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<再録> 指原莉乃 アイドルの人権(総選挙分析ライター)

2014-03-18 23:52:00 | 注目の記事
<再録> 指原莉乃 アイドルの人権(総選挙分析ライター)

以前に、「指原莉乃 スキャンダルに見る“ペンによる暴力”」という記事を掲載した。その記事で書ききれなかったことを記載する。
指原莉乃 スキャンダルに見る“ペンによる暴力

2012年6月14日に発行された「週刊文春」に掲載された暴露記事によってAKB48の指原莉乃は、AKB48の総合プロデューサー秋元康氏によりHKT48への移籍と博多への転居を命じられた。

「週刊文春」が掲載したのは指原の元カレと称する人物の証言と指原が携帯から元カレに送ったとされる写真とメール。

秋元氏によればAKB48には恋愛禁止という暗黙のルールがあり、スクープ記事によって指原がまだAKB48に入って駆け出しの2008~9年(指原15~16歳)の時に異性とつきあっていたため、指原はAKB48の恋愛禁止ルールに抵触しAKB48のファンを心配させたということで前述の処分を受けた。

指原がAKB48の内部規約を破り、AKBから処分を受けたということについてとやかくいうつもりはない。それぞれの組織によって社会の常識から見て?(クウェスチョン)という規約を設けなければならないという事情があることも理解しているので、その規約を破った場合には組織を維持する必要から法律上なんら問題ない行為であっても、一定の処分を受けるということもあるだろう。

したがって、指原がAKB48のメンバーという身分で恋愛禁止という暗黙ルールを破ったという事実を出版社から指摘されたことについてそれが指原を陥れるという結果しかもたらされない場合であっても、出版社の商業主義上のことで姿勢としては情けないという感情は持つがそれ以上のものはない。

しかし、スクープの目的や情報の内容が元カレと称する人物の指原に対する個人的恨みを果たすことに加担するものであったり、指原莉乃という「個人」の人格や人権を完全に無視したり、さらに人権を圧迫・抑圧・弾圧するものであるということであれば、話は別である。

人間一人ひとりは、もともと大変弱い存在だが、それぞれが一人ひとりの人間として唯一無二の他人とまったく別の人生をもっているので、その生(人間らしく生きる権利=人権)は大変重要であり、人を区別することなく尊重されなければならない。それはアイドルであっても人である以上まったく同様である。つまり、アイドルだからその生を尊重しなくて良いという理屈がなりたつはずはなく、アイドルもアイドルである前に人間なのだから、当然、その生(人間らしく生きる権利=人権)は尊重されなければならない。

一方で、言論(ペン)をこの人権という立場から考えてみると、過去、絶対君主、宗教、国家による「個人」への弾圧という長く暗い歴史を多くの血という代償をはらって近代社会は「個人」の人権を獲得してきた。その人権を獲得する強力な武器となったのが、報道、文藝、出版による「ペンの力」である。このペンの力が宗教や国家の武力に対抗し、ついには打ち勝つことにより(ペンは剣よりも強し)「個人」の人権が獲得できた。

つまり、報道、文藝、出版の人間にとって本源的な目的(=存在価値)の一つは、暴走しがちな宗教・国家権力をペンの力によって牽制・抑制し、「個人」の人権を保護・擁護することである。また、ペンはその言論の正しさを世に問うことにより、場合によっては、国家の武力に相当する武器となる強い力を持つ。(ペンは剣よりも強し)

ペンが剣(武器)として誤って個人に向けて使われた場合、「個人」の人権は無視され、圧迫・弾圧を受ける。その意味で、ペンの正しい使い方の意味がわからないものは報道、文藝、出版の職に就く資格がない。このような資格がないものがその職に就いたとき、その資格がないもので構成された組織は個人の人権を無視し抑圧・弾圧する機関以外のなにものでもなくなり、社会悪の存在となってしまう。

それだけ、ペンの影響力は強いのでペンを持つものには当然、社会的“良識”が必要とされる。

翻って、今回の文藝春秋社6月14日発売「週刊文春」に掲載された指原莉乃に関する暴露記事の掲載目的・姿勢、記事の内容はどうか?

