新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

照于一隅

2016年12月31日 | 日記



 比叡山、延暦寺会館の喫茶コーナーに額(写真)がかかっていた。窓の外では雪が舞う。コーヒーをすすりながら、私が切り出した。あれはなんと読むのか。右から2番目の文字が読めない。妙に気になる。延暦寺ではいたるところで「一隅を照らせ」のような文字、標語を目にしてきた。天台宗の開祖、最澄のことばらしい。だから照、一隅は簡単に読めた。残りの一文字はなんだろう。好奇心旺盛なUくん、Sくんと私の3人であれこれと推測しあった。「子」「す」「千」などが浮かんでは消えた。どうも違う。Uくんが「為」ではないかという。下の部分が4つの点に見えなくはない。Sくんは「宇」ではないかという。意味から考えて広大な宇宙を連想させる文字がふさわしい。
 30分ほどあれやこれやと言い合った。もちろんスマホで検索し、正しい結論を求めながらだった。仏教や仏典に造詣が深いSくんが未知の文字を「于」と読んで、こうまとめた。これには2つの解釈が可能だ、と。
 汝、片隅を照らす光になれ。どんな小さなものにもかけがえのない価値があり、どんな人にもかけがえのない命がある。それに光をあてよ。みんながそれを実行すれば、周りが明るい平和な社会になる。
 汝、片隅から光を発せよ。どんな境遇にあっても、身をわきまえてその場で最善の努力をせよ。みんながそれを実行すれば、身のまわりが明るい平和な社会になる。
 真相を確かめたい。会館のフロントの人が、この道に詳しい坊さんを呼んでくれた。はたして私たちが推測したとおりだった。最澄のことばで、文字は「于」、解釈にはあいまいさが残り、上の2種類があるという。一件落着。

 UくんのバッグにNo pack, no lifeの文字があった。これはどういう意味か。英語にも堪能なSくんが解説してくれた。「バックパックのない生活はない、バックパックを背負って旅行し、人生を楽しもう」という意味だそうだ。No music, no lifeなら「音楽がない生活なんて・・」となる。
 以前、外国人の入浴マナーの悪さを見かねた銭湯の店主が「No diving, no swim」という貼り紙をした。「ダイヴィングのない水泳はない、泳ぐなら飛びこめ」の意味になる。「銭湯に入るときにはかならず飛び込んで泳げ」の意味になり、銭湯の店主が意図した「飛びこむな、泳ぐな」の意味とはまるで逆の意味になってしまった。皮肉なことがあるものだ。
 





ちょっと町へ

2016年12月24日 | 日記

「ちょっと町へ」。これは翻訳家であり作家でもあった常盤新平さんの雑文集のタイトルだった。常盤新平さんはちょっと町へといって小岩あたりに出没したようだ。おそらく千葉方面に住んでいたのだろう。
 藤野に住んでいる私がちょっと町へとなると八王子になる。高尾、西八王子を含めて八王子には何でもある。図書館、古本屋、スーパー、ホームセンター、床屋、喫茶店、電気製品のディスカウントショップなど。立川まではちょっと遠いのでデパートに用があるとき以外はわざわざ行かない。それに立川には古本屋がない。いや駅の北側、高松町に一軒だけあるが、とても神経質な店主がやっている店で、日中は陽があたらないように本を紙で覆ってしまう。しかも置いてある本が日本文学か日本史方面の本のようだ。八王子市の古本屋は高尾駅前に1軒と八王子駅前に2軒あり、さまざまな分野の本を取りそろえているので、ときどき立ち寄ることにしている。
 きのうもきょうも天気がよかったので「ちょっと町へ」という気分になった。腕の筋トレに使う4キロの鉄アレー、バイクのハンドルに寒さよけにかぶせるカバーなどを探し求めて歩きまわる。なかなか見つからない。鉄アレーは3キロ、5キロのものはホームセンターで安く買えるのだが、4キロは不思議にどの店にも置いていない。八王子駅で年末に使う新幹線の指定席券を買う必要もあった。
 帰りの電車には若いカップルが目立った。そうだ、きょうはクリスマスイブだ。相模湖のイルミネーションを見にいくカップルのようだ。あんのじょう相模湖駅でみな降りた。






年末なのに

2016年12月23日 | 日記

 年末なのに糸魚川で大火災が発生した。焼け出された人たちには心からお見舞い申しあげる。
 ヨーロッパでは民族の大移動のようなことが起きている。シリアの政情不安から国を出て、トルコ、ギリシャを経由し、ドイツ、スウェーデンなどへ移動しようとする人たちが何十万人といる。ハンガリーがセルビアとの国境にバリケードを築いて難民の流入を阻止するようになってからもう1年になる。当初は喜んで難民を受け入れると表明していたドイツが、テロ事件や難民が引き起こしたレイプ事件などを受けて、かなり厳しい入国審査をし始めている。
 私が6月に訪れたスペイン、マドリッドでさえ高速列車に乗るためにはセキュリティ・チェックを受けなければならない事態になっている。
 東京でオリンピックが開催されることが決まったのは2年前の夏だった。あのころトルコのイスタンブールが候補地のひとつに名を連ねていた。いまではトルコは政情不安でオリンピックの準備どころではなくなっている。政治情勢の移り変わりの速さをひしひしと感じる。
 毎日新聞の記者が追いかけて取材したアフガン難民アリさん一家はドイツで難民用住居を借り、支援金をもらいながら正式な移民許可が出るのを待っているようだ。この人たちはまだ順調にいっている(「ルポ難民追跡」岩波新書)。
 年の瀬、みんながしあわせに年を越せる世の中は夢の夢のようだ。



