音楽人

民族楽器の収集、演奏を趣味に生きているおやじのはなし

これからの生き方

2024-01-30 08:58:16 | 民族楽器
休みの日は、基本余り音楽の練習はしません。できるだけ普段できないことをやろうとしています。最近は、鬼滅の刃を琵琶曲にしていました。23巻ありますが、ようやく全部の作詞ができました。ユーチュブに動画を毎週1つアップするようにしています。ほとんど見てくれる人はいませんが、自己満足でやっています。他の芸術は作品として残りますが、音楽はどうしても演奏したものが余り残りません。残す程のものにはなっていないのですが、日記を書くようなもので、自分のやったことの足跡を残したいのかもしれません。毎日同じことをルーチンでこなしていても日は過ぎてゆくし、それはそれで楽しいのですが、残された日数を考えるとこんなことで一生を終えて良いのだろうかなどと考えてしまいます。現役時代は月曜日から日曜日まで毎日違うメニューがなされていたのが、引退するとサンデー毎日になってしまい、べたっと一色に染まってしまいがちだと思います。まだ、私は何とか仕事を続けることができていますが、いつまで続けるかについては考えてゆかないといけないと思っています。いつまでも昔と同じような生活を求めるというのはどうなのかなと思います。ただ、引退してしまうとやることがなくなってしまうというのは
よく聞く話なので、どう生きてゆくのかは難しいです。家の近所に生涯学習センターがありますが、ここには引退した人がたくさん来ています。積極的いるに生きている人が多いです。私もやってみたいなと思う講座もあるのですが、ただ、受講しているだけでは暇つぶしとそれほど変わらないような気もします。まだこれから模索してゆかねばならないでしょう。
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平和の歌

2024-01-22 09:07:13 | 民族楽器
以前にユーチュブにアップしていたものを見ていて、最近余りアップしていないことに気が付きました。2年以上前にはかなりアップしていました。コロナの最初の頃は緊急事態宣言を初めとして、社会活動がかなり制限されていました。その頃は一生懸命表現の場を確保しようとあがいていたようです。その後徐々に規制が解除されていって、投稿することも減っていきました。でも、そのようなこともしばらく経つと忘れてしまいます。今アフガニスタンではタリバンが支配して、音楽などは抑圧されているようです。そのようなところではネットの世界でも必ずしも安全ではないようです。音楽家にとってはどうしようもないようなつらい状況だと思います。平和のありがたさを実感します。また、政治形態によって人生はものすごく左右されるので、今の日本に生まれたことを感謝しています。私は吟遊詩人に憧れているのですが、吟遊詩人は大体は反体制的というか、民衆の側の人間です。王侯貴族の宴会の席で演奏して金儲けをするよりも、民衆の間で儲けにもならない歌を歌うことを良しとした人たちがいたのでしょう。私の若い頃にも反戦フォークが流行っていたことがありました。今は余り政治などに関わる歌は歌われていないように思います。明治・大正の頃は演歌師というのが反政府的な歌を歌って受けていたようです。喜納庄吉さんは武器の代わりに楽器を持とうと歌っていたように思います。平和を歌ったところで平和が来る訳ではありませんが、平和を求めて歌ってゆきたいと思っています。
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無料コンサート

2024-01-16 10:06:39 | 民族楽器
先週末、近所であったクラシック音楽の無料コンサートに行ってきました。ものすごく練習をして、多くの競争に勝ち残って、音楽大学を出ても、有料のコンサートは中々できないようです。音楽で食べてゆける人はほんのわずかなのに、毎年多数の音大生が卒業します。コンサートのハードルが高すぎるような気がします。若手の落語家などはちょっとしたスペースがあれば落語会をしています。個人の家ででも開かれています。ピアノを持っている家はたくさんあると思うので、そのような場所でサロンコンサートが気軽に開かれることができればよいなと思います。例え1000円で料金を取って、有料のコンサートを気軽にできれば、演奏の機会が増えて実力もつくだろうし、多少なりともお金が入り、口コミででも応援してくれる人が増えるでしょう。ただ、1000円を払ってでも聞きたいという人がどれだけいるかということもあるかも知れません。落語ならば近くで生の話が聞けるという
のは魅力的か知れませんが、クラシック音楽というのは少し敷居が高いかも知れません。昔であれば、多くの女子はピアノを習っていました。でも、続ける人は余りいなかったと思います。音大にでも行く人は別として、ほとんどは途中でやめてしまったと思います。町で聞こえて来るピアノの音もバイエルなど練習曲ばかりで、ショパンやベートーベンなどの音楽が聞こえてくることはほとんどありませんでした。教養のためといって、親も聞かないクラシック音楽を習わせても長続きしませんでした。余り身近な音楽ではないようです。そういう意味では落語の方が身近な芸能と言えるのでしょう。それからすると琵琶などはもっと縁遠いものになってしまいますが、もっと身近なものになったらいいなと思っています。ところでクラシック音楽のコンサートのパンフレットは、卒業した学校、コンクール、師事した先生の名前などが羅列されていますが、単純に今の私の音・音楽を聴いて下さいということではいけないのでしょうか。
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今年の企画

