音楽人

民族楽器の収集、演奏を趣味に生きているおやじのはなし

山形

2020-02-25 09:50:21 | 民族楽器
先週末は子供と山形に行っていました。コロナウイルスが少しは気になりましたが、だいぶ前に予約を取っていたものなので、行くことにしました。飛行機は往復とも満席でした。マスクしている人は半分くらいでしょうか。職員は皆さんしておられました。今年の山形は雪が少なく、百年ぶりだとか言っていました。いつもなら1~2mくらいあるとのことでしたが、日陰に少しある程度でした。雪が少ないと、雪解け水で田が潤わないので農家の人が困るとのことでした。また、除雪員も仕事がないようです。こちらとしても歩きやすいのはよいのですが、雪の風情が楽しめず残念でした。山形新幹線は在来線を走っているので、少し違和感がありました。在来線は一時間に一本くらいしか走っておらず、地元の人にとっては、新幹線ができてかえって不便な面もあるのではないでしょうか。でも、東京からはかなり来やすくなったようです。銀山温泉というところに行ったのですが、山の中の不便なところなのになかなか予約が取れませんでした。子供に聞くとネットの世界では結構有名なようです。実際、お客さんは若い人が中心でした。今時田舎の温泉場なら年寄りばかりと思っていたのですが、大違いでした。また、中国からも個人旅行客が来ていました。ここも前日に電話したら、まったく雪がないとのことだたのですが、私たちが行く前日に吹雪になって、行った時には結構雪が積もっていました。古びた田舎の温泉宿でしたが、雪の積もった景色は絶景でした。宿はどこも満員のようで、観光客でいっぱいでした。関西からは遠いので行きにくいですが、東北地方は温泉も食べ物も楽しめるところでした。
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流されて生きる

2020-02-18 10:17:26 | 民族楽器
職場のパソコンを買い替えて、まだ慣れてはいませんが、時間をかけて慣らしてゆくしか仕方ありません。Windowsは10で最終形のようで、今後は大きなバージョンアップはないようです。あとはマイナーチェンジだとか聞きました。そうなってくれると嬉しいのですが。今まで、慣れた頃にはバージョンアップで、またやり直しといういたちごっこばかりでした。どっちみち新しい機能は使いこなせていないのだから、そのままにしておいてくれると助かるのですが、皆が競争して新しいものを出すので、仕方ないのでしょう。そうして一見便利な世の中が作られてきたわけです。でも、競争社会に拍車がかかり、それについてゆけないものは取り残されてしまいます。特に情報に関しては、明らかに情報弱者というものが存在しています。何でも新しい物ができると、それを持っている者は便利になりますが、逆に持っていない者は不便になってしまいます。それで皆、仕方なくついてゆくということになります。公衆電話がなくなってきたので、携帯電話を持たざるを得なくなってしまいました。車社会になって、大型店舗が郊外にでき、駅前の小さな店は潰れてゆきました。新幹線ができて、在来線は不便になりました。でも、そうしてできた社会が本当に生きやすい社会なのかどうかは疑問です。取り残される人間が段々と増えてゆきます。そんなに便利でなくても、そこそこでよいのですが、社会はとにかく便利な方向に流れ続けます。それにより不便な社会になっていっているように感じます。中国などを見ていると、新しい技術がどんどん政府に取り入れられ、国民はどんどん監視されるようになってきているようです。今まで、進歩は善のように捉えられてきましたが、これ以上の進歩は悪につながるようにも思います。もちろん善の進歩もあるので一概には言えないのでしょうが。例えば病気の治療法などは善なようにも思えますが、進歩は一部だけではできません。他の部分での進歩が必要になるので、結局は皆繋がってしまいます。アメリカに昔の暮らしをしている人たちがいるようですが、過去に戻ることはかなり難しいように思います。今使っている便利なものを手放すというのはかなり抵抗が強いでしょう。だから、今以上にしないというのが現実的なように思います。でも、進歩を止めるというのは人間の本質に逆らうことなのかも知れません。結局は流されて生きてゆくことになるのでしょうか。
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コロナウイルス

2020-02-10 10:13:39 | 民族楽器
今はコロナウイルスのニュースで、次に何が起こってくるのか気になります。いつかは乗ってみたいと思っていた世界一周クルーズにこんなリスクがあるとは思っていませんでした。中国での人権を無視した規制には心痛みますが、それでも感染は収まりません。世界中の経済が影響を受けていますし、決して他人事ではありません。とは言いながら、自分が今できることをやってゆくしかありません。用事がなければ人混みは避けたくなりますが、すべてを避けることはできません。ある程度、覚悟を決めて生きてゆくしか仕方がありません。ということは、いつもと同じに生きてゆくということだけのようです。週末は子供が慌ただしく帰ってきました。どうしても生活のリズムが崩れてしまいます。昨日は一緒に外出しましたが、大阪の人出は少なかったような気がしました。中国人の団体がいないせいもあるし、日本人も不要不急の外出は避けようということなのでしょうか。マスクは約半数くらいがしていました。感染した人がするのは大事なようですが、感染予防になるのかどうかはっきりしていないようですが、今はやろうということのようです。誰が感染しているか分からないので意味があるのかも知れません。普段生きていて、余り死の危険性について意識していません。年を取ってくると、若い時よりは意識するようにはなってきましたが、それでも普段の生活では余り意識していません。コロナウイルスにかかっただけで、死を意識することはないでしょうが、それでも気になるでしょう。それだけ、我々の現代の生活というのは死から離れています。だから、世界中で平和な国では宗教離れが起こっているのだと思います。苦しむことのない人にとっては宗教は余り必要には思えないでしょう。昔に比べれば、平和で苦しみの少ない世の中になってきていますが、一生苦しみを感じずに生きてゆくことは不可能のように思います。死や苦しみについて考えることすらしないのが当たり前の世の中になってきているような気がします。でも、本当にそれでよいのでしょうか。今回のコロナウイルスの騒動もよりよい生き方につながってゆくことができれば意義のあるものになるように思います。
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コンクール

2020-02-03 09:45:15 | 民族楽器
今年も琵琶のコンクールに出ようと思っています。曲は昨年と同じにするかどうか迷っています。コンクールの場合は他人との比較になるので、他人よりも印象の残る演奏ができなくてはなりません。プロのように活動している女性奏者は演奏もうまいし、声もよいし、容姿もきれいしで、普通にやっていは太刀打ちできません。そのためには、女性にはできないような演奏をするしかありません。迫力のある演奏をするということになるのでしょうか。それには、曲が大きく関係してきます。昨年やった曲はそれ程迫力の出せる曲ではないので、完成度で勝負しなくてはなりませんが、そうするとプロ的な活動をしている人相手では難しいです。師匠から習った曲で迫力のある曲もあるのですが、それは兄弟弟子がやっているので、それで出る訳にはゆきません。新たな曲を自分で編曲するか、師匠にしてもらうか、色々と悩んでいます。まあ、コンクールに出て何か変わる訳ではないのですが、練習する上でのモチベーションにはなっています。この年になっているのだから、単に楽しんで弾けばよさそうなものですが、楽器の演奏というのは、他人に聞いてもらうのも楽しみの一つだと思います。誰にも聞いてもらわず、一人で演奏しているのは修行のようなものになり、楽しむというのも難しいようにも思います。中国や日本では音楽の精神性が重要視されているように思います。琴は君子の嗜みという感じの楽器のようですし、その他にも一人で自然を相手に演奏するような話がよくあります。西洋の音楽観とは大分違うように思います。どちらがよいというものではなく、どちらの要素も必要なように思います。
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