新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

フランク・ウェルズ、ディズニーを再建した人

2019年12月23日 | 日記

 東京ディズニーランドが開園した1983年春、ディズニーは創立者であり、独創的なキャラクターを次々に生み出したウォルト・ディズニーの死から20年近くが経過し、経営が低迷し、企業買収の危機にさらされていた。その危機を救ったのがマイケル・アイズナーとフランク・ウェルズのコンビだった。二人のおかげで、ディズニーの営業成績はV字回復し、1990年には押しも押されもせぬトップ企業に成長していた。そのころ書かれた「ディズニー・タッチ」を読み返していて、日米の学生生活の違いがじつによく描かれている一節に出会った。
 フランク・ウェルズはもともとアスリートとしての才能はあまりなかったが、高校卒業時に推薦状をもらうためにフットボール部やバスケットボール部を設立し、プレーした。バスケットボール部を1949年の地域リーグ優勝に導いてみごとに推薦状をとれ、ロサンジェルス郊外のポモナ・カレッジへ進学できた。カレッジでも卒業時の推薦状が欲しくて、水球部でゴールキーパーを務めた。水球部なら地元のカレッジとしか試合がなく有利になると考えたからだった。
 だがのちに弁護士資格を得ることになるフランク・ウェルズのこと、みずからのもくろみとは異なり、頭角を現したのは学業面においてだった。政治学専攻でファイ・ベータ・カッパの会員に選ばれた。さらに大学4年では奨学金を獲得した。日本の奨学金制度とは異なり、大学で優秀な成績を収めた学生に与えられる一時金のようだ。長年にわたり部活動やグループ活動をしてきたことが評価され、学生審査会の会員に選ばれ、学生としてあるまじき行為をはたらいた学生の処分を検討する審査会の議長を務めるまでになった。また学食の食事がまずいという問題が生じたときには食堂委員会にも加わった。
 いま、大学生のホームレスが増えている。車上生活をしていたり友人宅を渡り歩いたりしながら大学に通う学生をホームレスに含めると、カリフォルニア州内の大学生の10人に1人がそれに相当する。住居を確保していても毎日の生活に困窮し、学業に専念できない学生がさらに多くいることも分かっている。大学の教員は研究室に食料をしのばせ、学生の相談に乗っているし、学内の簡単な仕事を学生にさせて生活費の一端を補助しようとしている大学もあるほどだ。フランク・ウェルズがもしいまの学生だったら、このような問題にもとり組んでいるだろう。
「ディズニー・タッチ」のわずか16行ほどの文章からアメリカ社会が抱えるさまざまな問題が見えてくる。




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