土曜日は、神戸でコンサートがあり琵琶その他を演奏してきました。来年、神戸開港150年とのことで、神戸港の歴史を音楽で綴るというコンセプトでなされました。私は、清盛が神戸港の元を築いたことや、それ以後明治までの出来事を琵琶曲にして演奏しました。やはり琵琶は歴史を語るにはぴったりです。その他、青葉の笛という曲をみさと笛で吹き、ゲゲゲの鬼太郎の曲を琵琶で弾き、最後はパンフルートで「うみ」をの伴奏をしました。鬼太郎は結構雰囲気が合っていたのと、意外性があったのとでお客さんに受けていました。地元で、継続して音楽活動をやっているので、お客さんは一杯で、またとても温かいお客さんでした。まだ、風邪の影響が残っていて、喉の調子はよくないですが、短時間なら歌えるようになってきています。声を掛けていた知人も来てくれて、久しぶりに話をすることができてそれも楽しかったです。ところで、今は琵琶は年に数回習いに行くだけなので、ほとんど自主練習という感じですが、演奏の機会があるとそれが励みになります。余り琵琶会には出演しておらず、一般の人を相手に弾くことが多いです。それにしても、先生がいて、月謝を払えば教えてもらえるというのはとてもありがたいことだと思います。自分で学ぶというのはすごく大変なことですから。でも、先生はよい先生を選ぶことが大切です。演奏の技量の問題ではなく、教えるのがうまいかどうかの方が大切です。後は、一生懸命練習すれば自然にうまくなっていきます。
アニサキスの後、体調を崩し、結局風邪を引いてしまいました。しかし、仕事が休めず働きながら直すということになりました。昔は、少しくらいの風邪なら、運動療法と称して、テニスをしたりして汗をかいて直していたのですが、さすがに年齢のことを考え、今回は自重しました。今は、ほぼ治りましたが、咳と痰が続いています。喘息ではないのですが、寝る時に気管支辺りで、ピーピー音がするのを聞きながら寝ています。昔と違い、直る時は薄紙一枚ずつと言いますか、そんな感じになってきました。だから一度風邪を引くと3か月くらいは何か影響が残ると考えた方がよさそうです。ところで、1週間くらい琵琶の練習はストップしていました。喉を痛めている時に歌うと、さすがに具合が悪いです。今週の土曜日に本番ですので、それまでに何とか直したいと思っています。今年の秋に、公演予定の片桐旦元の舞台台本を作らないといけないので、図書館から本を借りてきて読んでいます。どちらかというと地味な人なので、踊りと絡ませるのが大変そうです。しかし、地元の昔のことを調べるのは中々楽しいものです。現在にも、色々な遺物が残っています。また、琵琶は、歴史物を語るには丁度よい楽器だと思います。というか、逆に現代ものを語る時に苦労します。文語調の方が語る上では座りがよいのです。
先週は、サバを食べてアニサキスという寄生虫に胃をやられてしまいました。まだ、本調子には戻っていません。昨年から、初めての病気によくかかります。これも新たな体験として前向きにとらえればよいのでしょうが。一昨日珍しく肩が凝るなと思っていたら、昨日は喉にみずっぽい痰が絡み、今日は気管支炎を疑わせる症状が出てきました。体が病気に敏感になっているようです。体の声に耳を傾けることが大切な年齢ということでしょうか。若いうちは気づきませんでしたから、これも老人力の一つでしょう。ところで今は、来週のコンサートに向けて、少し練習しています。自分で作詞作曲した、琵琶の曲などは、止まりさえしなければ誰にもわからないのでしょうが・・・。琵琶は自分で作詞して、ご当地ソングを作れるところがよいものです。現代のものよりも、歴史的なものの方が語りやすいですが。琵琶の曲では、昔の大きな戦はすべてと言ってよいくらい、曲になっています。ですから、新しく作ろうと思えば一般的には、ローカルな戦や他の題材ということになります。だから、一度演奏しただけで、お蔵入りになってしまうことが多いです。それでも、現地ではすごく受けます。それは、言葉が持っている力でしょう。言葉は、楽器の演奏では伝えにくいもの、具体的な事物を伝えるのには優れています。ただ、言葉で伝えられないものを楽器は伝えることができます。ですから、両方が一度にできる弾き語りというのは、表現力があるのだと思います。日本の音楽は声楽の方がメインで伝わってきたものが多いですが、今の若い人には余り受けなくなってしまっています。でも、楽器だと若者の心の琴線に触れることができるようです。
最近は、民族音楽のビデオを見ています。基本的に皆、とても楽しそうに演奏しています。素朴な感じのものが多いですが、今のような、テレビやインターネットからの強烈な刺激にさらされて、存続してゆけるか難しいところです。また、若者が都会に出て行ったりして、芸能の担い手の減少も見られるようです。テレビなどなら、面白くなければチャンネルを変えればよいですが、生で聴いたり見たりするものでは、ずっと辛抱していなくてはなりません。琵琶などでも、昔の演奏では30分くらいやっていたようですが、今はほとんどが15分以内になっています。漫才などを見ていても、5分くらいの細切れなものが多いし、その中でずっと笑わせようとします。とにかく、刺激を多くしないと、聴く人の注意が持続しないようです。現代人は忙しくなって、ゆっくりと何かするのは苦手になってきているようです。また、刺激的な世の中になってきているので、絶えず刺激し続けないと注意が持続しないようです。現代の文明の方向性がそうなってしまっているので、文化もそうなってゆくのは仕方のないことなのでしょうか。伝統文化をやっているものとしては、すべて昔の方がよいとは思いませんが、大切なものが失われてきているような気はします。