新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

アラスカは720万ドルで売り払われた

2016年08月07日 | 日記

 アラスカは19世紀半ばまでロシアがその領有権を主張していた。「領有権を主張」とはいっても実際には1年の大半を氷河に包まれた状態にある地域であるから、人が自由に行き来できる状態にはない。太平洋岸にある島のシトカ(Sitka)に、サンクト・ペテルブルクから派遣されたロシア人らが住み着いて自由な町を作り上げていた。それをアメリカが720万ドルで買い取り、ロシア人らを追い出してしまった。
 720万ドルとはどれくらいの価値があったのか、正確には分からない。ロシア人たちがシトカの町に寄港する船を相手にしておこなっていた交易量が最盛期で年間10万ドルあまりだったとされている。そこから推し量れば、60年分くらいの交易量に相当する額だったと思われる。アメリカ合衆国はマンハッタン島を先住民からわずかのお金で購入して以来、数々の土地をお金を払って購入している。アラスカもそのひとつで、めずらしいことではなかった。
 だが、アラスカというツンドラのような土地を購入する意義があるのか、アメリカでは多くの議員から疑問が出されていた。ときはまさに南北戦争のさなかであり、国内は疲弊していた。売ったロシア側にも事情があった。皇帝ツァーが命令を発しても届くのに1年、返事が戻るのにまた1年かかった。お荷物な領土だった。それにクリミア戦争で財政事情が逼迫していた。
 しかしシトカの町のなかはひじょうにうまくいっていた。イルクーツクやサンクト・ペテルブルクから派遣された人たちが現地にとけこみ、カムチャッカ半島出身の賢明な女性を妻に迎え、オーソドックス教会を建設し、統治でも宗教面でも模範的な町を築き上げていた。彼らはアラスカの地を知悉していた。そこへ1867年、事情を知らない無能なアメリカ人たちが送り込まれ、ロシア系の人たちが追い出されてしまった。アメリカ人はシトカの町をめちゃくちゃにしてしまった。アラスカの土地に愛着をもっていなかったことがいちばんの原因だった。無用の土地に購入費を出すまいと連邦下院はいったんは予算案を否決している。
 ハワイ州の場合は「購入」ではなく、現地の人たちからの働きかけによって1900年ごろにアメリカ合衆国への編入が実現した。これはアメリカ側が19世紀前半に送り込んだ宣教師の一団が宗教面でも実業面でも実行支配した成果だった。
 ジェームズ・ミッチェナー作「ハワイ」はすでに読み終えたが、「アラスカ」はまだまだこれからだ。







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