音楽人

民族楽器の収集、演奏を趣味に生きているおやじのはなし

教育と教養

2023-09-26 08:58:25 | 民族楽器
9月に入って、琵琶のコンクールと邦楽の定期演奏会が終わり、今年の目標としていた2大イベントが終わってしまい、ちょっと脱力状態になっています。目標があると迷わないというのが大きなメリットだと思います。そういう意味でも、今は時間があると何をしようかと迷ってしまいます。若い時と違い、今は余り予定を入れていないので、1週間が同じように過ぎてゆきます。そうすると余り何も考えないうちに時間が過ぎてしまいます。年を取ると時間の経過が速くなるというのはそういうことなのかも知れません。イベントがあるとそこに目が向けられ、時間の経過に意識が向きます。そしてそれをこなしたと言う満足感も得られるでしょう。今年は古希を迎えますが、体のあちこちに故障を抱え、中でも膝痛があるので、余り歩けないということもありイベントに出かけようという気持ちは余り起こりません。家でのんびりしていようという気持ちの方が強くなります。また、以前はイベントにかこつけて色々な用事を同時に片付けていましたが、今は一日一つのことをするだけで疲れてしまいます。しかし、膝痛があっても運動しないと筋力が低下してどんどん歩けなくなってしまうので、痛くても歩かない訳にはゆきません。それからすると、億劫でも活動していないと何もできなくなって家に引きこもってしまいかねません。もちろん仕事があれば嫌でも動きますが、それがない場合は対策としては何か定期的な用事を入れることとか良いと思います。以前は英会話に行っていたのですが、更新の時に面倒で止めてしまうと、何か新たな事を捜すと言うのは大変で今は行っていません。年寄りへの教訓として「きょういくときょうよう」というのが言われていますが、まさにどこか行くところがあり用事がなにかあるというのは大切だと思います。
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絶滅危惧種

2023-09-19 10:25:42 | 民族楽器
先週は仕事で上京していました。平日でしたが新幹線は結構混んでいました。修学旅行などの団体客も多かったですし、外国人旅行者は相変わらず多かったです。以前は井の頭公園の大道芸を見に行ったのですが、最近は高円寺に寄ることが増えました。昔から行っている仲屋むげん堂という輸入雑貨の店の本店があります。その他にも色々とユニークな店が多い場所です。ところで最近は台風でなくても新幹線が止まるようになりました。今回も午後から豪雨になりそうだと言うので予定を早めて午前中に帰りましたが、夜になって新幹線が止まっていました。危ういところでした。というのも、その翌日に邦楽の合奏団の演奏会があったからです。今回はソロのパートが多く、難しい曲に挑戦していたので、よく練習にも参加しました。その甲斐もありまずまずの出来栄えでした。コロナの制限もなくなっているので、打ち上げもできました。学生時代のクラブのようなノリで楽しくできました。合奏団は若い人たちが要領よく仕事をこなしてくれるので、助かっています。私が代表をしているNPOは高齢化が進み、次世代への継承が問題になっていますが、ここではうまく回っています。今時邦楽の団体でこのようなところは少ないようです。色々な市に三曲協会というのがありますが、どこもものすごく高齢化が進んでいるようです。余り縛りが多いと若い人はついてきてくれません。それと、若い人たちがやっている曲と年寄がやっている曲はかなり違っています。どちらが良いとかいう問題ではなく、どちらも楽しいものです。知らない曲をやるのは楽しいものです。邦楽が絶滅危惧種にならないことを祈っています。
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想定外