2024-01-09 09:49:34 | 民族楽器
今年の年末年始の休みは比較的のんびりと過ごすことができました。1/6は所属している邦楽の合奏団の練習と演奏と新年会がありました。演奏はFM番組の生放送での出演でした。お客さんはほとんどいませんでしたが、楽しく演奏できました。9月の演奏会が終わってから初めての参加でした。今年の演奏会で演奏する曲を相談したりしましたが、私の知らない曲ばかりでした。逆に私の知っているような曲は若い人は余りなじみがないでしょう。昔からの社中などのやっている曲は、私にとってなじみのある曲が多いですが、若い人は余りやりたがらないでしょう。そういうこともあるのでしょうが、社中はどんどん消滅していっています。博物館的な団体として、一部は細々と残るのでしょうが、ほとんどはなくなるでしょう。その点、今入っている合奏団は若い人が次々入ってきています。私も含め、年寄もいますが、余り口出しはせず調整役的なことしかしないので、若い人にとってはやりやすいと思います。また、SNSなどで発信もしているようで、それを見て入って来る人も多いです。邦楽すべてが斜陽という訳ではなく、やり方次第では何とかなると思っています。新年会もとても楽しかったです。やはり同じ趣味の人なので話が盛り上がりました。昨年から続けている、鬼滅の刃を琵琶で弾くという企画はまだ続けています。大体1週間に1曲アップしています。図書館に漫画が置いてあるのですが、ほとんど借りだされているので、予約を入れて確保しています。市内に同じ本が16冊あるので、比較的すぐ手に入ります。まず、漫画を楽しく読んでからそれを要約します。演奏の方はほぼ即興で、譜面は作りません。まあ、元々琵琶というのは歌詞があれば即興で歌えるものです。ただ、そのためややワンパターンになってしまうのがネックです。連作なので同じようなものが続くと飽きられてしまいます。まだ、その点は克服できていませんが、とりあえず続けてゆくつもりです。
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新年あけましておめでとうございます。

2024-01-02 08:49:06 | 民族楽器
昨年は古希になり、その頃一時体調を崩したりしていましたが、ようやく元に戻った感じです。元に戻ったつもりでも実は体力などは前よりは落ちているのでしょう。何か努力しなければ知らない内に体力は落ちて行っていると思います。いつも例えとして言っているのが下りのエスカレーターです。何もしないと下に降りて行ってしまいます。ちょうど節目の年でそれを体感したので、これからは油断せずに過ごしてゆこうと思っています。膝痛があるので最近は、膝痛体操をやっています。簡単な筋トレといったところです。それから脳トレとして数独もやっています。ソリティアもやっていますが、こちらはやや依存症的な感じになっています。運が関与するものは気を付けないとのめりこんでしまいます。新年は邦楽の演奏があります。今も筝曲や長唄を聞きながらこれを書いていますが、鶴亀とか春の曲などめでたい名前の曲が続いていますが、これは歌詞を聞くからめでたいのであって曲を聴いていてもめでたさは感じません。邦楽の歌はとてもゆっくりと歌うのでかなり辛抱して聞いていないと何を言っているのか分かりません。尺八で合奏していた時に筝の人が歌っているのを聞いていましたが、はっきり言って何を歌っているのか分かっていませんでした。今の若い人が歌っている歌は逆にものすごく言葉が早いので何を言っているのか分かりません。でも若い人はほとんど良く分かっているようです。早い遅いの問題はあるのでしょうが、分かろうという気がないと分からないということだと思います。そういう意味ではこれから邦楽のゆっくりした歌というのは厳しいでしょう。実際に古曲をやろうという人はかなり減っています。どちらかといえば博物館入り的な曲になってきています。昔は曲が限られていたので、若い人も古曲をやっていましたが、今はどんどん新しい曲ができているのでそちらがやられるようです。邦楽は今や正月くらいしかしっかり聞くことができなくなってきています。聞く機会がなければどんどん廃れていってしまいます。残念なことですが仕方ないのかなとも思っています。まあ、今は一緒にやる仲間がいるのでそれで良しとしています。時間によって淘汰されても本当に良いものは残ってゆくのではないかとは思っています。
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