先週は久しぶりに大阪に出ました。私が一応後援会長をしている、歌舞伎役者の方が出演するということで応援を兼ねて観に行きました。色々と感染対策がなされていましたが、チケット販売時は緊急事態宣言が出ていなかったので、普通に販売していたようです。途中で緊急事態宣言が出たので販売を中止したようですが、既にかなり売れていたようで、そこそこ混んでいました。家柄のない若手で、普段は端役しかやらせてもらえない人達の年に1回の晴れ舞台です。普段芝居などは観ないのですが、とても美しい舞台でいつも感激します。後援会長と言っても、年に1.2回宴会をするだけの事しかできません。このコロナ禍ではそれすらもできなくなっているので、今回は何とか応援に来たかったのです。久しぶりに大阪に出たので、ついでに本屋さんやヨドバシカメラにも寄りました。また、阪神百貨店の地下にも行きましたがここは特に厳しく感染対策がなされていました。平日の昼間だったので、それ程の人出ではありませんでしたが、閑散としたという感じでもありませんでした。皆がそれぞれ感染対策を取りながら、ある程度は普通の生活を送っている感じでした。ただ、夜の飲み屋街に関してはどうなのかは知りませんが。今は家庭内での感染が一番多いようです。感染していても入院などの隔離ができず、自宅療養という名の入院拒否が関係しているのだと思います。若い人は感染に無関心みたいな報道がなされがちですが、政府の対策の失敗を他人に責任転嫁している面が強いように思います。いずれにしてもわが身は自分で守るしか仕方ないように思います。まあ、当たり前のことだと思いますが。
最近、西洋楽器の奏者の本を何冊か読んでいました。ピアノやヴァイオリンなどは3.4歳くらいからかなりの時間を費やして訓練することが必要なようです。ある程度の年齢になると一日8時間くらいの練習は当たり前のようです。これはそれだけ難しいから仕方ないのでしょう。管楽器などは大体中学くらいで吹奏楽部に入ってから始める例が多いようです。いずれにしてもプロになるのは大変なことのようです。勉強もできて一般の高校や大学に行きながらプロになる人も稀にはいるようですが、大体は音楽課程のある高校に入って、音楽大学を目指すようです。更に今では高校生くらいの段階で海外に留学する人もいるようです。昔は演奏家になれなくても、学校の音楽の先生になったり、音楽教室の講師になったりするのは比較的簡単にできたようですが、今ではそれらはかなり厳しい競争があるようです。つまり音大の卒業生が多すぎる上に少子化のために教師の需要が減っています。音大を出て一般企業に就職する人も増えてきているようです。オタクにような人は別にして、一般的には子供の頃から努力して生きてきたので、優秀な人が多いとのことです。そやれに対し邦楽や民族音楽ではかなり状況が違います。邦楽でも筝などでは子供の頃からやる人もある程度いますが、その他は家業でやっていない場合はある程度の年齢になってから、自分の意志を始めることが多いようです。尺八などは親がやっている場合でなければ大学のクラブで始める人が多いと思います。そこからプロになった人も多いです。その年齢からプロになれるということは、クラシック音楽に比べてテクニック的には楽なのでしょうというか、ピアノやヴァイオリンが特殊なのだと思いますが。それらの楽器の名曲というのは演奏が難しい曲ばかりです。テクニックがないと演奏自体ができない訳です。だからそれについてゆけない人は途中で止めてしまうことになります。私も昔ピアノを習っていましたが、途中で止めてしまいました。音楽の楽しさが分かっていたら止めなかったと思いますが、その時はバイエルその他を弾いていても余り楽しくはありませんでした。昔は情操教育のために習うことが多かったように思います。まだ、親が好きでやっていたら続いたでしょうが、家でクラシック音楽が流れている訳でもない環境では親子が余程頑張らない限りは続けてゆくのは難しいでしょう。今になったら、ピアノが弾けたらいいだろうなとは思いますが。
