新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

バニラ・アイス

2022年02月26日 | 日記

 アイスクリームはバニラにかぎる。なにも味つけしない、シンプルなものがよい。バニラはアイスの原点だ、と思ってきた。ところがバニラはバニラの風味がついていることを最近になって知った。バニラ・プラントなる植物が存在し、その風味をつけたのがバニラ・アイスだった。
 バニラ・プラントはインド洋に浮かぶマダガスカル島の特産だ。マダガスカル島だけで全世界の消費バニラの70パーセントを産出し、7万人の農夫がバニラだけで生計を立てている。バニラ生産には人手がかかり、高くつく。人工授粉しなければならず、刈り取りと処理にかなり気を遣う。1ポンド1200ドルほどで市場に出ていた。
 ところがカリフォルニア州サン・カルロスに本部を置くエスカジェネティクス社がバニラの組織培養をはじめた。遺伝子組み換えのバニラなら工場で生産でき、1ポンド25ドル以下で市場に提供できる。2億ドルといわれるバニラ市場を独占し、従来型のバニラ農場を廃業に追い込みそうだ。
 綿花栽培においても同種のことが起きている。綿の細胞を培養液につけることにより、無菌状態で綿栽培が可能になる。いまドラッグストアに並べられているメッキガーゼはこうして製造されているのだろうか。ここでも多くの綿農家が廃業に追い込まれたことは想像に難くない。
 このような例を書き列ね、人間がする労働がどんどん減っていることに気づかせてくれるジェレミー・リフキン「The End of Work(仕事の終焉)」は1995年に書かれている。恐ろしい現実だが、日本でもすでにデジャビュ(既視感)な光景になっている。
 2000年代初頭、日影原の地で炭を焼いていたとき、農業を生計にしている人たちも集まってきた。鳩ヶ谷のHさん、城山のYさんともに20代半ばという若さで、農業に希望を見いだしていた。化学肥料を使う農法に反対し、昔ながらの農法と有機栽培を標榜していた。またいっぽうで、日影原の片隅で自営の工場を営んでいたOIさんは、みずからの工場内で水耕栽培の実験を引き受けていた。土を使わず水と肥料と日光だけで、野菜を栽培する実験だった。米国で組織培養が進み、多くの農家が廃業に追い込まれた2000年代、日本はまだ水耕栽培の実験段階だったことが、今になって思い起こされる。
 



ウクライナ侵攻

2022年02月25日 | 日記

 ウクライナについてにわか勉強している。教材はYouTube配信の「虎ノ門ニュース」。23日には在日ウクライナ人、ナザレンコ氏が登場した。そこで述べられたおもな点を挙げる。
 ナザレンコ氏は昨年12月という早いころからこの時期のロシア侵攻を予測していた。オリンピック終了後の侵攻は、2014年のソチ・オリンピック後にロシアがクリミアに侵攻したことを思い出させる。この時期を侵攻時期に選ぶロシアにとっての利点は、地面と川が凍結していることにある。戦車や兵が橋がなくても川を渡ることが容易にできる最後の時期だ。
 また寒くて燃料が不可欠な時期であり、ロシアの天然ガスに依存するドイツなどは強い態度に出られない。ドイツは脱炭素を掲げて再生可能エネルギーにシフトしようと原発廃棄を打ち出したものの、うまくシフトできていない現実がある。
 ウクライナは人口4千万のうち17パーセントがロシア人であるが、いま63パーセントがNATO加盟を希望している。ロシアとしては現政権を転覆し、親ロシア政権を樹立する以外に、NATO加盟を阻止する手立てがない。ゼレンスキー大統領の支持率は20パーセントしかないが、2位、3位の支持数を集める人物にしても親欧米派の人物なので、ロシアはそれらの政治家を拘束することになる。きょうの情報では「殺害・収容リスト」なるものが作成されているとワシントン・ポスト紙が報じているらしい。いずれにしてもキエフを陥落させるだろう。
 ウクライナ国旗の青と黄は、青空の下の豊かな穀倉地帯を表す。老人たちのなかには旧ソ連時代を懐かしむ人がいるが、若い人たちはもはや独立ウクライナしか知らない。
 ロシアの経済力はGDPにして世界11位、韓国の次になっている。軍事施設を攻撃し、無力化してもウクライナ全土を占領し、維持していく経済力はない。唯一の良港であるオデッサの港は欲しいだろう。
 ロシア国内で反戦デモが発生し、多くの人が拘束されているようだ。プーチンの思惑どおりに支持率アップにつながるかどうか、目が離せない。
 そして中国がロシアのやりかたを見ながら、虎視眈々と台湾侵攻の口実と機会を狙っている。


