昨年、帷子川を源流から河口まで歩いたんですが、画像を整理していて鶴ヶ峰-上星川間の橋をちゃんと撮影していない事に気付いちゃいまして今日、取りあえず歩いてみました。
以前は自転車で川に沿って走ったんですが、自宅まで自転車で帰る事を考えると歩いて行き、帰りは電車が楽だろうと思い徒歩で出発。
散策コースは以下の地図です。
上星川は両郡橋は撮影してますので、次のはしから鶴ヶ峰に向かって散策。
一本目の橋は稲荷橋
親柱らしものはなく橋の名前は記述されていなかったんですが、後で調べて名前は判明。
昭和42年2月竣工の橋。
川の流れは蛇行しています。
川の左側に細い道があるので川に沿って進んで行くと、途中左手にはお寺があったり、川岸に降りる事のできる場所があったりします。
親水場所の先にある橋が川島橋で平成元年10月竣工の橋。
この辺りも帷子川らしく蛇行しています。
ちょうど環状2号線の高架橋の下になりますが、高架橋の下の公園と公園を結ぶ橋が掛かっています。
橋の名前はかるがも橋といい、平成14年3月竣工の割と新しい橋です。
この橋を渡らずに高架橋に沿って左へ行くと陣が下渓谷公園となります。
川の流れの音を聞きながら、流れ溜りにゆらめく鯉の魚影を見ながら進むと新橋という名の橋があります。
橋の名前として新橋というのは全国にどのくらいあるのでしょうか?
新しいから新橋という名前を付けたとしたら非常に安易な気がします。
新橋の先は一旦、川に沿っての道が途切れるので、民家の間の細い道を歩きます。
民家の脇道から橋の横に出ます。
橋の名前は鷲山橋。橋のこちら側の後方は山ですので昔は鷲がいたんでしょうか?
それとも橋を架けるのに尽力した人の名前が鷲山さんなのか?
坂の途中に旧横浜市立川島小学校の石碑があり、更に坂を登って行くと現在の川島小学校があります。
ここまでは車の通らない歩行者用の測道でしたが、ここから1車線というか車が一台通れるくらいの道に変わります。
時折、後ろから来る車に道を譲りながら、川に泳ぐ鯉や鴨を見たり左手の野山を眺めたりして歩いて行くと各親柱に子供の像が置かれている学校橋があります。
四隅の子供の像はそれぞれ異なったポーズをとっています。
中学校が左手の山の上にあるので学校橋と名付けたのでしょうが、中学校であれば赤ちゃんの像はいかがなものかと思いつつ先を急ぎます。
道は再び、車の通れないくらいの狭い道になります。
新幹線の高架橋の手前で左側から帷子川に合流してくる小さな川があり、川と高架橋の間に見つけた坂です。
豊治郎坂
坂の名前の由来としては非常に気になるところです。
この地点では他にも気になる事がありまして、川が真っすぐで川底の石が人工的で反対側を見ると川を埋めて造ったような公園が見えるんです。
時間に制約があるわけでもないので、反対側に渡り公園内を歩いてみる事にしました。
歩いてみて蛇行具合といい、周りの掘り下げ方といい、名前(逆田橋公園)といい、以前の川の流れを真っすぐにする河川改修工事が行なわれているようです。
公園を抜けて橋を渡った先にも田原橋公園という川の蛇行沿った公園がありますのでかなり、大規模な工事であったのではないかと思います。
恐らく河川改修工事前の川の流れは左の地図の赤線のようではなかったかと推測しましたが、田原橋公園から相鉄の線路の下のどこら辺から帷子川に戻っていたのかがちょっと怪しいです。
時間も遅くなりましたの本日はここまでで寝る事にします。
では。
以前は自転車で川に沿って走ったんですが、自宅まで自転車で帰る事を考えると歩いて行き、帰りは電車が楽だろうと思い徒歩で出発。
散策コースは以下の地図です。
上星川は両郡橋は撮影してますので、次のはしから鶴ヶ峰に向かって散策。
一本目の橋は稲荷橋
親柱らしものはなく橋の名前は記述されていなかったんですが、後で調べて名前は判明。
昭和42年2月竣工の橋。
川の流れは蛇行しています。
川の左側に細い道があるので川に沿って進んで行くと、途中左手にはお寺があったり、川岸に降りる事のできる場所があったりします。
親水場所の先にある橋が川島橋で平成元年10月竣工の橋。
この辺りも帷子川らしく蛇行しています。
ちょうど環状2号線の高架橋の下になりますが、高架橋の下の公園と公園を結ぶ橋が掛かっています。
橋の名前はかるがも橋といい、平成14年3月竣工の割と新しい橋です。
この橋を渡らずに高架橋に沿って左へ行くと陣が下渓谷公園となります。
川の流れの音を聞きながら、流れ溜りにゆらめく鯉の魚影を見ながら進むと新橋という名の橋があります。
橋の名前として新橋というのは全国にどのくらいあるのでしょうか?
新しいから新橋という名前を付けたとしたら非常に安易な気がします。
新橋の先は一旦、川に沿っての道が途切れるので、民家の間の細い道を歩きます。
民家の脇道から橋の横に出ます。
橋の名前は鷲山橋。橋のこちら側の後方は山ですので昔は鷲がいたんでしょうか?
それとも橋を架けるのに尽力した人の名前が鷲山さんなのか?
坂の途中に旧横浜市立川島小学校の石碑があり、更に坂を登って行くと現在の川島小学校があります。
ここまでは車の通らない歩行者用の測道でしたが、ここから1車線というか車が一台通れるくらいの道に変わります。
時折、後ろから来る車に道を譲りながら、川に泳ぐ鯉や鴨を見たり左手の野山を眺めたりして歩いて行くと各親柱に子供の像が置かれている学校橋があります。
四隅の子供の像はそれぞれ異なったポーズをとっています。
中学校が左手の山の上にあるので学校橋と名付けたのでしょうが、中学校であれば赤ちゃんの像はいかがなものかと思いつつ先を急ぎます。
道は再び、車の通れないくらいの狭い道になります。
新幹線の高架橋の手前で左側から帷子川に合流してくる小さな川があり、川と高架橋の間に見つけた坂です。
豊治郎坂
坂の名前の由来としては非常に気になるところです。
この地点では他にも気になる事がありまして、川が真っすぐで川底の石が人工的で反対側を見ると川を埋めて造ったような公園が見えるんです。
時間に制約があるわけでもないので、反対側に渡り公園内を歩いてみる事にしました。
歩いてみて蛇行具合といい、周りの掘り下げ方といい、名前(逆田橋公園)といい、以前の川の流れを真っすぐにする河川改修工事が行なわれているようです。
公園を抜けて橋を渡った先にも田原橋公園という川の蛇行沿った公園がありますのでかなり、大規模な工事であったのではないかと思います。
恐らく河川改修工事前の川の流れは左の地図の赤線のようではなかったかと推測しましたが、田原橋公園から相鉄の線路の下のどこら辺から帷子川に戻っていたのかがちょっと怪しいです。
時間も遅くなりましたの本日はここまでで寝る事にします。
では。