このところ梅雨のような天気が続いています。そんな中、先週末は自転車で邦楽の合奏に出かけました。ポンチョを着て行くのですが、汗びっしょりになってしまいます。ポンチョを着ていると音が聞こえにくく視界も狭くなるので、交通量の多いところは怖いので、なるべく裏道を走りました。風も強く、何故か向かい風ばかりで大変でした。また、各地で避難指示が出たりして、いつも使っていた和室が避難所になるとのことで急遽使えなくなってしまいました。それでも他の部屋を使って何とか練習ができました。秋に本番があるのですが、今の状況ではどうなるか分かりません。会場さえ使えれば、無観客でやってもよいかも知れません。どっちみち無料なのですから、財政的には損をすることはありません。まあ、世の中も段々と緊急事態宣言慣れしてきているので、それ程制限は受けずに済むかも知れません。コロナ対策も最近は自分の身は自分で守りましょうというような感じになってきているようです。ほとんどの人は今までずっとやってきていることです。ただ、国がある意味ギブアップしたということでしょうか。いずれにしても今、国は有効な手立てを立てることができていません。ワクチン接種が進むのを待つだけなのでしょうか。オリンピックまでは、どれだけ接種したなどと言ってましたが、今はあまり言わなくなりました。あらゆることがオリンピック開催のために無理を重ねてきたのでしょう。今の感染拡大はそのつけが回ってきたということなのでしょう。ただ、つけを払うのは国民なのです。つけと言えば、オリンピックも大赤字になるとのことでした。これも国民が払うのです。そして、コロナ復興税というような増税も行われるのでしょう。
ようやくオリンピックが終わったという感じです。テレビも新聞もオリンピック一色になっていました。ニュースくらいでしか見ませんでしたが、私的にはそれで充分でした。ギリシャ時代のオリンピック期間中は戦争も中断されていたとか聞きますが、コロナはそんな配慮はしてくれません。過去最大の感染拡大を繰り広げていました。それでもそれはオリンピックとは関係がないそうです。各地での祭礼は中止が続いていますが、オリンピックというイベントは開催されました。行動を自粛している人はこれからも続ける可能性は高いでしょうが、自粛しない人が増えてくれば感染拡大は止めようがありません。これからお盆休みを迎えますがどうなるのでしょうか。私の方は最近は動画作成の意欲が低下してきてアップをしていません。今は秋に予定されている演奏会の練習をしています。楽器の練習は自粛生活には最適なものだと思います。発表の予定のない練習はしんどいのでユーチューブへのアップが一つの動機になっていたようにも思います。はっきり目標があれば、それが動機になるので動画作成意欲が低下したように思います。今年は琵琶楽コンクールが開催されるのでそれに参加する予定です。それも練習のモチベーションになっています。今回の緊急事態宣言では制限が少し緩くなっているので助かります。制限はありますが、図書館も開いていますし、テニスコートも使えます。これらの施設は感染対策を取っていたら本来なら使えているものだと思います。今までは一律に閉鎖されていたので、むしろ今の方が普通だと思うのですが。何でも一律ではなく、感染予防に対する有効性を考えてやる方が意味があると思います。まだまだコロナ感染は続くでしょうから、共存してゆく道を探ってゆくしかないでしょう。
コロナ自粛を続けていると、毎日が金太郎飴のようになってしまい、時間の過ぎるのが速く感じます。もう今年の折り返し点も、とうに過ぎています。それにしては今年やったことは余りありません。まあ、動画をアップしたことくらいでしょうか。それもこのところ停止しています。今は、秋の演奏会に向けて、楽譜を作ったり、練習したりしています。何か目標があると生きやすいように思います。ただ、それが生きる目標であったり、人生の目標であったりする訳ではありません。当座の目標に過ぎません。そのような目標を色々と達成してゆくうちに人生が終わってしまうのでしょうか。若い頃は人生の目標を一生懸命考えていましたが、いつの間にか考えなくなっていました。人生の後半になって、また考えるようになりましたが、若い時程には真剣には考えていないようです。以前は目標が定まらなければ生きていけないような気がしていましたが、今はそれでも生きているという感じです。最近は仏教関係の本をよく読むようになってきました。また、墓、葬式、戒名などについても関心が出てきています。それからすると、今の葬式その他は余り意味のあるものではないように思います。死後の世界がどうであれ、それは分からないし、それでも死んでゆくということです。だから余り心配しても仕方ないのでしょう。皆死ぬのですから、特別なことではないということです。ただ、私の死というのはただ一つのものではありますが。私は死ぬまで音楽をしているのだと思います。今更やり残したことがある訳でもなく、ただ今やっていることを死ぬまでやるのだと思います。うまくゆかない時は色々と考えてしまいますが、それでも今やっていることをやるしかないのだと思います。もちろん新しいことをするのも今やることになりますが。悟りではなく諦めなのでしょうが、まあその程度のものだと思っています。