虎ノ門ニュース

2022年02月21日 | 日記

 ユーチューブで「真相深入り/虎ノ門ニュース」を見ている。保守系の論客が集うニュース解説番組で、歯に衣着せぬ解説に惹かれる。真相を深く掘り下げ、保守的立場から論評を加える。
 いまもっとも頻繁に取り上げられるのがウクライナ情勢だ。ロシアのウクライナ侵攻があった場合にバイデン大統領がどう対応するか、をじっと注視しているのが習近平だ。習近平はみずからの台湾侵攻のために米国の出方を見ている、という。ときに在日ウクライナ人が出演し、現地の状況を日本語で分かりやすく説明してくれる。ウクライナ東部の人たちの母語がロシア語だからといって、そこの人たちが親ロシア的だとはいえないことを教えてくれる。
 北京オリンピックについても手厳しい。新疆ウイグル地区での人権弾圧を覆い隠して平和の祭典などとうそぶくのはもってのほかだ。世界的な規模で動く反社会勢力が運動会を開いているようなもの、とまでいう解説者がいる。
 いっぽうで日本人としての「誇り」を維持するための歴史教科書を執筆する人たちも登場し、さまざまな情報を紹介してくれる。しばしばやり玉に挙げられるのが朝日新聞など「多様性」「SDGs」などをことさらに強調する大手メディアだ。
 毎週火曜には作家、百田尚樹氏が登場する。「『日本国紀』がよう売れとるのにベストセラーに入れてくれへん」「7年もこの番組に出とんのに、ギャラ全然上がってえへん」などとユーモアを交えた楽しいトークを繰り広げる。強面の風貌からは想像しにくい、関西弁のざっくばらんなもの言いがなんともいえない。
 またこの番組を流しているユーチューブには、多少の問題があるようだ。以前から気になっていたが、「新型コロナ・ワクチンには副作用に不安がある」と主張する動画を削除してしまう点だ。みなが選んで観れる番組だからこそ、ありのままに伝えてほしい。

日米開戦は米国側の危機だった

2022年02月12日 | 日記

 このような観点で太平洋戦争を読むのははじめてだ。Stephen Fenichell「Plastic」を読んでいる。
 けだるい日曜の昼、ルーズベルト大統領は妻とその友人たちとの食事会を断り、ホワイト・ハウス2階で補佐官のハリー・ホプキンスと昼食をとっていた。1時40分、海軍長官フランク・ノックスが大統領のプライベート番号に電話してきた。
「パール・ハーバーが空爆された。訓練ではない!」。勢力を誇った米国海軍艦隊を、日本軍が2時間もしないうちに20艦ほどのボロ艦隊にしてしまった。議会への緊急報告の原稿「歴史に残る一日」を大統領みずから「汚点になる一日」に修正した。
 このとき米国がもっとも心配したのはゴムの供給が途絶えることだった。1941年米国はひとあし早く車社会に突入していた。世界の車の80パーセントが米国内の道路を走っていた。ゴムタイヤが製造できなくては車が走れない。兵器を輸送するトラックも飛行機もゴムタイヤなしでは走れない、飛べない。米国はゴムをマレーシアとインドネシアからシンガポール経由で輸入していた。ゴムは米国経済のアキレス腱だった。日本がシンガポールを占拠する恐れを感じたホワイト・ハウスは、すぐさま余分なゴムを拠出せよという命令を国民に布告した。使い古されたタイヤ、玄関のゴムマットなどが対象だった。
 案の定、日本軍はその後2か月でシンガポールに進出した。米国は輸入先をブラジルとリベリアに代えようとした。
 米国にとってゴムがアキレス腱だったことが当時の日本に認識されていただろうか。もし認識されていれば、ブラジル、リベリアに協力を求める手を打てたかもしれない。新しい視点を提供してくれる「プラスチック」はじつにおもしろい本だ。なお、ここでいうプラスチックは、石油、石炭からつくるものばかりでなく樹脂製のものも含んでいる。レジ袋を英語でplastic bagというが、この本を読みながら身の回りを振りかえると、ありとあらゆるものがプラスチックでできている。パソコン、スマホ、ゴミ箱、ビニール紐、ストーブ、エコバッグ、手袋、CDなど、家のなかの大半のものがプラスチック製品だ。人間はもはやプラスチックなしでは生きていけそうにない。ウミガメや魚の体内がプラゴミで汚染されるというが、それを止める手立てが果たしてあるのだろうか。


竹炭を買った

2022年02月04日 | 日記

 はじめて竹炭を買った。藤野駅前のふじのねで。篠原の里で焼いたものだ。水を浄化して飲み水にするための新しい竹炭がほしかった。炭は水道水中に殺菌剤として含まれている塩素を除去する。焼いて10年にもなる古い竹炭をくり返し使っているうちに劣化して割れてきた。飲み水をつくる炭となると新しいものがよいだろうと思った。真竹を焼いたとても軽い炭だった。丸いパッケージに入って625円。高い! かつて炭遊舎では孟宗竹しか焼いたことがない。肉厚のずっしりした重みのある竹炭が良質だと思っていた。今回買った竹炭はまるでイメージが異なる。それでも新しいものだから、それなりの働きをしてくれるだろう。
 2000年代はじめ、近所の竹林の所有者から、「うちの竹を伐採して使っていいよ」とオファーをいただいた。所有者は同じ自治会に所属し、日ごろからなにかとお世話になっている人だった。崖っぷちに生えている孟宗竹で、伐採すると崖下へ落ちる。そこから引き上げる作業が力仕事でたいへんだったが、肉厚で、しかもその肉がピンク色をしていた。すばらしい竹炭に仕上がった。15年ほど竹炭を焼いてきたが、これほどすばらしい竹に巡り会ったことはその後なかった。
 さて、新しく買った竹炭を焼いた篠原地区には、道路沿いに3つの炭焼き窯がある。どの窯で焼いたのだろう。どのような人が焼いているのだろう。先人たちの教えを受け継いで、炭を焼き続けている人たちに感謝を込めて、ありがたく使わせてもらおう。