宮武外骨については、既に1度書いています。
https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/s/%E5%AE%AE%E6%AD%A6%E5%A4%96%E9%AA%A8
外骨は、生涯5人の妻がいたとウィキペディアには載っています。
そして最後に結婚したのが稲田能子です。
その馴れ初めについて、
淮陰生の「一月一話」に
「預けものはむずかしい」のタイトルで載っています。
外骨の知人であった貧乏華族が妻を亡くして困っていたので、
外骨は能子をその後添えに世話しようとしました。
能子を伴ってタクシーに乗り、見合場所に向かう途中、
妙に話が砕けてしまい、
華族などと言う窮屈な人に嫁ぐよりは、あなたのような人が良いと、
肝心の花嫁候補が言い出す始末だったようです。
そのため、形だけの見合いは済ませますが、
それは断って、外骨夫人としておさまったとの事です。
時に、外骨は既に70歳をはるかに超えていたはずで、
能子夫人は40歳以上年下だったようです。
東京帝大図書館司書などを務めた
書誌学者の岡野他家夫の『書国畸人伝』によると、
決して単なる茶飲み友達だけではなかった事が明らかとの事です。
https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/s/%E5%AE%AE%E6%AD%A6%E5%A4%96%E9%AA%A8
外骨は、生涯5人の妻がいたとウィキペディアには載っています。
そして最後に結婚したのが稲田能子です。
その馴れ初めについて、
淮陰生の「一月一話」に
「預けものはむずかしい」のタイトルで載っています。
外骨の知人であった貧乏華族が妻を亡くして困っていたので、
外骨は能子をその後添えに世話しようとしました。
能子を伴ってタクシーに乗り、見合場所に向かう途中、
妙に話が砕けてしまい、
華族などと言う窮屈な人に嫁ぐよりは、あなたのような人が良いと、
肝心の花嫁候補が言い出す始末だったようです。
そのため、形だけの見合いは済ませますが、
それは断って、外骨夫人としておさまったとの事です。
時に、外骨は既に70歳をはるかに超えていたはずで、
能子夫人は40歳以上年下だったようです。
東京帝大図書館司書などを務めた
書誌学者の岡野他家夫の『書国畸人伝』によると、
決して単なる茶飲み友達だけではなかった事が明らかとの事です。
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