2023-09-11 09:17:29 | 民族楽器
昨日は、琵琶のコンクールがあり上京していました。東京では昨年と同じホテルに泊まったのですが、値段が5割くらい上がっているようでした。新幹線も結構混んでいました。マスクをする人は少数派になってきています。私も人混みでなければマスクをしなくなりました。でも、今コロナ感染は増えているので油断は禁物です。昨年に続き今年も新曲を作って挑みました。暗譜もして、結構自信を持って挑んだのですが、思わぬミスをして敗退してしまいました。難しい箇所がいくつかあり、それを何とか乗り切ったところで、今まで何百回も練習していて一度も失敗したことがないところでミスをしてしまいました。同じような雰囲気の場所に飛んでしまったのです。何も考えずに次の言葉が口から出た途端に間違いに気が付きました。一度口から出た言葉は止めようがありません。少し止まったような気もします。何かとっさに次の言葉を出して誤魔化しましたが、今までの流れとは明らかに違ったものになってしまいました。一年間の努力が、ただ一言の間違いで水の泡になってしまいました。まあ、人生においてそのようなことは時々起こるものです。スポーツの試合でマッチポイントを取りながら逆転されたりというのはよくある話です。入学試験でちょっとしたミスで落ちてしまうのはしくもないかもしれません。今回のミスはある意味想定外だったのですが、本当にあり得ないことかというと、そうではありません。宇宙人が攻めて来るなどというのは全くの想定外の出来事と言えるでしょうが、福島原発事故は想定外のものではありません。想定しておくべきことをしなかっただけのことです。私の今回のミスも十分あり得る話だったのです。ただ、今まで失敗していなかったから油断していたのです。そして油断はちょっとした気のゆるみ、すなわち難しいところをクリアしたことで生じてしまったと思います。隅々にまで気を配っていなかったのです。油断しても落とし穴に落ちないような備えが必要だったのです。それが分かったと言うことは大きな成果ではありますが、大きな代償を払わねばなりませんでした。ところで、最近は何十年に一度とか記録を取りだしてから初めてのなどということがよく言われるようになりました。私も、職場で隣の部屋の人の鍵を持って行ってしまい、鍵が開かないのでやっと気づくことがありました。今の職場に来て13年くらいになりますが初めてのことでした。また、出勤簿のハンコを他の人ところに押していて気付きませんでした。これも初めてのことでした。ということで、老化が確実にやってきています。目に見える形でやってきているのは逆に言えばありがたいことなのかも知れませんが。
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無駄の必要性

2023-09-04 10:22:29 | 民族楽器
再来週に邦楽の合奏団の演奏会があるので、最近は毎週練習に行っています。自転車で小一時間かけてゆくのですごく日焼けしてしまいました。自動車道もあるのですが、危ないので西国街道を通って行きます。まだ自然が残っていて、今は稲の香りがよくします。また百日紅も至る所で咲いています。また、この辺りは裕福な地域だったのか結構大きな家が残っています。昔の家は見ていても風情があります。そういえば、廊下があったり、物干しがあったり、玄関もちゃんとあったなと思い出します。古民家に住んでみたいなと思いますが、そのままでは大変ので、リフォームが必要なのでしょうが。今の家は、特にマンションでは無駄がなく作られていますが、それ分余裕がなくなっているように感じます。余りに機能的すぎてしんどくなるようにも思います。文化や芸術というのも機能的というよりは、無駄なものが多いように感じます。無駄というか遊びの部分が必要なように思います。音楽にしても物をたたいたり、こすったり、はじいたりして音を出しているだけのことです。お腹が膨れるものでも、何かを作り出すものでもありません。でもないと、人生が味気なくなってしまいます。何か非常事態になり余裕を失うと、歌舞音曲はやれなくなったりします。無用の用というところでしょうか。先日、女子のやり投げで世界選手権で金メダルを取っていましたが、やり投げなどはオリンピアの頃ならまだ実戦的な意味もあったでしょうが、今の世の中では全く意味はないでしょう。その技術を生かして何かするというものでもないでしょう。でも、それを見たり聞いたりした人に何らかの感銘を与えるでしょうし、また本人にとってもものすごい努力をしたことで大きな意味をもたらしているでしょう。ものの価値というものは分からないものです。
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