天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

新橋芸者のヨーロッパ興業

2008-09-02 | Weblog
 明治33年、今から100年以上昔のことですが、
 新橋の芸者さんの一行8人がヨーロッパで興行をしたと言う話があります。
 この一行、きちんとした行程はよく分からないのですが、
 行った人の話によると、ウィーン、ブダペスト、パリ、ベルリンなどの外、
 モスクワにまで足を伸ばしたようです。
 一番長く滞在したのは、パリのようで、10ヶ月程度滞在しています。

 丁度、彼女たちが滞在していた時は、パリ万国博覧会が開催されていて、
 日光の五重塔を作りに行っていた大工さんに、
 和風の風呂なども作ってもらったようで、
 彼女達を雇った会社が、味噌醤油の手配までしていたようです。
 この時のパリ万博には、
 例の川上音二郎がマダム貞奴を連れて出演していたので、
 あるいは彼女達と交流があったかも知れません。

 パリでは、フランス人の若い陸軍士官が、彼女達の一人に熱を上げて、
 結婚を申し込んだなどと言うこともあったようです。
 さらに、パリの女性達も、一行の着物姿が珍しく、
 着物を貸してくれと言ってきたり、髪の結い方を教わりに来たりと、
 中々賑やかだったようです。
 また、ブダペストでは、一行の中に病人が出て舞台に上がる事ができず、
 困窮すると言うような事もあったようですが、
 ベルリンから現金を運んでくれた日本人がいて、窮地を脱したりもしました。

 彼女達の出し物の中心は踊りですが、どうも品の良い長唄や清元は喜ばれず、
 カッポレなどの動きの激しい滑稽な踊りが受けたようです。
 その当時のヨーロッパでは、
 既に「ゲイシャ」を主題とした演劇を上演している
 ヨーロッパ人の俳優達もいたらしく、
 彼女達との共演も行われていました。
 そうした際には、着物の着方やお辞儀の仕方など、
 細々とした事を彼女達が教えたようです。

 様々な国を巡って、彼女達一行は明治35年に無事に帰国しました。
 帰国後、当時の桂太郎総理大臣の園遊会に招かれて、
 踊りを披露したりしています。
 航空機もない時代でしたが、明治時代の日本人の活力に驚いてしまいます。
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