23日オリンピック開会式。3時間半は長い。長すぎた。選手入場に時間がかかったのはいたしかたないが、それ以外はもっと短縮できたはずだ。バッハ会長の話が長かった。solidarity、solidarityと連呼して、何を言いたかったのか。原稿を読んでいるのだから通訳など入れずに、日本語字幕を入れるだけでよかった。
ピクトグラムは観ていて楽しめたな。あれは会場で観るものというより、テレビで一方向からのみ観るからこそ楽しめたのだった。
最後の聖火リレーは余計な小細工をやめて、大坂なおみが走ってきて、そのまま聖火台に上って点火すればよかった。長嶋さんには申し訳ないが、昔のように満面の笑みを振りまく余裕がなく歩くことだけで悲愴だった。だいたいにして観客がいないのだから、会場にいる外国の人たちには長嶋さんが誰だか分からない。マスクをしていて私たちにさえ顔の判別が難しかった。
1964年の第18回大会開会式は10月10日におこなわれた。涼やかな風が吹く快晴の青空のもと、さっそうと聖火を掲げて入場したのは弱冠18歳の坂井義則くんだった。彼が1945年8月6日広島で生まれた人物だったことを知ったのはずっと後になってからだった。当時、私が通っていた中学校は、授業を1時間か2時間で打ち切って、下校させてくれた。「家でテレビを観なさい」というわけだ。いま思えば、そのころすでにほぼすべての家庭にテレビ受像機が普及していたことを意味する。
競技でメダルを獲得するのは前評判ほど容易ではなかった。その点はいまのほうが楽しめる。選手たちが国際レベルに達している競技が多くなった。
暑い、と苦情を言っているテニス選手がいるらしい。あたりまえだ。そんなことははじめから分かっていた。暑いことを承知のうえでこんな季節を開催時期に選んだ主催者、スポンサーに苦情をぶつければいい。
多くの選手、スタッフがコロナ陽性になっている。この先どういう展開になるか、目が離せない。