音楽人

民族楽器の収集、演奏を趣味に生きているおやじのはなし

小さな家

2019-02-25 10:26:27 | 民族楽器
今年もそろそろ花粉症になり始めたようです。折角の春なのに、鼻水・涙・くしゃみでは悲しすぎます。ということで、薬を飲み始めました。ただでさえ、色々な薬を計6種類も飲んでいるのに、更に1剤が加わるのは少し抵抗感がありますが、背に腹は代えられません。ところで、最近読んでいる本で、小さな家について書かれたものがあります。ミニマリストとか断捨離とかにも関係してきますが、生活をシンプルにして楽しもうという考え方でもあるようです。今までの世の中の流れは、大きな家、便利な家に住もう。そのためにはお金を稼ごうということになります。でも、そうして必死に稼いでいると生活を楽しむこともできません。何のために生きるか。今までは、そのようなことを考えるのは哲学のような難しいもののようにとらえられてきましたが、若い人は自分の生活の中で自然に考えることができているようです。そして、今までの価値観とは違った、自分の納得できる生き方を始める人が出てきているようです。そして、それは孤立せず、仲間を作り、ネットなどを介して広がっているようです。私なぞは物に溢れた生活に浸りきってしまっています。でもというか、だからというか、このような生き方にあこがれるところがあります。小さな家を自分で作ってゆく、あるいは生活の色々な物を自給してゆくという、昔ながらの生活の方向に自然と向かってゆくようです。色々な情報・価値観に踊らされて、自分がどうしたいかなどと余り考えずにいきてきたような気がします。お金を持った者、力を持った者が今の世の中を牛耳っていますが、それは個人の幸せとは別の次元のものだと思います。昔は自分たちで作っていた物も今では買うようになっています。私が子供の頃は、服なども余りなく、母親がセーターを編んだり、服を作ってくれたりしていました。どこの家でもそんな感じだったように思います。今は趣味で作る人はいても、日常的に作られることはなくなりました。安くて良い物が簡単に手に入ります。アフリカなどでも、地元の手織りなどがなくなっていっていると聞きます。支援物資として、安いTシャツなどが入ってくるので、手間を掛けて作るような物はなくなってゆくようです。以前、知り合いの家に行ったら、饅頭を作ってくれました。餡や皮を作り、蒸して作っているのを見て、カルチャーショックを受けました。こんなものが作れるのだ。お金や時間を考えたら、買った方が楽に決まっています。でも、その手間を惜しまず作る。そのような生き方をされている方でした。世の中、便利になったのは事実だと思いますが、幸せになったのかどうかと言えば、不幸せになってきているのではないかなとも思います。物がなくて、分け合っていた時の方が人との交流が濃密だったと思います。今、物は溢れていても人は孤立しています。心を病む人も増えてしまいました。世の中の流れに流されず、自分に必要な物は何かを確認しながらやってゆくしかないのでしょうが、難しいことです。
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再生芸術

2019-02-20 09:53:30 | 民族楽器
最近、何か新しいジャンルの音楽を自分で作ってみたくなり色々と考えています。沖縄の歴史を三線の弾き語りでする。耳なし芳一を琵琶を弾きながら一人芝居でやる。津軽三味線のような琵琶曲を作る。等々、あれこれと夢想しています。音楽は再生芸術というような言い方をします。勿論即興演奏のように再生でないものも一部ありますが、基本的には譜面があって、その通りに演奏するのが基本になります。それはそれで楽しいし、名曲はやはり名曲ですばらしいとは思うのですが、物足りなさも感じてしまいます。絵画であれば、名画を再現するのなら模写になってしまいます。ただ、音楽は楽譜の段階では芸術とは言えないと思います。演奏されることにより始めて芸術と認識されます。とはいえ、名曲であればある程度の技術があれば、評価を受けることができます。演奏会などでも、この拍手は曲に対してなのか演奏に対してなのか、どちらなのだろうと思うこともあります。まあ、両方なのだろうと思いますが、演奏する側にすれば、名曲を演奏することでリスクを回避している面もあると思います。現代音楽などは名演をしても一般にはほとんど評価されないでしょう。逆に名曲であれば少々下手な演奏でも聴衆に受けるでしょう。インド音楽などは基本的に即興演奏のようなので、演奏家がコンサートの責任をすべて負うことになります。西洋音楽も昔は演奏において、ある程度即興の要素も重視されていたようですが、曲が緻密に作られるようになり、演奏家の即興の要素が省かれていったようです。通奏低音や緩徐楽章での即興やカデンツァなどは昔は演奏家の自由度が高かったようです。それが段々と、作曲家と演奏家は完全に分離されて、再生芸術と呼ばれるようになってしまったようにも思います。
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やり残した宿題

