欅坂46のセンター平手友梨奈のソロ曲。デビューシングル収録の『山手線』に続き、セカンドシングルにもソロ曲が収録されている。
今年の8月に渋谷PARCOが一時休業になって、建て替えたうえで3年後に再開業の予定という。この時事ネタを巧みに取り入れた楽曲だ。東京以外の人にはピンと来ない、違う時代だと何のことだかわからない、普遍性はない曲だが、今という時代の東京を鮮やかに写し取った作品だと言える。
大人や世の中への強い不信感を隠そうともせず、PARCOだけが心安らぐ場所だと歌っている。その心情が十代の女子にとってリアルかどうかはわからないが、作品としてリアルっぽく描かれていることは確かだ。
平手の歌唱は、15歳とは思えないような、大人びて虚無的な歌い方で、楽曲に非常に似合っている。『サイレントマジョリティ』で驚かされたソロ歌唱を、1曲たっぷり味わえる。
サビの「PARCO PARCO PARCO・・・・」という連呼が、最初はくどいように感じたが、何回か聴いていると慣れた。むしろこのメロディーには、この歌詞しかないだろうと思うようになった。円広志『夢想花』の「飛んで飛んで飛んで・・・・」を思い出した。
歌詞の内容から、どうしても思い出してしまうのが、AKB48初期の名曲『109』(『大声ダイヤモンド』カップリング曲)だ。その曲は、恋人の心変わりに泣きながら渋谷の街をさすらい、足が自然に109に向かってしまうという内容だ。状況こそ違うが、渋谷のファッションビルに心の救いを見出しているという点が共通である。
『109』の「人は悲しい時どうしてここに来るのでしょうか」というフレーズは、『渋谷からPARCOが消えた日』では「寂しくなるたびここへ来るんだ」というフレーズで踏襲されている。元を辿れば、渡辺真知子『かもめが飛んだ日』の「人はどうして寂しくなると海を見つめに来るのでしょうか」が出典だろうか。
109とPARCO、どちらも若者が集まるファッションビルだが、客層や取扱商品の違いなどは、疎い私にはわからない。その点では東京以外の人と変わらない。初期AKB48には109が、現代の欅坂46にはPARCOが、きっとイメージが合っているのだと思うことにしよう。
『109』に関するこのブログの過去記事はこちら。
その1、その2
今年の8月に渋谷PARCOが一時休業になって、建て替えたうえで3年後に再開業の予定という。この時事ネタを巧みに取り入れた楽曲だ。東京以外の人にはピンと来ない、違う時代だと何のことだかわからない、普遍性はない曲だが、今という時代の東京を鮮やかに写し取った作品だと言える。
大人や世の中への強い不信感を隠そうともせず、PARCOだけが心安らぐ場所だと歌っている。その心情が十代の女子にとってリアルかどうかはわからないが、作品としてリアルっぽく描かれていることは確かだ。
平手の歌唱は、15歳とは思えないような、大人びて虚無的な歌い方で、楽曲に非常に似合っている。『サイレントマジョリティ』で驚かされたソロ歌唱を、1曲たっぷり味わえる。
サビの「PARCO PARCO PARCO・・・・」という連呼が、最初はくどいように感じたが、何回か聴いていると慣れた。むしろこのメロディーには、この歌詞しかないだろうと思うようになった。円広志『夢想花』の「飛んで飛んで飛んで・・・・」を思い出した。
歌詞の内容から、どうしても思い出してしまうのが、AKB48初期の名曲『109』(『大声ダイヤモンド』カップリング曲)だ。その曲は、恋人の心変わりに泣きながら渋谷の街をさすらい、足が自然に109に向かってしまうという内容だ。状況こそ違うが、渋谷のファッションビルに心の救いを見出しているという点が共通である。
『109』の「人は悲しい時どうしてここに来るのでしょうか」というフレーズは、『渋谷からPARCOが消えた日』では「寂しくなるたびここへ来るんだ」というフレーズで踏襲されている。元を辿れば、渡辺真知子『かもめが飛んだ日』の「人はどうして寂しくなると海を見つめに来るのでしょうか」が出典だろうか。
109とPARCO、どちらも若者が集まるファッションビルだが、客層や取扱商品の違いなどは、疎い私にはわからない。その点では東京以外の人と変わらない。初期AKB48には109が、現代の欅坂46にはPARCOが、きっとイメージが合っているのだと思うことにしよう。
『109』に関するこのブログの過去記事はこちら。
その1、その2