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森高千里論(その2)。誰も真似できない日常の言葉遣い。(ときめき研究家)

2023-02-25 21:14:24 | ときめき研究家
前の記事では、森高千里の歌詞は「普通の人の日常の生活を、日常の言葉遣いでリアルに描いている」と論じ、特に地方在住者の日常がリアルだと書いた。その続きで、今回は「日常の言葉遣い」という点に着目して論じたい。

だいぶ前に、彼女の詞を「中学生の作文みたい」と論じた文章を読んだ記憶がある。私も、言い得て妙だと思った。これはけなしているのではなく、褒めているのだ。上手に書こうとして、難しい語彙を使ったり、技巧を凝らしたりせず、素直に自分の気持ちを表現しているという意味だ。多くのプロのソングライターが失くしてしまっているものを、失うことなく持ち続けている稀有な例だと思う。例えるなら、全部直球勝負の剛速球ピッチャーだから、変化球など必要ないのだ。そう言えば、森高は「私ロックはだめなの、ストレートよ」と歌っていた(ストレートの意味は違うが)。

代表曲『私がオバさんになっても』(1992)で、「夏休みにはサイパンに行ったわ・・・・・・来年もまたサイパンに泳ぎに行きたいな」とサイパンを連呼している歌詞がある。日常会話ではとても自然だと思うが、歌詞でこんなに躊躇なく固有名詞を繰り返すのはあまり見たことがない。私を含め平凡な人間なら、2回目の「サイパンに」は「あの海に」とか「あの島に」とかにするだろう。歌詞とはそういう方が格好いいという悪しき常識に毒されているから。
同じ曲で「とても心配だわあなたが若い子が好きだから」という歌詞がある。「あなたが」「若い子が」と「が」が重なるのが気になってしまう。意味は通じるのだが、文法的に少し格好よく言うなら「あなたが若い子を好きだから」だろう。でも森高は「若い子が」を使った。「を」と「が」の違いは、「が」は、若い子と若くない子を比べると若い子の方「が」好きだという比較するニュアンスが強い。そういう日常会話のニュアンスを大事にしたのだと思う。
BSフジの『アワ・フェバリットソング』の中では、音楽ジャーナリストの柴那典が、この曲は男性目線の古い価値観に対するキュートな抗議だというような解説をしていた。森高自身にそんな野心があったのかどうかはわからないが、無意識にそういう時代性を孕んでいたのかもしれない。ディスコで踊り、毎年のように海外旅行に行き、オープンカーを乗り回す、そういうバブル全盛期で、この歌の主人公自身もそういう生活を単純に楽しんではいるのだ。でも、そんな時代にもまだ残っていた、女性の若さやルックスに価値を求める男性たちに「私がオバさんになったらあなたはオジさんよ」と可愛らしくグサリと釘を刺していたのだ。ここでも「オバさん」「オジさん」という日常語が効いている。

『サンライズ』(1992)は、久しぶりに会ったOLの友達を自宅に泊めて、一晩中悩み事を聞くという内容で、しみじみした名曲だ。明け方に「何時だっけ、朝会社は?」と確認するが、結局友達は会社を休み、一日中部屋で過ごしてしまう。夕方になって「夕ごはんは食べて行けば? おいしいもの作るから買物に行こう」と誘う。そして「いつでもいいから泊りに来ていいよ 私ならいつも暇だから」と言うのだ。何気ない日常だが、2人の関係と、さりげない優しさが生き生きと描かれている。「暇だから」という日常語は、この歌だからいいのだ。
もう1つ。友達を励ますために「歌にもあるでしょう ビートルズの歌に あるがままになるからと」と歌う。もちろん『レット・イット・ビー』のことだが、偉大な名曲の引用も、「暇だから」も、会話の一部として全く同列に扱われていて、森高のフラットな価値観が小気味よい。

『私の夏』(1993)は、女友達と2人で沖縄旅行に行こうと相談している歌だ。この女友達はもしかしたら『サンライズ』の友達かもしれない。今、2人とも彼氏がいないので、女同士の旅を楽しもうという算段だ。「きれいな海を見ながら一日中寝ていよう」「色気も忘れて太陽の下ゴロゴロしよう」というのは、全く日常的な会話の言葉だ。特に「ゴロゴロしよう」などという歌詞は珍しい。

日常語を多用するので、時代を感じさせるアイテムが頻繁に出て来るのも特徴だ。
デビュー曲の『NEW SESON』(1987:この曲は自作詞ではないが)では、「愛を告げた日のビデオ巻き戻して見てた」とか「ファーストフードで朝食済ませ」とか歌っていて、当時も新鮮な印象を受けた。
『あるOLの青春~A子の場合~』(1990)では、彼氏と別れて「一人ぼっちの夏休みは部屋でファミコンして」「ねるとんにでも出てみようかな 私は真剣なの」と歌う。「ねるとん紅鯨団」当時の人気番組だ。
『青春』(1990)でも、彼氏と別れてから、一人で好きなことを満喫して「これからが私の青春だわ」と、寂しいのを我慢して強がっている。その具体的な内容が、「(プリプリの)CD聴いたり」「原付乗り回したり」「誘われていたスキーにも行く」「車の免許も取る」「中古の外車を買う」「ほしかったパソコンを買う」「憧れていたロンドンに行く」とてんこ盛りだ。CDは別としても、結構金回りがいいことがうかがえ、バブル前夜の雰囲気が色濃く漂う。
『私の大事な人』(1994)では、彼氏に「今夜は楽しいデート カラオケがいいな あなたが歌うあの歌 今日はちゃんと2人でハモろう」と歌う。カラオケボックスが全盛の時代だ。「ハモる」という動詞は今でこそ普及しているが、歌詞に使われたのはこの歌が最初ではないか。乃木坂46『シンクロニシティ』の「ハモれ」には大いに違和感を覚えたが、森高の歌詞が日常語なのと比べ、秋元康の気取った歌詞の最後に「ハモれ」では調和が取れていなかったからだと思う。
『照れ屋』(1997)では、彼女ができない照れ屋男子の「最近携帯電話無理して買ったけれど あんまりかかって来ないみたい バッテリー切れも気づかない」という日常をペーソス交じりに歌う。いち早く携帯電話を買って、常時多くの友人知人と繋がっている「リア充」(当時そんな言葉は無かったが)に対する控えめなアンチテーゼも感じる。『一度遊びに来てよ』(1994)では、「夜遅く電話してもいない」というフレーズで固定電話しかない生活がうかがえ、この2曲のリリース間隔3年間の間に携帯電話が普及したことがうかがえる。

日常の言葉遣いという点で、曲のタイトルもシンプルで、タイトルを聞いただけで曲の内容を想起できるものが多い気がする。変に凝ったり、意味深なタイトルは付けないのが森高流だ。
これまでに取り上げた曲は概ねそうだし、他にも、私はただのミーハーよと歌う『ミーハー』、上司にゴマをする『ハエ男』、日本人の男の子に恋したイギリス女性の心情を歌った『I Love You』、物書きを目指し奮闘する『ライター志願』、台風でデートの予定が台無しになる『台風』、自分を放ってアメリカを旅する彼への不満を歌う『男のロマン』など、ストレートに曲の内容を表現しているものが多い。
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