ゴーン、午前6時の老師の撞かれる梵鐘、静けさの中でひときわ響く。
すでにこの時間、参加者は座についている。
禅堂とは少し離れた鐘堂から、鐘と鐘のあいまに
老師の「般若心経の読経」が聞こえる、会の雰囲気つくりでなく、
自然のひと時に中で座っている感じは、又いい。
しばらくして戻られた師から、
いきなり無言の中、全員に「警策」が飛ぶ。
後ろに立たれると、合掌、警策をうける肩を少し傾け受ける、
その後、感謝の合掌。
鐘3つがたたかれ、正式スタート。
坐中の老師のお話は、先月から参加された某行の支店長氏、
4月の転勤辞令で敦賀ヘ栄転。
今回2度目でしたが、この方へのはなむけの話しの模様。
「坐禅」基本の基、警策もその一つであったか。
この会では、「坐禅をする」という特別の意識で緊張感が
有るのなら、この時間忘れなさい。
「道元禅師」様は、
私が薦める坐禅とは、あるいは、これから坐禅をしようとする人は、
色色な仕方が有る中で、
「まず身の構えをしっかりなさい」と。
1.「坐蒲」と呼ぶ座布団の上にゆっくり座り、無理の無い座り心地の中で
体をなじませる、そして足を組む。
次に、背筋を伸ばす「鼻と臍を対せしめんことを要す」
すなわち鼻筋とおへそを一直線になるよう。
「目は須らく常に開くべし」すなわち、目はいつも開いている。
「鼻息かすかに通じ」息は口でなく鼻からのみで行い、
「口は」舌先を上の歯の根元にかけ唇はしっかり閉じる、
すなわち空気は口から出し入れせず、鼻からのみ行う。
隣の人に悟られないような静かさ。
道元禅師様の坐禅は、「息の出し入れの時間」は求めていない、
「欠気一息」無意識の中にまかせなさい。
2、 そして呼吸を整える。
それは、心のおきどころ、すなわち、坐禅をしているという、
ここから心が離れないよう。
坐禅の所作・行動・心など、
自分の生活の中へ入れていく事をお勧めする。
坐禅で、何がかわるのか?「その何」とは、今は伝えません。
それが坐禅の究極の目的で有るからです、
それぞれが考えるゴールは、自分で考えなさい、
そして「今、座ることを楽しんでください」
と、老師は結ばれた。
坐後の振る舞い「塩粥」の暖かさ、
美味しさは、やり終えたあと感じる思いも加わっているのでしょう。