新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

雪の日影原農園

2016年01月31日 | 日記

またまた期待を裏切られた。わが家の周りの雪がほぼ融けたので、日影原の雪も陽があたるところは融けているだろうと思って行ってみた。約20センチの雪がまだ残っている。世田谷から3時間かけてみえたKさんは、なすすべなく帰っていかれた。小渕地区にお住まいのTさんもまた、2週間前の雪がまだこれほど残っているとは予期しなかったようだ。   
写真は台地の北からメセナ方面をのぞむもの。
 重い雪だったせいか、梅、ブルーベリーの枝が折れている。柿の木も折れているし、被害は小さくないようだ。
下の写真は左から炭焼き場からメセナ方面をのぞむ、薪割り作業場のようす、そしてきょう立てた福寿草の看板。
 福寿草が芽を出し始める時期になった。雪のなかから顔を覗かせる瞬間を写真におさめたい。白い雪と青空のなかに黄色い福寿草というコントラストを捉えたいものだ。







アキレスは幸運だった

2016年01月27日 | 日記

「ウズ・ルジアダス」は10歌まであり、その第10歌の最後の連は次の句で終わっている。

わがひごろ敬愛してやまぬムーサは
かならず陛下を海内に歌い上げ
アキレスの幸運をうらやむことなき
アレクサンドロスを陛下に見るでしょう(小林・池上・岡村訳)

 陛下とは詩人カモンイスがこの叙事詩を捧げた当時のポルトガル国王セバスチャンのことであり、ムーサは芸術の神をいう。
 アキレウス(アキレス)はギリシャの英雄で数々の武勲をたてながらトロイ戦争で命を落とした。だがその武勲はホメロスによって歌い上げられたためにその名を今に残している。ギリシャの王の臣下にすぎないアキレウスはもしホメロスがいなかったら、もしホメロスがその歌「イーリアス」にアキレウスを登場させなかったら、その名は歴史に残らなかったかもしれない。ホメロスのおかげでアキレウスはその名を残すことができた。日本語では「アキレス腱」にその名が残っている。
 いっぽうアレクサンドロス(アレキサンダー)はどうか。マケドニアの王として登場し、東はインドまで出向いて征服し、一大王国を築き上げたにもかかわらず、その偉業を歌い上げる詩人がいなかったために、その名が世界史の教科書に登場する程度であり、具体的なことがほとんど語られない。アレクサンドロス自身が身をもってその不運を感じていたらしく、「アキレウスの墓前でみずからの不運に涙を流した」といわれる。

「この人のおかげでこの人がある」といえるような二人はそれほどめずらしくない。
 宮本武蔵は私のなかでは吉川英治の作品によってその人物像が定着した。剣の達人として諸国を行脚する武蔵は、伊賀の道場主に果たし合いを申し出る。待合室で待たされる武蔵に道場主から一輪の花が届けられる。その花の茎の切り口を見た武蔵は、みずからの剣で茎を切ってみる。切れない。届けられた花の切り口の鋭さに相手の剣の腕をみせつけられた武蔵は、すごすごとその道場を立ち去った。
 空海は司馬遼太郎が書いた「空海の風景」で心に残っている。さらにもっと私的になるが、「解体新書」を翻訳した前野良沢は、吉村昭の「冬の鷹」に描かれた姿が印象的だった。杉田玄白との共訳とされているが、吉村の解釈は前野が学者的態度で翻訳に専念し、杉田が出版にまつわる雑事をとりしきったというものだった。
 大石内蔵助は仮名手本忠臣蔵で有名になり、その後くり返し映画化、テレビドラマ化され、みずからが仕える主君に忠義を貫く家老として不動の地位を築くにいたっている。これは作家というより脚本が優れていたからその主人公が有名になったものだ。
 地名のなかにも文学作品のおかげで有名になり、観光客を惹きつけているものが多い。伊豆がその最たる例だろう。川端康成が「伊豆の踊子」で伊豆地方を叙情豊かに描きあげた。そして観光客が訪れるようになった。伊豆の名がちょっとしたブランドになり、伊豆市が誕生した。その周辺に伊豆の国市、東伊豆町、西伊豆町、南伊豆町がある。みんなが伊豆を地名のなかに取りこみたがる結果だろう。
 モンゴメリの名前は忘れられても「赤毛のアン」が描く叙情は長く人びとの心に残り、プリンス・エドワード島にはアメリカからのキャンプ客がおおいと聞く。兵庫県北部にある湯村温泉はNHKドラマ「夢千代日記」でその名が知られるようになった。本州最北端にある竜飛岬には歌謡曲「津軽海峡冬景色」の碑がたっている。
 詩、小説、戯曲、歌謡曲、映画、テレビドラマ、脚本など後世に名を残す作品には敬服するしかない。






