近所の買い物くらいは出かけましたが。家で琵琶を練習していることが多いですが、演奏会がないとモチベーションが低下しがちです。ところが、先日テレビでやっていた話を聞いて少し気持ちが変わりました。それは高僧の世話をしていたお坊さんの話だそうですが、講演会の送迎をして話を聞いていたが、いつも同じような話をしているので、退屈して寝ていることが多かったそうです。ところが、ある日その人の話をよく聞きに来ている人に、同じような話なのによく何度も聞きに来ますね、と言ったところその人は、いつも新しい話なので退屈しないと言ったそうです。その話を聞いてお坊さんは自分の間違いに気が付いたそうです。私も同じ曲を繰り返していると思ってやっているからモチベーションが低下していたのです。毎回新たな気持ちで取り組んでゆければ、得るものがあります。毎回が同じはずがありません。インド音楽は即興でなされるのが一般的ですが、西洋クラシック音楽は有名な曲を繰り返し演奏するので、音楽としてどうなのかと思っていましたが、それはこちらが同じような気持ちで聞いていたから、同じものと認識してしまっていただけのようです。即興音楽も再現音楽もそんなに違いはないのかも知れません。