すいとんを食べながら

2016年12月19日 | 日記

 18日は恒例の「ふじのやまなみクロスカントリー駅伝大会」の日。NPOの作業日でもあり、駅伝の見学はできなかったが、奥牧野のボランティアグループが作ったすいとんをご馳走になった。
 すいとんは、小麦粉を固めた餅にジャガイモ、タマネギ、にんじんなどの野菜が入り、味噌を溶かしてあった。久しぶりにお会いしたSTさんは戦前の生まれだからおそらく懐かしい食べものだろうが、私のような年代のものはすいとんにとくべつな思い出をもたない。年配の人たちから話によく聞かされ、ときどき作って食べさせてもらった程度だ。すいとんを作って駅伝の関係者たちにふるまっている奥牧野の人たちはもちろんすいとんを懐かしむ年代の人たちだ。駅伝関係者は10代から20代、30代がほとんどだから、このような食べものをどう感じただろうか。
 秋にアケビの実をいただいた調布のMTさんにも久しぶりにお会いした。私より若いが、すでに仕事を半分引退して、山歩きを楽しんでおられる。趣味の合間に仕事をするという、じつにうらやましい生活スタイルだ。
 STさんは相変わらず福祉作業所の理事長を務め、こんど新しい建物を建てることになったとか。後任が見つからないので77歳になったいまも現役を続けている。
 さて弁当とすいとんを食べ終えて、台地の上に寝転がった。乾燥した大地に柔らかな芝草、風がないうららか天気、雲ひとつない青空にときおり飛行機がとぶ。Indian summerという英語表現が頭に思い浮かんだ。小春日和ということばよりIndian summerのほうが含蓄がある。
 だがIndianはアメリカ先住民を指すことばで、あまりよい意味はない。ヨーロッパから渡ってきたアメリカ人にとって先住民はむかしは敵であり、侮蔑の対象であり、嘘つきの代名詞のようにされた。Indian summerはほんとうの夏ではないのにまるで夏であるかのような日、つまり嘘の夏を意味する。いまでは使ってはいけない表現(タブー)になっているはずだが、なんとなくロマンチックな雰囲気を醸し出す表現として私の語彙のひとつになっている。
 藤野を外国人に紹介するウェブサイトを立ち上げる計画があるらしい。NPOで伐採を担当するSさんに焦点をあてた取材が入った。英語で藤野を紹介するサイトができれば、藤野在住の陶芸家や人形作家などをじかに訪れる外国人観光客が増えることだろう。観光地を訪れるのとはひと味ちがった旅行を楽しむ人が多くなるはずだ。期待したい。





カリブ海諸国の中心はジャマイカ

2016年12月18日 | 日記

 ジェームズ・ミッチェナーの歴史小説でカリブ海諸国についての知識を蓄えている。これまであまりなじみがなかった地域、国ぐにだったが、700ページあまりを読み進み、かなりはっきりしたイメージを持つことができた。
 キューバを含むほとんどすべての島がヨーロッパ列強の植民地になり、本国の政変にもろに影響を受けてきたこと、人種的にはアフリカから連れてこられた黒人奴隷とヨーロッパ諸国から渡ってきた白人とがさまざまな割合に混血をすすめながら、すこしでもより白人に近づこうとする力が働いてきたこと、カリブ海諸国の中心地がジャマイカであることなどを知ることができた。
 ここでいうヨーロッパ列強とは、まずスペイン、その後イギリス、フランス、オランダが台頭する。イギリスでクロムウェルによる革命が起こると、イギリス歴代の王家に忠誠を誓ってきたジャマイカ島の人たちはたちまち処刑の嵐に巻き込まれる。フランス革命時にジャコバン党が政権を握ると、マルチニク島、ヒスパニオラ島のハイチでそれまで権力を握り、支配してきた人たちが処刑の対象になる。ギヨタンが発明したギロチンが使用された。Gillotinをフランス語読みすればギヨタン、英語読みすればギロチンになる。
 カリブ海諸国では、現地の先住民族からの血を引く人種、アフリカから奴隷として連れてこられた純粋な黒人、それにヨーロッパの白人が混じり合い、ある段階では10種類以上のランクづけがなされ、純粋な白人、白人に近いものから黒人に近いもの、純粋な黒人までの社会階級が肌の色で決まってしまう。社会での成功をめざす人たちは、結婚によって子孫の肌の色をすこしでも白くしようと努力する。
 カリブ海地域のなかで大学があるのはジャマイカだけのようだ。したがってカリブ海諸島で育った若者たちはジャマイカの大学へ進学することをめざして勉強に励む。とくべつに優秀で、宗主国であるイギリス、フランスなどにツテがある白人はそこの大学で学ぶことによって箔をつける。また現代では多くの若者がいちばん近い大国、アメリカの大学で学ぶことを選ぶようだ。とりわけフロリダ州は彼らにとってとても近く、たえず貨物便が往来している。
 ところでジャマイカといえば陸上競技のウサイン・ボルトがいるし、野球のメジャー・リーグにも多くの選手を排出している。たしかレゲエで有名な歌手ボブ・マーリーもジャマイカ出身だった。やはりジャマイカはカリブ海諸国の文化の中心地を担っているのだろう。