ジャパネットのCMスタイルが変わるか

2016年01月24日 | 日記

 ジャパネットの前社長がテレビCMから引退するという記事が新聞に出ていた。テレビCMの一時代を築いた人だけに、新聞のニュースになったのだろう。ジャパネットは創業30年になるらしい。ということは、彼は30年間テレビに出つづけたことになる。
 彼のCMには2つの特徴があった。1つは主として売りたい商品に景品をいくつかくっつけて販売することだった。ノート型パソコンを売る。そこへ付随する商品をおまけのようにくっつける。「プリンターをつけましょう」「インクをワンセットつけましょう」「もうひとつおまけに、デジタルカメラをサービスしましょう」「初期設定もします」「これだけつけて○○円は安いでしょう」という具合だ。当時、子どもたちがその口調をよくまねしていた。子どもがまねするCMはあたる。
 彼のCMの特徴の2つめは、売ろうとする商品のよさを口で説いてきかせることだ。この商品はここに特徴がある、ここが使いやすいとこんこんと説明する。1本のマイクに100曲が入っているカラオケマイクを取りだす。コードをつなぎ、ボタンを押すだけで自宅のテレビがカラオケの機械に早変わりする。そして社長みずからがあの甲高い声で「北国の春」を歌ってみせる。98点と得点が出る。思わず拍手を送りたくなる。
 考えてみると、このタイプのテレビCMはテレビ草創期のCMに端を発している。1960年ごろのテレビ番組はほとんどが生放送だった。CMとて例外ではなかった。ニチバンがセロテープを発売し、テレビCMで宣伝する。セロテープの使いかたを実演する。「部屋のガラス窓にひびが入ると、すきま風が吹き込みます。こうやってセロテープを貼ってすきま風を防ぎましょう」「背広に毛玉がつくことがありますね。手でとるのはたいへんです。こうしてセロテープをあてれば毛玉が簡単にとれます」と実際にやってみせる。泉大介という人は松下電器専属のCMマンではなかったか。ナショナルの電気製品のよさをこんこんと説明していた。
 ジャパネットの前社長はテレビ草創期のなつかしいテレビCMをモデルにし、それを踏襲し、発展させ、成功に導いた。テレビCMの一時代が終わった。








山の神

2016年01月23日 | 日記

    

「山の神の日」があることさえ知らなかった。先週日曜日、さあ今年の活動をはじめようとみんなが集まったとき、山仕事を専門にされているSさんからその日であることを知らされ、みんなで酒とカップをもって現場に入った。これから切ろうとする木に御神酒をかけ、残りをみんなでシェアした。事故なく山の木を切らせてもらえるように祈願する。
 この日はクヌギを3本切った。大きいのは直径60センチ、高さ15メートルはあろうかという50年ものの大木で、ウィンチと滑車を組み合わせて倒す方向へ引っぱりながらの作業だった。Sさん、Tさんら山仕事のプロの技はみごとなもので、最後の大木が倒れたときには地響きがした。







蛙は何匹いたか

2016年01月10日 | 日記

 まえに紹介した「新モラエス案内」のなかの「モラエスとハイカイ(俳諧)」の章について、著者あてに書いた私のコメントを再録します。
 俳句を鑑賞するときのヨーロッパ人の基本姿勢が日本人のそれと異なることが、いいかえれば時間と空間のとらえ方が日本人と違うことが、句の正しい鑑賞を妨げていると私は考えています。

 古池や蛙飛びこむ水の音

 蛙の数は1匹か複数か、は言い古されてきた議論のようです(モラエスのポルトガル語訳、ラフカディオ・ハーンとチェンバレンの英語訳が載せてあるが、省略します。いずれの訳でも蛙は複数形になっています)。チェンバレンの英語訳でもfrogsになっています。もちろん私は1匹であると思っています。ここで私が考えているのは時間にたいする感覚がヨーロッパ人と日本人とで異なるのではないか、ということです。私たちは1匹の蛙が飛び込んだ瞬間をとらえて静寂、侘びさびを感じるのにたいして、ヨーロッパ人は2分とか3分といったタイムスパンでみて、蛙が1匹だけではないから複数形をあてはめてしまうのではないかと思うのです。

 身にしみる風や障子に指のあと

 障子には複数の穴があいているでしょうが、母なる人はそのなかのひとつだけの穴に着目し、ありし日の息子を偲んでいる、と解釈できなくありません。そのほうが日本的ではないでしょうか。多くの穴をみて「これらの穴は・・」と息子を偲ぶより、ひとつだけを見て「この穴はあの子が・・」と思い出す方がずっと詩的です。この場合、ヨーロッパ人は障子全体を広く見て穴の数がひとつではないととらえるのでしょうが、私たちはその中でもひとつの穴に着目してありし人を偲ぶ傾向がある、といえるのではないでしょうか。

 蝶々に去年死したる妻恋し

 蝶々も私には1羽が飛んでいれば十分です。たとえ3分ぐらいの間に2羽、3羽が飛来しても、1羽が寂しそうに飛んでいるのをとらえて句を作ると思います。全体のなかの一点をとらえ、一瞬をとらえてその感慨を詠むのが俳句だと思うのですが、モラエスもチェンバレンもハーンも一点や一瞬より広い空間を、より長い時間をとらえているような気がしてなりません。だからこそ日本人の句作の境地に達することができないのでしょう。

 さて、みなさんは蛙は何匹、蝶々は何羽いた、障子の穴はいくつあったと思いますか?