前述のように指原の2008~9年(指原15~16歳 子供である)時の元カレと称する人物の証言と指原が携帯から元カレに送ったとされる写真とメールを一方的に掲載している。また、計ったように選抜選挙直後に狙いを定めて、指原の過去のスキャンダルを暴露して、指原の人気を失墜させるだけが掲載目的である。指原の個人情報、プライバシー、人権に対する配慮はまったくない。

一般の企業がお客さまや従業員、取引先の情報を漏洩することは固く禁じられており、企業にまったく漏洩する意思がなく、仮にハッカーのような存在によって個人情報が盗まれてしまった場合でも、個人情報の管理体制が弱いと世間から厳しい責めを追求される時代である。それだけプライバシーを含む個人情報は慎重に取り扱わねばならなくなっている。これが今の時代の“常識”なのだ。

そのような時代に、文藝春秋社という組織が会社の意思として、まだ未成年で弱い立場の「個人」である女性アイドルのまして15~16歳の子供の時の情報を、密告者の一方的証言に加えて写真とメールまで添付し、さらに「AKB48指原莉乃は○○○○でした」などというそれを見た瞬間、その個人の全人格を否定するようなタイトルを大きくつけて全国誌でバラまいている。つまり会社の意思として個人情報を積極的に『悪用』し、特定個人に他の人が誤解をまねくような『レッテル』をはり、ただただその個人を『社会的に葬る』目的のみで雑誌媒体を販売、使用しているのである。指原の弱い立場を見越してやりたい放題だ。

これは、“非常識”どころか“犯罪”ではないのか。もし、一般企業がこのようなことをしたら当事者から訴えられ、マスコミからは叩かれ、社長は辞任に追い込まれ、お客さまや関連者の信頼を失い会社自体も存続できなくなるだろう。

それなのに、なぜ文藝春秋社だけはこんなことが平然とできるのか。芥川賞の選考出版社だからか?(芥川龍之介は泣いているだろう。) 誰がこの出版社にそんな絶対的権限を与えたのか。おかしくないのか、ということである。

ちょっと前に「検○庁」という組織が、自分達のみ“絶対善”という盲信のもと「法律」という武器を使って、特定の個人を標的に定めて自分達が作り上げた一定のシナリオのもとに綿密に計算して組織力を動員して検挙し犯罪人にするというとんでもない愚行を繰り返して、いわれない冤罪事件がいくつも発生したが、文藝春秋社もまさにこの構図にそっくりだ。

文藝春秋社のトップをはじめ社員は、自分達のやっていることが世間の常識とかけ離れて“犯罪”の領域に踏み込んでいることに気づいていないのではないか。芥川賞選考出版社という過去の遺物とでもいうべき地位と「言論の自由」という聖域を勝手に拡大解釈して、自分達の言論は“絶対真実=絶対善”で何を書いても許されるというとんでもない勘違いをしている。(統帥権を拡大解釈して暴走した戦前の参謀本部やオーム真理教にも似ている。)

本来、報道、文藝、出版社は暴走しがちな国家・宗教権力を牽制・抑制し個人の人権を保護・擁護するために存在しなければならないのに、弱い個人(アイドル)の人格・人権を完全に無視するどころか抑圧・弾圧し、その弱い個人(アイドル)を『社会的に葬る』目的で言論を展開している。このような出版社など社会悪そのもので存在に値しないと思う。

このあとも指原莉乃のように自分の『夢』の実現のために必死に頑張っているにもかかわらず、文藝春秋社のようなマスコミが、先導して「生贄」のターゲットをもとめ個人の人格・人権まで蹂躙して頑張っているものの足を引っ張り、密告がはびこる風潮が加速されたら、日本は「努力するものが報われない、希望がない」閉鎖的で閉塞感に満ちた暗い社会になってしまうのではないかと心配である。

以上
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