2019-02-12 10:15:12 | 民族楽器
昨日は、関係しているNPOの会議に出かけていました。私同じくらいかそれ以上の年齢の方が多いのですが、仕事を引退した人もそれまでの経験を生かして地域で活躍されている方々なので中々平日に時間を都合することが難しいのです。逆に若い人の場合は休みの日というのは家族サービスになるので難しいでしょう。私は中途半端に平日も休日も少し忙しいという感じでしょうか。特に音楽活動との二足草鞋なので休日に出かけることも多いです。忙しいと楽器の練習がしにくいと思われがちですが、時間がないほど少しの時間を見つけては練習するものです。逆に時間ができてしまうと、今何をするべきかなどと考えてしまい却って楽器の練習ができなくなることもあります。私はADHD的な傾向があるのか、一つのことを深くするよりも色々なことに関心を持って手を出してしまいがちなので、いくら時間があっても足りない面があります。いくら練習しても切りがありません。若い頃は時間に任せて練習することもありましたが、残り時間が減ってくると何を本当はやりたいのかなどと考えてしまうようになりました。これは仕事も同じで、仕事をしている時は何も考えずに仕事をしていたら時間は過ぎていったのですが、仕事をしなくなると何をやるかということは大きな問題になってきます。というか、何をするかを考えなくてはならないというのは大きな問題になります。若い頃に何を仕事にしようかとかどのように生きようかなどと考えていたのと同じような問題とも言えるでしょう。私の場合は、若い時に結論が出ず、やり残したまま年を取ってきたので、今になってまた考え始めるようになった感じです。結局、やらねばならないことはいつかはやらねばならないということなのでしょう。もっとも、若い時程に切迫感はありません。若い時はそれが定まらないと生きてゆけないような切迫感を感じていたものですが、この年になるとそれが見つかればいいなというくらいの感じになってしまっています。宗教関係の本を読んだりするようになりましたが、今の宗教もそのような切迫感を欠いているいるような気がします。命がけで修行するような人はもう、余りいないのでしょう。職業としての宗教家しかいなくなってしまったような感じです。そうした中で宗教離れや葬式の儀式化などが起ってきているように思います。宗教家のところに心の相談に行く人は減ってしまったように思います。そんな人を相手にするように公認心理師というような資格もできたようです。でも、心理士というのは心の問題は扱っても、一般には魂の問題までは扱いません。これは精神医学も同様です。ただ、最近の心理学ではスピリチュアルな分野も研究されるようにはなってきているようです。取りとめもない話になってしまいました。
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時間の使い方

2019-02-04 14:01:27 | 民族楽器
先週、書いていたブログを下書きのまま投稿していないことに気づきました。年を取ったせいか物忘れがよくあります。ところで、先日入っていた予定が流れ、半日空白ができました。その時に何をするか困ってしまいました。やりたいことがない訳ではないのですが、優先順位が分からなかったという感じです。楽器の練習というのは鉄板の用事で、それをしていたら間違いはないのですが、それは今の時間の過ごし方という面だけでしかない気がしたのです。仕事も鉄板の用事という気がします。何も考えなくても、やっていれば間違いはないと思います。でも、自分の一生というスパンで考えた時に、そのことで時間を使うのがよいのかどうかは分かりません。自分が今本当にやりたい事というのは何かと考えると、必ずしも鉄板の用事ではないように思います。楽器を弾くという行為は結構楽しいことで時間が潰れるので、ちょっと時間があると何も考えずに弾いてしまいます。折角、ある程度時間ができたなら、それとは違う使い方があるのではないかと思ってしまいます。ということで、その時は曲を作ることにしました。曲を作るのは楽しい面はあるのですが、面倒で根気がいる行為でもあります。ですから、大抵は必要に迫られて作ることが多いです。でも作っておくと、後で作っていてよかったなという気持ちになります。昔は、ギャラリーで個展に合わせて、絵や書に音を付けたりしたことがありました。最初は、事前に見ておいて曲を作っていたのですが、作ってから演奏するまでにほとんど時間がなかったので演奏でのミスが出ることがありました。その時に、それなら即興でやったらとある人から言われてそうするようになりました。今はある意味、即興を譜にしたものが私における作曲になっています。
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