音楽人

民族楽器の収集、演奏を趣味に生きているおやじのはなし

芸の継承

2016-08-30 09:24:27 | 民族楽器
先週は、兵馬俑を見に行ってきました。生の文物の迫力は素晴らしかったです。中国は日本と比べて、政権を取ることは日本とは違い革命なので、度量衡すべてが変わります。音の高さの基準まで変わるのですから、すごく大変なことです。日本なら前の時代のよいものは使ってゆこうとしますが、向こうは徹底的にやるようです。一概に、どちらがよいとかは言えません。日本では、古き良きものは残っていきます。それがなければ、伝統音楽も残っていなかったでしょう。中国楽器などを見ていると、どんどん変化していっています。日本ならば、前のものも残ってゆくのでしょうが。それを見た後には、上方歌舞伎の公演を見に行きました。こちらは、門閥の子弟ではなく、歌舞伎塾などを経て入ってきた一般の人による公演でした。歌舞伎は血縁による差別の厳しいところなので、普段は端役しかできませんが、この日は大きな役に挑戦できるので、皆張り切って演じていました。伝統芸能は家によって守られてきた面もあるので、一概に否定することはできませんが、難しい問題です。音楽も同様な面はありますが、個人で演奏するのであれば、明らかに天才が出れば活躍する場はあるようです。だから、邦楽などでは若手のプロも結構出てきています。またクラシックなどは競争が厳しいので、後を継ぐというのは余り考えられないようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手作りの音楽・楽器

2016-08-22 09:47:37 | 民族楽器
先週の日曜日は、尺八の講習会に行き、本曲を習ってきました。今は、年に1・2回単発で習いに行っています。習うというのは刺激になってよいものです。また、うまい人に習うというのは、価値のあるものです。自分ひとりで吹いていると、マンネリ化しやすいです。先日、邦楽関係の雑誌に載っていたのですが、尺八は現在のような流派による団体というのは、しばらくすれば消滅してしまうとのことです。平均年齢は70歳を超え、新たに始める人よりも亡くなってゆく人の方が多いので、消滅してしまうようです。最近は大学出の若手がプロとして出たりしていますが、今後は、そういう人の中で、リーダーシップのある人が、団体を作ってやってゆくようなことになるようです。しかし、海外では尺八をする人が着実に増えつつあるようです。プロも増えてきています。そういう人たちは、楽器としてよりも、精神性を重視し、昔の虚無僧の尺八にあこがれるようです。自分で尺八を作り、瞑想したりとかなり本格的な人が多いようです。尺八も、西洋音楽が入ってからは、ピッチや音程などをうるさく言うようになり、楽器としての性能が問題にされるようになっています。でも元々自分で作って、自分で吹いていた時は、人と合わせることも余りなく、自分なりに吹ければよかったようです。そうであれば比較的簡単に尺八を作ることができます。そして、吹きながら必要に応じて、微調整をしてゆきます。民族楽器もそうですが、元々は生活の合間に、自分の楽器は自分で作るのが普通だったようです。今では、工場で大量生産するのが当たり前になってしまっていますが。それから、音楽も自分で作って演奏できればいいなと思います。へたでも、自分の思いを込めて演奏し唄えたらと思います。楽器を買い、楽譜を買い、音源を買ってするのばかりが音楽ではないと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お盆休み

