AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

習近平Xi Jinping、江沢民Jiang Zemin、拘束、軟禁、逮捕?天安門事件、目撃者(ナッキー)

2015-08-24 07:14:10 | 注目の記事
習近平Xi Jinping、江沢民Jiang Zemin、拘束、軟禁、逮捕?天安門事件、目撃者(ナッキー)

習近平Xi Jinpingが江 沢民Jiang Zeminを拘束したという8月22日英文報道を読んで、

“placed under control,” meaning that their freedom of movement has been temporarily restricted.と書いてあり、拘束であるが、逮捕とはいえない

AKB48のことが頭の中の私は、天安門事件が再評価され、「目撃者」が中国でも歌えるようになる、と妄想した。
「目撃者」が天安門事件を歌っているというのも妄想、
中国政府が「目撃者」を禁止しているというのも妄想。過去記事を再録。ナッキー

次に引用した記事を含め「目撃者」に関する記事をまとめ

「目撃者」は、AKB48初の政治メッセージソングか 「ベルリンの壁」映像の解釈(ナッキー)
2010-08-25 20:56:40 | 分析系 曲

一つ前の記事で、「目撃者」は、メッセージソングであり、プロテストソングであり、政治性のある歌だと論じました。

では、この曲は、AKB48初の政治メッセージソングなのでしょうか。

当ブログ内を検索したところ、ときめき研究家さん記事では、
『Glory Days』: 特徴的なのは2番で、戦争と平和に目を向けている。KCさんは唐突と言うが、今時の若者でも、少しくらい世界情勢に目を向けるのはおかしくない。
『誰かのために』では「愚かな戦争をニュースで観るより声が届くように私は歌おう」と歌うことで少しは世界を変えようという意欲を示していた。これはありがち。
『街角のパーティー』では「肌の色だって言葉の壁だって宗教だって関係ないよ・・・・・これがほんとのピース」と、街角の放水ごっこに過大な効果を期待している。「宗教」という言葉の使用は、「政治」より更に珍しい。
『Glory Days』の「世界中の人たちを幸せにするその理想にはあまりに僕は無力と知って」とは、あまりにドンキホーテ的な挫折だが、共感はできる。でもそこで「誰かヒーローになる日を待った」のにはがっかり。そして、歌の主人公自身もそんな自分にがっかりしているのだ。

KCさん記事では、
「誰かのために」は、人間は、誰かとともに、誰かのために生きている、一人で生きていけない という曲でテーマは「愛」である。「誰かのために私ができることは、争いをなくすために、歌うこと」という文脈だが、曲全体からすると、この部分だけが、異質で、唐突。

「わがままな流れ星」は、大人になってしまった私だけど、子供の頃に信じていたことを今でも信じていたい、というテーマ。
「美人になれるように」祈っている女性が、「サンタクロースがパパであることを知った」ことと、洗脳教育を結びつけて語るのが唐突。
歌詞を忠実に解釈すると、サンタクロースの秘密を知ることは、大人の知恵がついたことであり、大人の知恵をつけるのが教育の目的であり、成果だから、それを私は肯定するという意味。

「Glory Days」は、やるせない青春を輝かせるためには、どう生きるのがよいのだろうか、その答えが出ない、だから、もっとジタバタしながら、自分で生きていくしかない、
と悩みながら最後には、決心している歌である。
その中に、他人を幸せにする力は自分にはない、というメッセージは、唐突に聞こえる。ここ以外の歌詞は自分について語っているのに、ここだけが他人について触れているから。
「誰かヒーローになる日を待った」という歌詞は、エイリッヒ・フロムが「自由からの逃走」で、「人間は自由を得ると不安になり、判断を他人に委ねてしまう。」に通じる。公共の善を実現する手段を、自分で都度判断するのは苦しいので、政治的カリスマ(この曲ではヒーローと表現されている)に全面的に委ねて、思考を停止する。

分析の結論として、

いずれの曲も、政治を語らなくてはならない、芸術的必然性がない、つまり、唐突なのである。そして、政治的歌詞がなくても、曲は成立する。
通常、世の中で歌われている政治メッセージソングは、メッセージが中心で、曲は手段にすぎないし、多くは付けたしである。
秋元康は、逆に、アイドルが歌う曲を中心にして、政治メッセージを付けたしに使っている。    (引用はここまで)


私は、曲の最初から最後まで、メッセージをこめた歌は、これまでAKB48にはなかったと思います。
よって、「目撃者」は、AKB48初の政治メッセージソングであると、当面は位置づけておきます。(有力な反証がでれば、撤回しますが、『誰かのために』『Glory Days』は違うと判断しました。)


「目撃者」の歌詞  「目の前の偽りを、見過ごすわけに、いかない」「けして目をそらさない。今起きた出来事を・・・伝え」によると、目の前で起きていることは、政治的弾圧と解釈するしかありません。


ドイツだったら、東ドイツから西ドイツに自由を求めて、ベルリンの壁を乗り越えようとして殺された人、
チェコだったら、プラハの春の後のソ連軍の介入
韓国だったら、光州事件
中国だったら、天安門事件 
 
これらが、「目撃者」で歌われている見過ごすわけにはいかない場面であり、シアターで流れた、ベルリンの壁の解放は、勝利の場面であり、歌詞と一致していません。

日本人の私でも、天安門事件を連想しましたので、この曲は、現在の政治体制の中国では、放送禁止になると思います。
1曲だけの放送禁止ならいいのですが、「目撃者」はセットリストのタイトルですから、公演からはずすわけにはいかないので、中国に、AKB48というフォーマットを輸出(ライセンス供与で、BJN48、SHG48 を現地で売り出そうと)する時に、このセットリストは公演できません。
それどころか、こういう曲を歌うAKB48そのものが、中国出入り禁止となるかもしれません。

そういう事態を防ぐために、天安門ではなく、ベルリンの壁を歌ったものだ という準備された釈明が、あの映像   昨日まではこう思っていました。しかし、

今日、昼寝さんから頂いた 聞き取り歌詞 を読んで、
この歌詞では、ベルリンの壁の映像を流しても、中国では、歌えない と思い直しました。

売れていない歌手なら、当局も関与しませんが、中国でのAKB48の人気は、当局の管理の視界には入るでしょう。それも分かった上で、作詞しなのでしょう。その方が面白いという遊び心で。

阿木曜子が、NHK放送禁止(歌詞改変)になると確信犯で、「プレイバックPart2」を書いたように。

SDN48のチェン・チューがこの曲を演じることを、夢想してしまいました。(明日は、SDN48当選して、見に行きます。)

ナッキー
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