音楽人

民族楽器の収集、演奏を趣味に生きているおやじのはなし

昔の思いで

2019-11-25 08:59:33 | 民族楽器
週末にある詩人の出版記念会に行ってきました。極貧の中、重い身体障害を持ち、必死に生きながら、詩を作ってきた人です。その体で世界中を旅行し、ネパールに魅せられて、学校を作り支援をしています。段々身体が動かなくなり、ワープロも使えなくなってきているそうです。また、言語障害もひどくなってきて、表現をしてゆくことも難しくなってきているそうです。その中で、今までの詩集をまとめた本が出版されました。身近な言葉で、身近な話題で大きな世界を展開させるような作風がとても素敵な詩を作り出しています。芝居の脚本を書いたり、自ら出演もしています。そのような舞台で出あったのが、多分20年以上前のことだったと思います。その後時々、舞台伴奏を務めました。記念会では、そのような舞台の映像が流されました。すごく魅力的な芝居に見とれていたら、私の声に似た声が聞こえてきました。よく聞くと私の声で、作曲して琵琶で演奏したものでした。20年以上前のことだったので、余り記憶に残っていませんでしたが、見ているうちに段々と記憶がよみがえってきました。私は舞台袖で演奏していたので、全体が見えていなかったのですが、客席から見るとこんなにすごい舞台だったのかと感激しました。会には詩人の方が何人かみえていましたが、そう言えば昔は詩の朗読に合わせての演奏もよくやっていたことを思い出しました。バブルがはじけるまでは、色々なパフォーマンスがよく行われていました。書、絵、朗読その他色々なジャンルの人とセッションを楽しんでいました。そう言えば、最近は余りそういうのを見なくなったなと思いました。いつの間にかなっていると気づかないものです。段々と遊びの少ない、余裕のない世の中になってきているのかなという気がしないでもないです。そんな思いを胸に会場を後にしました。
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依存症

2019-11-18 10:41:21 | 民族楽器
以前は買い物依存になっていて、楽器をよく買っていました。買い物依存というのは、買うこと自体に快感を感じるので、買った物には余り関心がないことが多いです。だから、買った物が梱包も解かないまま家の中にごろごろしているという話をよく聞きます。私の場合は演奏するのが目的なので、さすがにそんなことはありませんでしたが、次々に新しい物を買いたくなってしまいました。ネットオークションなので家に居て手軽にできるので、中々止めれませんでした。また、オークションなので落札する快感というのはある種のギャンブル的な面もあったと思います。ある日、これはストレス解消のためにやっていて、依存になっていると気づいたので一切止めました。オークションのサイトの登録を削除するには、サイトが持ちかけてくる色々な誘惑を振り切らなくてはなりませんし、何段階にも手続きをするようになっていて、何とか引き止めようとするようです。それまでは、何かストレスを感じるとすぐにパソコンでオークションを見ていましたが、完全に止めたら何とか諦めがつきました。それからもう一つの依存が、トランプゲームのソリティアというものです。これは大抵のパソコンに無料ソフトとして入っています。ある時に何の気なしにやってみたらはまってしまいました。ちょっと時間があったり、少しイラっとしたりしたらすぐにやっていました。数秒の時間があればすぐに始められる手軽さと、それをやっていると何も考えずに済むのが気楽でした。その時、ちょっと何か用事をする間にやっていました。これも他人がスマホやゲームを一生懸命やっているのを見て、時間の無駄だなと気づいて止めました。これも一切やらないようにしないと止めるのは難しいです。回数を減らすというのは却って大変です。ただ、これは1年程してまた、再開してしまいました。ちょっと暇な時に一度やってしまったことによります。でも1カ月程して余りに頻度が増えたので、時間の無駄を再認識して止めました。依存症というのは中々やっかいな病気だと思います。
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祝賀パレード

2019-11-12 16:02:35 | 民族楽器
週末は用事で東京に行ってきました。日曜日は即位のパレードがあったのでどうなるか心配でしたが、東京駅のゴミ箱やロッカーが使えなくなっていたように思われましたが、余り影響はありませんでした。昭和天皇が亡くなり、その後の即位の時には、天皇の戦争責任などの声が上がっていましたが、今回はそんな雰囲気はまるでなかったように思います。余りに祝賀気分ばかりでそれもどうかとは思いましたが、天皇に対する国民の感情は大分変わってきているように思います。芸能人に対するような物珍しい人を見るような感覚の人が増えているようにも思います。また、どうでもよいという人も多いでしょうか。私も後者の方ですが、それでも、政治家は天皇を利用しようとするので、注意していないといけないように思います。しかし、天皇や皇族の人権を考える人は余りいないように思います。社長の息子が職業選択の自由もなく、周囲から社長の跡を継ぐように求められるような感じがしてしまうのですが。昔のようにね食うに事欠く時代であればそれもまだ悪くはないことなのかも知れませんが、今のような自由に生きられ、金さえあればある程度好きなことができる時代に、束縛を受けるというのはかなりつらい生き方のように思います。
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新しい音楽

2019-11-05 14:46:25 | 民族楽器
先週は、ポルトガルギターのレクチャーコンサートに行ってきました。ファドという音楽を主に演奏する楽器のようですが、ギターの仲間ではないとのことでした。どちらかというとマンドリン的な使い方をしているようですが、マンドリンの仲間でもないとのことです。ファドは1800年頃に発生した音楽とのことで、その後独裁政権に後押しされて、大いに流行ったそうです。ところが、独裁政権が倒れて、そのあおりで一時廃れてしまいました。その後、世界遺産への登録を目指す中で復興したとのことです。日本でも、浪曲が戦意高揚に使われて、その後廃れてしまったことが思い浮かびます。もちろん、戦争に寄与したことが廃れた原因という訳でもありませんが・・・。琵琶などもそうでしたが、歌のある音楽は、歌詞が戦争を礼賛するものであれば、すぐに時流に乗り大衆を煽る危険性があります。ただ、礼賛する歌詞も作れますが、戦争に反対する歌詞も作れる訳ですから、そういう名曲が生まれてくればよいと思っています。ただ、歌とは言っても、邦楽のような語り的な歌というのは、時間が長いし、ワンパターンの音楽になりがちなので、今の世の中で、そのままの形で支持されるのは難しいと思います。新しいものを作っても、古典に比べると影が薄くなってしまうように感じます。どのような形で作ればよいのか、まだよく分かりません。
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