2016-08-17 10:10:14 | 民族楽器
お盆と言っても、お墓参りにも行かず、ご先祖様に申し訳ないのですが、旅行に行ってきました。先日も使用した、青春18きっぷを使って、出石まで行ってきました。山陰線の八鹿という駅から車で20分くらいのところにあり、交通の便は余りよくありません。最近は車が主体なのでどうということはないのでしょうが。高速道路網が整うにつれ、ローカル線はますます不便になっているような気がします。行きは山陰線で、帰りは播但線経由で帰りました。新幹線と比べ、ゆっくり走るので車窓を楽しむこともできます。播但線の列車は1両でしたが、バーのカウンターのような座席になっていてとても珍しかったです。山の中などは時速30キロも出していないようなスピードでしたが、定時に到着したところをみると、それが定速のようでした。作物の種類や育ち具合は場所によって異なり、それもおもしろいものです。帰りの新快速では、スピードが速いので、大きな景色しか見ることができません。ローカル線の旅というのは、旅そのものが楽しいものです。今は新幹線や高速を使い、目的地でのレジャーだけが旅の目的になり、途中は時間潰し的になってしまいがちです。ゲームなどしながら時間を潰すのでは旅の楽しみの半分も楽しめていないような気がします。景色を見ていて、飽きたら本を読んだり、居眠りしたりというのは、とても貴重な時間だったように思います。出石の町は、昔の雰囲気の残ったとても風情のある町でした。昼食に2回皿そばを食べましたが、とても美味しかったです。20年くらい前に一度来て、その時に覗いた古道具屋さんに行きたかったのですが、店はもう潰れてしまっていて行けませんでした。昔に比べて、観光客も増えているようで、そば屋さんの数が40数軒もあるそうです。宿は安いところに泊りましたが、お金をかけないために色々な工夫がされていて、面白かったです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花火見物

2016-08-08 12:15:50 | 民族楽器
土曜日は、淀川の花火大会があり、淡路で宴会をしながら花火見物をしました。広い和室で舞台もあったので、何かやってくれとのことで、琵琶を持って行きました。耳なし芳一を聞きたいとのリクエストがあったので、やったのですが、薩摩琵琶では決定版といえる作品がありません。ということで、自分で作ったのをやりました。50歳くらいの人は、この話をご存じありませんでした。それ以上の人は、学校の教科書で習ったようなのですが、私自身はどうだったかよく覚えておりません。昔なら、琵琶と言えば芳一という感じだったのですが・・・比較的、分かりやすい内容なので、解説がなくても分かるようですが、平家物語などになると、知らない言葉が結構出てくるので、初めてだと分かりにくいかも知れません。落語なども話の枕で、言葉の解説を入れたりしています。日本の古典では段々と分かる人が減ってゆくのでしょう。ところで、今民族音楽系の人の書いた本を読んでいますが、日本が外国の文化支援の一環で音楽支援をすると、日本音楽でもなく、現地の音楽でもなく西洋古典音楽になるとのことです。確かに日本はオーケストラを派遣したりしています。欧米が西洋音楽を世界に広めようとするのは分かるのですが、なぜ日本が同様のことをするのかは意味不明です。日本人はクラシック音楽は自分たちの音楽だと思っているところがあるようです。というか、日本人は日本の音楽を知らず、知っているのが西洋音楽だけということなのでしょう。でも、欧米人が見ても、また援助先の現地の人が見ても、西洋音楽は日本の音楽ではありません。それをなぜ日本人が広めようとするのでしょうか?自分の国の文化を失ってしまうと、単なる根なし草になってしまうように思うのですが。その本でも、日本人は人間になろうとするサルにたとえられていました。昔、南アフリカで日本人は名誉白人と言われていたようですが、それと同じようなものなのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またまた、青春18

2016-08-01 13:50:57 | 民族楽器
先週の土曜日は、青春18切符を使って日帰り旅行をしてきました。7時過ぎに家を出て、快速、新快速、各停を乗り継いで、日生に行ってきました。魚を売っていましたが、電車なので、余り生臭いものを多量に仕入れて変える訳にもゆかないので、ママカリの酢漬けや、アナゴの骨せんべいなどを買いました。昼から、ビールを飲みながらおいしい魚を食べました。それから姫路に出て、古道具屋さんを覗き、お酒を買い、元町に出て、パンや豚まんを買い、中華料理店で晩御飯を食べて夜の7時過ぎに帰ってきました。豚まんは、老祥記という有名な店で買いました。南京町にある店は、いつも行列がいっぱいなので、西元町の方の店で買います。仲の悪い兄弟とのことで、先代から店を継ぐ時に別れたという話を以前聞いたことがあるように思います。味は多分同じだと思います。南京町の方は値上げをしているようです。昔に比べて、南京町は人が多くなり、店も同じようにものばかりになってしまっています。昔は、楽器を捜しにきたものですが、今は飲食店がほとんどになってしまっています。それはそうとして、青春18での旅は、本をゆっくり読みながら、景色を見ながらの旅で、好きなところでフラッと降りることもでき楽しいものです。この夏に後、2.3回は行きたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする