兵庫県たつの公園の桜は3分咲きでした。ここは童謡「赤とんぼ」の詩を書いた三木露風が生まれ育ったところです。
「夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か。・・
十五でねえやは嫁に行き、お里のたよりもたえはてた・・」
「「このねえやはもう死んどるんじゃ」といって、小学校の先生に叱られた」という話をしてくれた人がいた。三木露風が書いた「赤とんぼ」の詩は歌う人、聞く人の心を叙情豊かな世界へ誘う。むかし母が忙しく、年の離れた姉さんに負んぶされた記憶をなつかしく思い出す人がいるはずだ。そんな人にはこの歌が描く世界がいちだんと身にしみる。
しかしこの歌をもっとよくよく味わってみると、姉さんが十五で嫁に行った事実だけでは、作者、露風がこの詩を書くにいたった思いの発露には不足だろう、とその人は感じた。小学校の先生にみずからの解釈をぶつけてみたが取りあってもらえなかった。ねえやはすでに死んでいる。だからこそ露風のねえやに対する思いはいや増すことになる。そんなことを想像する子どもに、アタマから否定してかかるのがむかしの先生だった。
こんなことを私に語ってくれたその人は、お世話になった都立高校の校長先生だった。民俗学に造詣が深く、始業式や終業式などでよく鈴木牧之「北越雪譜」を話題にされた。定年退職ののち自費出版された「この山道を行きし人」と題した本を贈呈してくれた。豪放磊落な先生だった。定年退職後、十年もたたずしてこの世を去った。もう30年近くもまえの話だ。
写真は「レンギョウ、モクレン、桜」(桂川の河原にて)